『父』の物語・旅立ち 03 —稽古—
私がこの世界に来てから五年が経った、ある日のことだ。
私とナーディアさんは、いつものように庭で稽古をしていた。
「さあ、どうしたいセイジ! そんなんじゃアタシに食われちまうよ!」
「……ぐっ……いたいけな子供に向かって……私の世界でそんな発言をしたら、逮捕ものだぞ……?」
「安心しな、こっちの世界でも逮捕ものだ!」
ナーディアさんの杖のひと振りが、木刀で受け止めた私の身体ごと吹き飛ばす。
転がって受け身をとった私は、木刀をつき立ち上がった。
「……くそ……魔法使いって、もっと、お淑やかなイメージがあったんだけどね……」
「ふん、そんなこと誰が決めた。セイジの世界ではそうかもしれないけど、アタシたちの世界じゃこれが当たり前さ……ジュルリ」
「……ナーディアさん。わかったから、私の身体を舐め回すように見るのはやめてくれ……」
彼女、ナーディアさんに助けられ、私はこの世界で暮らしている。
ナーディアさんは『南の魔女』と呼ばれるオフィーリアさんの元で修行をしており、こうして空いた時間に稽古をつけてくれている。
もっともオフィーリアさん曰く、彼女に教えることはもうほとんど無いそうなのだが。
そんな彼女はどうやら特殊性癖の持ち主のようで。
元の世界でいう『ショタコン』というやつなのだろうか。察するに、幼い男児に目がないようだ。
私を助けた時も、いたいけな私の叫び声に反応し、取るものもとりあえず本能の赴くままに駆けつけたということらしい。
あれはこちらに来てからどれくらい経った頃だろうか。とりあえずひと通りの会話が出来るようになった私は、なんだか後ろめたい気分を感じていたので、思い切って彼女に打ち明けてみた。
——「……すまない、ナーディアさん。こんな外見をしているが、私は、中身は大人なんだ……」
信じられないと目を丸くする彼女に、私は私の身に起こったことを包み隠さず話した。
よろめきながらも神妙な顔つきで話を聞くナーディアさん。無言。やがて私の話を聞き終えた彼女は、言葉を絞り出した。
「……その話、本当なんだね、セイジ……」
「……うん、そうなんだ。だから私は、こんな姿をしているけど——」
「……合法じゃん」
「……はい?」
彼女の目が血走る。ヨダレがジュルジュルと溢れ出す。
身の危険を感じた私は、後ずさりながら大声で助けを呼んだ。
「……オフィーリアさああぁぁぁんっっ!!」
それからの彼女は、R指定が外れたのか性癖全開で私に接するようになった。オフィーリアさんがいなければ、私の貞操は危なかったかもしれない。
とまあ、少し変なところはあるが、私にとって命の恩人だ。その性癖にさえ目を瞑れば、彼女は才能豊かで、真っ直ぐで、困っている人を放っておけない、そんな尊敬に値する人物だった——。
ひと通り満足するまで打ち合った私たちは、木陰に腰を下ろす。
「……ありがとう、ナーディアさん。毎度毎度、付き合ってもらって」
「いいって。アンタに魔法の才能があれば、そっちでしごいてあげたかったんだけどねえ。でもアンタ、なんで強くなりたいんだい?」
「近い、離れろ……強くなりたい理由か……なんだろうな……」
私はナーディアさんの顔を押しのけ、空を見上げながら考える。
元々、稽古をつけて欲しいとナーディアさんに頼み込んだのは私の方だ。
何故か。この世界には魔物がいるからだ。
残念ながら私に魔法の才能はあまりないようだった。簡単な魔法なら頑張れば何とかなりそうだが、魔力量の問題からどうしても限界がある、というのがオフィーリアさんの見立てだ。
なら、物理的な手段に頼るしかない。魔物の恐怖に怯えてさまよっていた、あの時の自分。そんな自分に別れを告げるために。
そして——
「……ん? どうした、セイジ。アタシの顔なんか、ジッと見つめて」
——困っている人がいれば駆けつけ、迷わず助けてあげられるような人物になりたい。そうだ。あの日私を助けてくれた、あなたのように。
私は視線を外し、彼女に答えた。
「……いや、なんでもないよ。まあ、強いて言えば……男、だからかな。男が強くなりたい理由なんて、そんなもんだろ?」
「……ハウゥッ!」
ナーディアさんの身体がビクンと跳ねる。しまった、これはアレだ、スイッチを入れてしまったアレだ。
「……ナ、ナ、ナーディアさん? 落ち着いて——」
「……ハァ、ハァ……そんなセリフをその外見で言われて、落ち着いていられるワケないでしょう……? セイジ……水浴びだ、水浴び行こう!」
有無を言わさず私を肩に担ぎ、ナーディアさんは駆け出そうとする。
「待て、落ち着けナーディアさん! 助けてオフィーリアさああぁぁぁんっっ!」
「ハアッ、ハアッ……もうすぐアンタはアタシの守備範囲を外れちまう。だから、今の内にいぃっ!!」
——前言撤回。もしかしたら私は、彼女に抵抗する力が欲しいだけなのかもしれない。
実に子供とは無力なものである。私が彼女から一本取れるようになるまで、そこから更に数年の歳月を要したのだった。




