終章 ソシテ迎ヘル赤キ世界
白いマントを身にまとう女性は、空間を飛ぶ、飛び続ける。
少女を抱えながら。
歯を食いしばりながら。
真っ直ぐ前を向きながら。
慣れない力を行使しながら——。
やがて抱えられている虚ろな目をした少女は、我に返り悲痛な叫び声を上げた。
「……リナ! だめ、戻って! お父さんが……お父さんがあっ!」
それでも莉奈は、無言で飛び続ける。暴れる少女を強く抱きしめ、ただ真っ直ぐに、前を向いて。
慣れない力の使いすぎで、脳が焼けそうになる。視界がグルグルと回り始める。
だが、誠司はいつも言っていた。魔法国の城に入る時だって——
——『莉奈。ライラを頼んだぞ』
莉奈は、託された。この少女の身を。この少女の命を。
元より、もし『厄災』サーバトが出現した場合のことを話し合った時に、誠司に頼まれていた。ライラを連れて、逃げてくれと。
誠司の覚悟を、無駄にしてはいけない。莉奈は視界を飛ばして見ていた。誠司の、まるで未来がわかっているかのようなあの動き——。
誠司は、以前話していた『死に戻り』のスキルを使ったのかもしれない。そうでなければあの光線の速度だ。普通に考えれば、莉奈とライラは貫かれていただろう。
莉奈は飛ぶ。誠司の『飛べ』という言葉に反応して目覚めた、この『空間を飛び越える』能力で。
脳が焼き切れる。目から、鼻から血が流れ出す。
「リナ、お願い! 戻って! お願い……戻ってよおっ!」
瞳を赤くした少女は懸命に叫ぶ。
だが——莉奈は視てしまっている。誠司が、ヘザーが、サーバトの光線で焼かれてしまった光景を——。
やがて、この地に『光の雨』が降り始めた。
莉奈は空間を飛び、雨を必死にかわし続ける。
しかし——無数に降り続ける雨。やがて一発の雨が、莉奈の右足を穿った。
「…………っ…………!」
それでも莉奈は、全力で飛ぶ。ライラだけは、ライラだけは守らないと、誠司の覚悟が全て無駄になってしまうから。
「リナあっ! リナああっっ!」
赤い瞳の少女は涙を零しながら訴え続ける。
それでも莉奈は——ライラを強く抱きしめ、光の雨の影響外を目指してただひたすらに飛び続けるのだった——。
†
二人が『魔女の家』に帰り着いたのは、それから半月後のことだった。
その間、二人の間に会話はほとんどなかった。
あの日から少女の目は、ずっと赤いままだ——。
莉奈は悲しそうな表情で、床に座っているライラに語りかける。
「……じゃあレザリアにお願いしたから、私、行ってくるね……」
「……………………」
ライラは、何も答えない。莉奈は手を伸ばそうとして止め、唇を噛み締めて振り返り、魔女の家をあとにするのだった。
†
それから一か月。
莉奈は再び魔女の家へと戻ってきた。
赤い目をした少女はやつれた様子で、変わらず床に座り込んでいた。
莉奈は自らの泣き出しそうになる感情を押さえ込み、少女に話しかける。
「……ごめんね、ライラ。これしか見つかんなかったや……」
そう言って莉奈が取り出したのは、ひび割れた眼鏡に長めの太刀。いずれも誠司が使っていたものだった。
虚ろな目をした少女はそれをチラと見て、口を開く。
「……ねえ、リナ……なんであの時、戻ってくれなかったの……?」
「……ライラ……」
莉奈は口を開きかけ、噤む。何を言おうと、少女の望む言葉はかけてあげられないのは、わかっているから。
押し黙る莉奈を見て、ライラの瞳から涙が溢れ出す。
「……ねえ、答えてよ! なんであの時、お父さんを見殺しにしたのっ!?」
「………………」
莉奈は何も、答えられない。無言で唇を噛んでうつむいたままの莉奈に向かって、少女は手元にあったものを投げつけた。
