千年の野望 02 —ご提案—
「……『提案』、だと?」
のんびりと言ってのける女性を前にして、ヘクトールは眉をひそめる。
その様子を気にした素振りもなく、ハウメアは続けた。
「はい、ご提案です。ヘクトール様、そして魔法国にとって、決して悪い話ではありませんよー」
「……言ってみろ」
この女性の外見は、見た感じでは成人したくらいの年齢だろうか。そんな小娘が、いったい——。
その彼女、ハウメアは目を細めて不敵に笑った。
「発言の許可、感謝いたします。提案というのは他でもありません。この魔法国以外のトロアの地を、自由に使わせていただきたいのです」
「……なに? 土地を?」
ヘクトールの眉がピクリと動く。確かにこの魔法国が発展しているのは中心地だけで、トロア地方全体で見ればかなりの土地を遊ばせてはいるが。
「はい、そうです。少しばかり見て回りましたが、この地方、ヘクトール様の住まわれる魔法国周辺以外は人の手の入っていないところが多く、数多くの魔物が跋扈している状態で——」
ハウメアの口角が、わずかに上がった。
「——わたしにお任せくだされば要所要所を押さえ、その付近の魔物の繁殖を抑制することもできるでしょう。ヘクトール様なら言わずともおわかりいただけるかと思います、その利点が」
ともすれば傲慢な物言い。だが、ヘクトールは考える。
確かに七百年前のドメーニカの『大厄災』によって魔物は大きく数を減らしたが、放置し続けた結果、最近は異常繁殖とも呼べる状況になってしまっている。
この七百年、平和すぎた。魔法の研究を産業にしていたことも相まって、今、この国には武力がない。
大陸との往来も、いまや命懸けだ。ヘクトールとしては『滅び』の力を手に入れさえすれば魔物の異常繁殖などという些事、どうでもよかったのだが——現状、その研究は遅々として進んでいない。
もし、その魔物関連の問題を一手に引き受けてくれるというのなら、それはヘクトールとしては願ったり叶ったりだ。だが。
「……ハウメアよ。お前にそのような力、あるのか?」
「あります」
間髪入れずにハウメアは返答する。ヘクトールの瞳を真っ直ぐに見るハウメア。
無言。やがてヘクトールは目を瞑り、息を吐いた。
まあ、この女にそれだけの力があるかはわからないが、出来なければそれまでだ。こちらに不利益はない。上手くいけば儲け物だろう。
「……よい。やってみろ」
「ありがとうございます。それで、あと一つだけお願いが」
「なんだ?」
ハウメアはひと呼吸置き、続けた。
「わたし達が国を名乗ること、許可していただきたいのです」
「……なんだと?」
ヘクトールの眉間に皺が寄る。そんな彼の反応は想定していたかのように、ハウメアは不遜な笑顔を浮かべた。
「ヘクトール様、あなたは人間族を追いやっていますよね?」
「……それが、どうした?」
当たり前だ。人間族は魔力も低いし、すぐに死んでしまう。この魔法国には要らない存在だ。しかしハウメアは、その顔に笑みを貼り付けてヘクトールに答える。
「その追放された者たちの、受け皿を用意してあげたいのです」
ヘクトールは辟易する。そんなことをして何の得になる。綺麗事を抜かすな、この偽善者め。
「……放っておけばよかろう。劣った者を庇護して、なんになる」
「ふふ、ヘクトール様も人が悪い。わたしを試されておられるのですね?」
目の前の女は、可笑しそうに笑う。ヘクトールは彼女の真意が理解出来ず、無表情で言葉を待つ。やがてひとしきり笑ったハウメアは、目を細めてヘクトールに言った。
「当然、追放された者の中には反逆の意思を持つ者もいるでしょう。それは後に、災いの種になるかもしれません。なので——」
ハウメアは、ほくそ笑んだ。
「——用意するのです。彼らに『偽りの楽園』を」
「……ほう。『偽りの楽園』、か」
なるほど。ハウメアの言うことも頷ける。
人間族は邪魔だが、追放した者がいつか徒党を組んで襲い掛かってくるかもしれない。こちらとしてはそんなことに時間を割きたくはないのだ。
ハウメアの提案を真剣に考え込むヘクトール。その様子を見たハウメアは、ニヤリと笑いながら彼の目を覗き込んだ。
「なにもタダで、とは申しません。もし許可をいただけるのであれば、わが氷人族に伝わる魔法を献上したいと思います」
「……魔法?」
「ええ、魔法です」
そう言うとハウメアは立ち上がり、振り返って、控えている者に目配せをした。
それを合図に、二人の女性が近づいてくる。ハウメアは向き直り、説明を始めた。
「これは複数人で唱える必要がある魔法です。危険な魔法ではないので、誰か一人、お貸しいただければ」
「……ニサ」
ヘクトールは側に控えている従者の少女に声をかけた。その呼びかけを受け、少女はおずおずと前に出ていく。
少女を取り囲むように、ハウメア、そして二人の女性が立つ。
詠唱を始める三人の女性。やがて言の葉は、紡がれた。
「「——『凍てつく時の結界魔法』」」
魔法の効果が現れると——いや、何も起きたようには見えない。ヘクトールは眉をしかめる。
「……何も起きないではないか」
「ふふ。近づいてよーくご覧になってください、ヘクトール様」
ハウメアに促されるまま、ヘクトールは少女に近づいた。いや、やはり何も——。
「……!!」
ヘクトールは驚愕する。少女は息も、瞬きも、一切していなかったのだ。
そう、まるで時間が止まったかのように——。
「——『全ての魔法を解除』」
ハウメアが声を上げると、少女の時間が動き出した。少女は首を傾げ、ヘクトールを見上げる。
「……あれ、ヘクトール様。いつの間にここに?」
自身の身に何が起こったのか理解できていない少女を見て、目を見開くヘクトール。その驚く様子を見て、ハウメアはにへらーと笑った。
「ご覧の通り、この魔法は『対象の時を止める』ことができます。説明した通り複数人で唱える必要があるので、あまり実用的ではありませんが——」
「交渉成立だ」
「……え?」
あっさりと了承したヘクトールの言葉に、初めて困惑した表情を浮かべるハウメア。
そんな彼女に背を向けて、ヘクトールは歩き始める。
「ついて来い。必要な擦り合わせを、行うとしよう」
「はあ、はい……?」
突然の彼の変わりように、思わず顔を見合わせるハウメアと二人の女性。ハウメアは拍子抜けした表情を浮かべ、ヘクトールのあとをついていくのだった——。




