『父』の物語・旅立ち 06 —旅立ち—
オフィーリアさんが亡くなってから二年、私は十六歳になっていた。
ナーディアさんも当初は元気をなくしていたが、今ではすっかり元の彼女に戻り、オフィーリアさんから引き継いだ『南の魔女』としての役目をこなしている。
そんなある日の昼食を終えた昼下がり、私は以前から固めていた決意をナーディアさんに伝えた。
「ナーディアさん。私は、この館を出ようと思っている」
私の向かいに座っていたナーディアさんは驚き、目を丸くした。
だが——やがて彼女は、フッと息を吐いた。
「そう。理由だけ聞かせてくれるかい?」
「……ああ。私はこの世界を見て回りたい。そして……オフィーリアさんの言っていた『運命の申し子』。出来ればその人の力になりたい」
「……いるかどうかも分からないのに?」
「ああ」
私は真っ直ぐにナーディアさんを見据え、返事をした。その眼差しを受けた彼女は、優しげな瞳で私を見つめ返した。
「そうかい、寂しくなるね。まあ、アンタには必要なことは教えた。それだけの実力もあると思っている。アンタの好きなようにしな」
「……ナーディアさん、すまない。ここまで育ててもらっておいて、まだ何も恩を返せてないのに、勝手なことを——」
「はい、ストップ、セイジ」
目を見ていられず顔を逸らして言い訳を語ろうとする私の言葉を、彼女は遮った。
「元より、アンタはアタシが勝手に引き取っただけだ。あの時のアンタは可愛かったからね。アタシの欲望で、アンタを縛りつけていただけさ。だから気にするんじゃない。ジジイはさっさと出ていきな」
「ジジイって……」
「なあに。アタシにとっちゃ毛が生えたらそれはもう、全員ジジイさ」
彼女の口から出る暴言に、私は呆れ返る。ナーディアさんは気にした素振りも見せず、ジト目で私を見つめていた。
「……チッ、どうにも締まらないな。私の世界でそんな発言をしたら、逮捕ものだぞ?」
「アハハ、安心しな。こっちの世界でも逮捕もんさ」
クスッと笑ったあと、ナーディアさんは目を拭った。
それが楽しさによるものか寂しさによるものなのかは、私にはわからなかった——。
†
それから一週間後。旅立ちの準備を終えた私は、魔女の館の扉を開ける。
澄み渡った空。旅立ちには良い日。
見送りにきたナーディアさんが、私の隣に並び立つ。
「……セイジ。気が変わったら、いつでも帰ってきて構わないからね」
「……ああ。たまには顔を見せるよ」
私とナーディアさんは、同じ空を眺める。
思えば私がこの世界に来た、十二年前のあの日。もしもあの時ナーディアさんが助けてくれなかったら、私はこの空を眺めることは出来なかった。
鳥のさえずる声が聞こえる。穏やかな波の音が聞こえる。
私は——ナーディアさんを、軽く抱きしめた。
「ありがとう、ナーディアさん。私を、ここまで育てあげてくれて」
「……はは。アンタ、いつの間にかアタシよりも大きくなっちまったんだねえ……」
静かな時間が過ぎる。私は名残を惜しみながら、ナーディアさんを解放した。
ナーディアさんは口端を上げた。
「アンタがもっと若ければ、このまま食っちまったんだけどね」
「ンッ。本当に最後まで締まらないな、あなたという人は……」
私たちは笑顔を交わす。私は未練を振り切るように、彼女に背を向けた。
「じゃあ、行ってくる」
「ああ、いってらっしゃい。良い旅を」
私は歩き出す。このスドラートの地を。このトロア地方を。この世界を。
最後に、ナーディアさんの声が聞こえてきた。
「セイジー!『運命の申し子』のこと、よろしく頼んだよー!」
私は右手を上げ、応えた。
「ああ、任せろ」
†
村の親しい人たちに別れを告げた私は、最後に一軒の家へと向かう。
定期的にこの村を訪れているドワーフ、マッカライさんの家だ。
彼の家の前に着くと、マッカライさんは大荷物を持って私を待っていた。私は彼に声をかける。
「やあ。待たせたね、マッカライさん」
「別れは、済ませてきたのか?」
彼は今回の出張を終え、今日が自分の集落に帰る日だ。私が旅立つのを知った彼は、途中までの同行を申し出てくれた。
「……ああ、大丈夫だ。行こうか、マッカライさん」
私の顔を見つめて、彼は笑顔で息をついた。
そして私たちは、歩き出す。
「セイジ。お前さんの刀、悪くなったらすぐに持ってこい。大事に手入れするんじゃぞ」
「わかった、その時はよろしく頼むよ。確か……西の森の奥にある山だったっけ?」
「そうじゃ。あとで地図を渡してやる。それまでにお前さんから話に聞いた色々な刀をワシらで研究し、すごいのを作っといてやるからな」
「はは、頼もしいな。ありがとう、マッカライさん。それで、とりあえず私たちが向かうサランディアって、どんな街なのかな」
「そうじゃな。この村とは比べもんにならんくらい栄えておるぞい。美味いもん、旨い酒、ひと通り揃っておる」
「それは楽しみだ。ただ……まずは稼がないとな。その美味いもんにありつくために」
「がはは、そうじゃそうじゃ。セイジ、お前、なるんじゃろ?『冒険者』に」
マッカライさんの問いに、私ははっきりと答えた。
「——ああ。私はこの世界を、『冒険』する」
こうして私は、冒険者になるために旅立った。
数々の出会い、数々の冒険が私を待ち受けているのだろう。
私は小さくなった村を振り返り、心の中で誓うのだった。
——オフィーリアさん、ナーディアさん、本当に、本当にありがとう。
私は強くなり、誰かに手を差し伸べることができる人間になってみせる。
私のことを助けてくれた、あなたたちのように——。
お読みいただきありがとうございます。
これにて第一章完。次章では冒険者時代の誠司の活躍が語られます。
引き続きお楽しみいただけると幸いです、よろしくお願いします。




