『父』の物語・冒険 09 —月下狼鳴—
男は剣を鞘に収め、二人に手招きをする。対峙していた巨大な狼は、なんと香箱座りをし始めた。
顔を見合わせて首を傾げ合うノクスとミラ。
——襲われていたのではなかったのか?
二人は警戒しつつも高台の下、岩壁に囲まれた更地へと降りていくのだった——。
†
「やあ。私は二つ星冒険者のセイジ・カマツカだ。君たちは?」
ギルドカードを提示して親しげに話しかけてくる男を、ノクスは観察する。
見慣れない装束に、剣とは少し違う形状をした得物。柔和な口ぶりとは裏腹に、彼の眼鏡ごしの瞳は隙がない。
だがその男や、こちらのやり取りを興味深そうに眺めている狼からは一切の敵意が感じられない。
ノクスはため息をつき、背後に控えさせていたミラに大丈夫そうだと目で合図を送った。
「……俺の名はノクスウェル・ベッカー。サランディア王国の騎士団長だ。そして——」
狼のことを用心深く観察しながら近寄ってきたミラは、男のギルドカードを確認し騎士の礼をとった。
「私の名はミランダ・アドルラート。サランディア王国騎士団の副団長を務めております」
「初めまして、よろしく。しかし、二人だけか。サランディア騎士団の名は聞き及んでいるが……団長と副団長、二人だけの組織だったか?」
男は——誠司は、疑念の眼差しを二人に向ける。周囲五百メートル圏内に人の『魂』はこの二つだけだ。騎士団を名乗るのに、なぜ要職の二人だけしかいないのか。
それを察したのか、ノクスは説明する。ここに来たのは『青く輝く空』の調査に来たこと。二人だけなのは王命であることを。
さすがに国の内情や二人の背景までは説明しなかったが——それを聞いた誠司は、何かを察したようだ。
「……なるほど。何が待ち構えているか分からない任務に、要職である君たち二人だけを、ね……大変なんだな、ノクスウェル団長」
「いや、ノクスでいい。こっちもミラで。まあ、いろいろあるんだ。そんで、セイジさんよ——」
ノクスは未だに香箱座りをし、あくびをしている狼に視線をやる。
「——夜空を青く照らす光の正体は何となく分かったが、どういうことだい。あの狼はいったい……」
「私の呼び方もセイジでいい。彼の名はヴァナルガンド。なに、心配するな。彼はちょっと戦いを欲しているだけの、ただの神狼さ」
誠司は振り向き、ヴァナルガンドに声をかけた。
「ヴァナルガンド。彼らはこの国の軍事組織のトップだ。もしかしたら君を、楽しませてくれるかも知れないぞ?」
「は?」「え?」
誠司の言葉を聞き、思わず間の抜けた声を上げてしまうノクスとミラ。
その呼びかけを受けたヴァナルガンドは、口元を緩ませ立ち上がった。
「ふん、聞こえておったわ。ノクスウェルにミランダか。では……まずはお手並み拝見といこうか」
「……えっ……待て、ヴァナルガンド。いきなりか?」
「は?」「え?」
三人の声も聞かず——ヴァナルガンドは、跳ねた。
青白い軌跡は弧を描くように飛び、炎をまとった前脚がミラへと向かって振り下ろされ——。
「——ふん!」
その振り下ろされた前脚は、いち早く反応したノクスの大剣が受け止めた。
「……ほう?」
身を翻し、元の位置へと跳ね戻るヴァナルガンド。その口元は緩んでいる。ノクスは大剣に燻る炎の残滓を振り払い、神狼を睨んだ。
「……ありがとう、ノクス」
「……どういうことだ、セイジ。奴は敵なのか?」
ミラの感謝を背に受け、仁王立ちでヴァナルガンドを睨み続けるノクス。誠司は口笛を鳴らし、自身も刀に手をかけた。
「やるな、ノクス。さっきも言ったが、彼はただ、戦いを欲しているだけさ——」
刃が月と青炎を反射し、幻想的な輝きを見せる。
誠司は口端を上げ、ノクスに答えた。
「——彼は強い者に目がなくてね。ノクス、ミラ、おめでとう。どうやら君たちは、戦うに値する相手だと認められたみたいだ」
†
「だから何でなんだよっ!」
「待って、何で私もぉっ!?」
ノクスとミラの二人は叫びながらもヴァナルガンドの攻撃を回避していく。
二人の動きを見る誠司は、感嘆の息を吐いた。
「……すごいな。さすがは騎士団のトップを張るだけのことはある」
「世辞はいいから教えろっ! 倒しちまってもいいんだな!?」
「——フン、倒せるものならなっ!」
ノクスの問いに、攻撃をすることで応えるヴァナルガンド。地面が爆ぜ、青白い石つぶてがノクスを打ちつける。
顔に飛んできた石つぶてを大剣で防いだ彼は、ミラの動きに気を配る。
彼女は風下へと移動し、一つの魔法の詠唱を終えたところだった。
「——『身を軽くする魔法』」
ミラのとっておきだ。あの魔法をその身にかけたミラは、強い。とりあえずは大丈夫だろう。
ひと息ついたノクスは、大剣をしっかりと握り直し自身を鼓舞するかのように叫んだ。
「うおおらぁぁっっ! やってやらあぁっ!!」
†
戦闘は過熱する。
ノクスの大剣がヴァナルガンドの爪を弾き返す。誠司がヴァナルガンドの関節部を執拗に狙う。ミラの連撃がヴァナルガンドの後脚を切り刻む——。
頭が回らなくなってきたミラは距離を取り、吐きだされる青い炎を駆け躱しながら腰のポーチからチョコレートを取り出してかじった。
(……ふう。沁みるわぁ)
彼女、ミラの体質だ。集中力が極限に達すると、脳が糖分を異常に渇望するのだ。チョコは口の中で溶けていき、疲れた脳が少しだけ休まった。
口の周りのチョコレートを舌で舐めとったミラは、改めて状況を確認する。
ヴァナルガンドの猛烈な攻撃を受け切るノクスもさすがだが、なんといってもセイジという名の冒険者。
身を軽くする魔法で身軽になったミラに匹敵する、いや、それ以上の俊敏な身のこなしで、ヴァナルガンドの鋭い爪をかわし、隙をついて剣撃を繰り出している。
最初はどうなることかと思ったが、この三人なら油断さえしなければ何とかなりそうだ——そのようにミラが、手ごたえを感じた時だ。
口元を緩ませたヴァナルガンドは、天へと駆け上り始めた。
茫然とする三人。やがて宙に立ち地表を見下ろす銀狼は、くぐもった声を響かせる。
「ハーハッハッハッハッ、面白い! これをかわしてみろ!」
——狼の遠吠えが三度、夜空に響き渡った。




