『父』の物語・旅立ち 02 —魔法使い—
その女性は近づいてきて、蜘蛛の巣に囚われている私の身体に手を当て、何やらつぶやき始めた。
私は観察する。
魔女の風貌をした女性。見た感じ、年の程は三十代くらいといったところだろうか。ゆるふわセミロングにシルバーグレージュの髪色がよく似合っている。
しかしその顔立ちは、日本人だとは到底思えない。それに先ほどの炎。あれは魔法なのか?
とりあえずは、だ。ここが『現代社会の日本』ではないということだけは間違いなさそうだ。
「——『————』」
女性がつぶやき終えると、私の身体を捕らえていた蜘蛛の糸がみるみるうちに剥がれ落ちていった。さっきの炎然り、これも魔法的なものなのか。
「……あ、ありがとうご——」
私が礼を言おうと口を開いた、その時だ。
「——————————!!」
「……うわっぷ!」
女性は私に全力で頬を擦り寄せてきた。しかも恍惚の表情を浮かべて。何だこれ。
なんとか逃れようとジタバタすること一分。女性は満足したのか、ようやく私のことを解放してくれた。
その女性は私に視線を合わせ、ヨダレを拭いながら言葉を発す。
「————————?」
やだ、怖い。
とって食われるんじゃないかとビクビクしている私は、少し身体を仰け反らせながらも会話をしようと試みる。
「……あの、すいません。日本語はわかりますか?」
「…………————?」
彼女は首をかしげながら、私のことをジッと見る。
やはりか。ここがどういった場所なのかはわからないが、少なくとも日本語が通じる世界ではなさそうだ。それに彼女が発する言語、私の記憶に全く引っかからない。
やがて彼女は自分を指差して言った。
「……ナーディア……ナーディア」
状況や仕草的にそれが彼女の名前だろうか? 私はその言葉を返してみる。
「ナーディア?」
「————!!」
彼女の身体がブルッと震えた。そして興奮した様子でコクコクと大きく頷く。大丈夫なんだろうか、この人。
私も女性に倣って、自分を指差しながら名前を発音してみた。
「……セイジ」
「……!……セイジ——!」
どうやら伝わったようだ。コクコク頷く私に、コクコク頷き返すナーディアという名前らしき女性さん。
彼女は私の手を取りブンブンと上下に振る。私が苦笑いを浮かべながらそれを見ていると——
「……えっ?」
——なんと彼女は私を抱え上げ、スキップをしながら駆け出したのである。えっ、私はさらわれてしまうのか?
「……助けてぇーーっ……————」
私の悲痛な叫び声と彼女のご機嫌な鼻歌が辺りに響き渡る。
今度は私の声に反応するものはなく、幼児である私はなすがままに連れ去られてしまうのであった——。
†
潮風の香りがする。
彼女は相変わらず鼻歌を口ずさみながら、私を抱き抱え坂道をスキップしながら駆け登っていく。体力お化けか。
私はというと——ガクンガクン揺れながら、落とされないように彼女にしがみつくのが精一杯だ。
しかしまあ、変な人っぽい感じではあるが悪い人ではなさそうだ。蜘蛛から助けてくれたし。
疑っても仕方ない。それに少なくともこの場所が、人のいる場所だということは判明したのだから。
緊張の切れた私は、疲れていたのだろう。だんだんとまぶたが重くなっていき——
(……ああ、心地よい……な……)
——リズミカルな振動をその身に感じながら、微睡みに身を委ねてしまうのであった……——。
†
男児を拾ったナーディアは、彼女の住処『魔女の館』へと帰り着く。
そしてそのまま、彼女が師と仰ぐ人物がいる部屋の扉を開けた。
「——師匠、ショ……子供拾った!」
顔を紅潮させ、ウキウキしながら報告をするナーディア。本から目を上げた彼女の師、老年の女性オフィーリアは眉をしかめてナーディアの方に目を向ける。
「騒がしいね……で、アンタ、ついに人さらいをするようになっちまったのかい」
「人聞きが悪いね、師匠。なんかね、林で『巨大蜘蛛の魔物』に襲われてたんだよ。それをアタシが助けたってワケ」
オフィーリアは本を閉じ、立ち上がる。そしてナーディアの胸の中で眠っている子供の顔を覗き込んだ。
「……フム。どうやら村の子供じゃないみたいだねえ」
「うんうん。この子『セイジ』っていう名前らしいよ。それでね、師匠。この子ね、知らない言葉を話すんだ。心当たりある?」
「……知らない言葉、か。ちょっと話してみないと何とも言えないねえ……こら、アンタ、ヨダレを拭きなさい」
ジュルリと垂れかけたヨダレが、寝ている誠司の顔に襲いかかる。ナーディアは慌てて拭い取り、改めて誠司の顔をまじまじと眺めた。
「……はうぅ……可愛いなぁ……ねえ、師匠。当然、ウチで保護していいよね?」
「…………ナーディア。変なことするんじゃないよ」
「うっ……わかってますってえ……。じゃ、とりあえず寝かせてくるねー……うふふ」
子供を抱えてナーディアは部屋を退出していく。それをため息まじりで見送ったオフィーリアは、人知れずつぶやいた。
「……ふむ。あの子からは大きな『運命』を感じるねえ。ナーディア、アンタみたいに。世界の運命の流れに、アンタたちは乗っかっている。この出会いは、必然なのかもしれないよ——」
————…………。
こうして私は、『南の魔女』オフィーリアさんと彼女の弟子ナーディアさんに保護された。
彼女たちは突然この世界に迷い込んでしまった私に、優しくしてくれた。
私は彼女たちから、言葉を習い、知識を習い、戦い方を習い、生き方を習い——。
そして気がつけば、私がこちらに来てから五年の歳月が過ぎ去っていたのだった。