「リナ、嫌い!」
投げつけたものは力なく莉奈の身体に当たり、バサッと床に落ちた。
莉奈はそれを拾い上げ、泣き出しそうな震える声で、言葉を絞り出した。
「…………ライラ……ごめん、ごめんねえ……」
「……もうリナの顔……見たくない」
「………………」
ライラはうつむき、虚ろな目でひび割れた眼鏡を眺め続ける。
莉奈は太刀を手に取り、最後に少女に声をかけた。
「……ごめんね、ライラ……これだけ、借りてくね……」
「……………………」
少女は何も、応えない。
莉奈は太刀をつき、静かに魔女の家をあとにするのだった——。
†
莉奈が家を出てから、五年近くの月日が経った。
あの日以来、少女の大好きだった姉は、家に戻ってくることはなかった。
その日『魔女の家』の裏にそびえ立つ岩山を登る、少女——いや、あの時よりも少し大人びた、少女だった女性の姿があった。
すっかりやつれてしまった彼女は、窪んだ目で空を眺めた。
その空は、赤々と染まっていた。これが以前リョウカの言っていた『赤い世界』なのか、それとも自身の赤い瞳が映し出す光景なのかはわからないけど——。
彼女は大好きな姉の姿を思い出し、目をつむった。
(……ごめんね、リナ……私ね、本当はね、わかってたんだ……)
姉は絶望的な状況の中、父の意思を汲み取り、何よりもライラを守ることを優先しただけだ。そんなこと、本当はわかっていたのに。でも——
——でも、あの時は、何かにあたらずにはいられなかった。
(……リナ……会って、謝りたいなあ……)
そう思うが、いまさらだ。ライラは莉奈に、取り返しのつかない言葉をぶつけてしまったのだから——。
彼女は力ない笑みを浮かべ、目を開き、杖をつきながらおぼつかない足取りで岩山を登り始める。
そして彼女は、目的の場所にたどり着いた。
そこは、あの日、姉と一緒に訪れた場所。
『魔女の家』の裏手の山の中腹にある、せり出した崖。
結界を張るために訪れ、二人で一緒に景色を眺めた思い出の場所——。
ライラは柵を乗り越え、崖ぎわに立つ。
そして彼女は。
「——『全ての魔法を解除』」
自らにかかっている全ての魔法を解除した。
ライラは赤い空を見上げ、つぶやいた。
「……お父さん、お母さん。今、そっちにいくからね」
ライラは杖を地面に刺し、静かに指を組む。
そして彼女は——崖から身を投げた。
†
莉奈からライラの世話を頼まれていたメイド姿のエルフは、その時『魔女の家』へと向かっていた。
ライラ——少女だった彼女は、日に日にやつれていっていた。想い人であるあの人も、もう長いこと姿を見ていない。
(……私は……どうしたらいいのでしょう)
いつものように、もはや主を失ってしまった家のそばまで来た時だ。
何かが、
上から落ちてきた。
大きな音を立て、ビチャっと飛び散る何か。
その何かがまとっている服には、見覚えがある。
「……え……ラ、イ……?」
——風が木々を揺らす音が聞こえる。
「……ひっ、いっ……」
——鳥の羽ばたく音が聞こえる。
「……いっ、いやああああぁぁぁぁっっっ!!!!」
エルフの絶叫が、こだまする——。
——そして迎えた赤い世界。
少女だった彼女の生涯は、この赤い世界の片隅で、ひっそりと幕を閉じたのであった——。
お読みいただきありがとうございます。
これにて第六部完。活動報告に「あとがき的な何か」を載せておきます。
第七部は明後日(12/7)から隔日投稿いたします。ストックが溜まり次第、毎日投稿に戻します。
引き続きお読みいただけると嬉しいです、よろしくお願いします。




