『父』の物語・旅立ち 01 —始まりの日—
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少女には『父』がいた。
少女には『母』がいた。
これは、そんな二人の物語——。
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——痺れるように頭が重い。
——何が起こった?
私は無理矢理意識を覚醒させ、考える。
確か私は、いつものように仕事へ出かけようと準備をしていたはずだ。
憂鬱な月曜日。ついつい動画に観入って夜更かしをしてしまった、そんな朝。気怠げに準備をしていたら突然——。
はっ!
もしかして寝過ごしてしまったのか? 私は慌てて飛び起きる。
そうだ。突然、床に『穴』が空いて落ちただなんて、夢に決まっている。今何時だ? 何て言い訳しよう——。
「…………えっ……?」
風が頬を撫でる。草の匂いが鼻をくすぐる。
目に映る景色は、自然のそれ。生い茂る草。立ち並ぶ木々。
私は、雲が僅かにかかる空を見上げながらつぶやいた。
「……なんだこれ」
†
私は『鎌柄 誠司』二十五歳。うん、二十五歳。二十五歳だ。だったはずだ。
しかし——私は自分の小さな手をマジマジと眺めて愕然とする。実になんとも可愛らしいおててじゃないか。
もしかしたら。
私は思い立ち、周囲に人の影がないのを確認して、その可愛らしいおててを前に突き出し、つぶやいてみた。
「……ステータス、オープン……」
…………。
うん。どうやらここは異世界ではないようだ。
だとすると、ここは死後の世界なのだろうか? 夢にしては現実的すぎる。
手相は私の記憶にあるものと一緒だと思う。だから多分、私は私なんだと思うが——確認したい。
私は顔の輪郭をペタペタ触りながら、あてもなく歩き始めるのだった。
†
「……疲れた……」
歩き疲れた私は、木陰に腰を下ろし休息をする。
今のこの身体は、三、四歳といったところだろうか。歩くことは問題ないが、すぐに疲れてしまう。
だが、ゆっくりと休んでもいられないようだ。
少し離れた場所にぼんやりと光るものを感じ取り、私は慌てて茂みに身を隠す。
その朧げな光は、だんだんと近づいてくる。私が息を殺して見守っていると——やがて目の前を、トペトペと歩くキノコの物体が通過した。
そのまま息を潜めること三分。十分に距離が遠ざかったのを確認して、私は深く息を吐いた。
「……なんなんだよ、アレ」
そう。なぜか遠くにいても感じられる、朧げな光。どうやらアレらは、ヘンテコな生き物のようだ。
今の歩くキノコ然り、動く粘液性の何か然り、口をバクバク開ける植物然り——。
——例えるなら、モンスター。
私の持つ知識で言うところの、そう呼称するのに相応しい生物たちが、ここではうろついているのだ。
(……もしかして、ゲームの中の世界なのか?)
「……ステータスオープン……」
…………。
うん、何度やっても何かが開いたりはしない。やはりゲームの中の世界とかではなさそうだ。
だが、私の暮らしていた世界とはまるで別物、それだけはハッキリと感じる。
そして困ったことに、さっきから喉は渇いているし空腹も感じている。さあ、困ったぞ。夢なら良かったのに——。
私は頬っぺたをつねりながら、トボトボと歩き始めるのだった。
†
「……死ぬかも……しれない……な……」
さらに一時間。水源を求めてさまよう私は、適当な木の枝をつきながら力なく歩いていた。
水もなし、食料もなし。体力が着々と削られていく。更には朧げな光を避けるように進んでいるので、時間の割には全く進めていないような気がする。
四歳児ってこんなに体力なかったかな——。
サバイバル知識は動画で観た程度のものしかない。加えてこの身体だ。私が生き延びるのは、難しいかもしれない。
「……なんで……こんなことに……」
泣き言を言ったところで誰かが助けてくれる訳でもない。最悪、ここが無人島だという可能性だってあるのだから。
とにかく水だ。水を確保しなくては。
「……雨、降らないかな」
私が恨めしく晴れ渡った空を見上げて歩いていた、その時だ。
私は何かに引っ掛かり、転んで、それに飛び込んでしまった。
「……えっ……?」
ネバネバと身体にまとわりつく、網状に編まれた弾力性のある糸のようなもの。状況を理解した私の顔が、一気に青ざめる。
「……く、蜘蛛の巣……!?」
待て待て待て。仮にこれが蜘蛛の巣だとすると、まずくないか? なにせ、キノコが歩いているような世界だ。
私の身体よりも大きい網。想定されるのは——。
「…………!!」
朧げな光が、現れた。五十メートルくらい先だろうか。その光は、ぴょんぴょんと跳ねるように近づいてきて——。
「……ひっ!」
——やがて姿を現したソレは、紛れもなく蜘蛛。
だが。私の嫌な予感通り、そいつは今の私と同等の大きさ、一メートルくらいの体長を持つ蜘蛛だったのだ。
「……ぐっ!」
私は逃れようと必死でもがくが——駄目だ、もがけばもがくほど身体に糸がまとわりついていく。
こちらをしげしげと眺め、距離を詰めてくる蜘蛛。脚を舐めながら、八個ほどある目を輝かせている。
いやだいやだ、こんなところで蜘蛛のエサになって人生を終えたくない。私は涙目になりながら、叫んだ。
「——誰かいませんかーーーーっ!?」
その大声に怯んだのか、蜘蛛は一歩後ずさる。だが、それ以上は何もないと判断したのか、じわじわと寄ってきて——。
その時だ。強い光が、現れた。
光は、五十メートル先から真っ直ぐにこちらに向かってくる。蜘蛛は私に向けて糸を吐き出す。私が無駄とはわかりつつも、ぐねぐねと身体を動かしていると——。
「————『————』!」
突然、蜘蛛が燃えた。そいつはピクピクと動いていたが、やがて黒い粒子となって消えていく——
——茫然とそれを見つめる私の前に、その強い光を持つ人物が颯爽と現れた。
その者はウィッチハットにワンピース、マント姿と、いかにも『魔女』っぽい風体をしていた。
彼女は杖をクルリと回転させ、ビシッとポーズを決め高らかに声を上げる。
「————————————————、————————————————————!」
「……あ、すいません、何言ってるかわかんないです……」
——私は後に知る。
この時私を助け、私を保護してくれることになる人物。
彼女が『南の魔女』オフィーリアさんの後継者。後に『二代目・南の魔女』を襲名することになる、ナーディアさん、その人だということを——。




