トロア流迎撃戦 15 —マイナス18℃の世界 後編—
極寒の中、『防寒魔法』が行き渡らなかった兵士たちが次々と倒れてゆく。
ペステラーゼには『防寒魔法』の効果が現れているが、幾分、この寒さだ。加えて、今や腰のあたりまで降り積もっている雪に阻まれ、進軍もままならない。
それでもペステラーゼは必死に進む。ゼンゼリア国方面へと。
もしゼンゼリア国が裏切ったとしたならば、それは本国の危機だ。今、ほとんどの兵をこのトロア地方に駆り出してしまっている。
——もうトロアなんか知ったことか、早く王の元へと帰らねば。
こうして、必死の思いでゼンゼリア国の関所へと戻ってきたペステラーゼの目に飛び込んできた景色は——斥候の兵士から聞いた、そのままの光景が繰り広げられていた。
氷竜は吐く、氷のブレスを。前線の兵士たちが、無惨にも凍らされていく。
——竜。冒険者の中でも最高の実力を持つ者だけが渡り合える存在。
その竜の中でも、火竜の更に上に位置されているという氷竜が、関所を守るように立ち塞がっていたのだった。
降り積もる雪の中、ペステラーゼは膝をつく。どうしろと言うのだ、この状況。
すでに極度の寒さと氷竜による攻撃で、二万からなる兵士たちの大半が失われていた。
その様にペステラーゼが失望に呻いている時。後方の兵たちから、どよめきと、力のない叫び声が聞こえてきた。
「……閣下……ハウメアが追いついてきました……」
その声を聞き、ペステラーゼは虚ろな目で背後を振り返る。
そこには、降り積もった雪を左右に割りながら、静かに歩いてくる二人の姿があった。
ペステラーゼは力なく号令を下す。
「……総員、戦闘体勢。我々が生き残る為には、あの魔女を倒すしかない……」
「……閣下……」
兵士たちを絶望が襲う。
生き残る為に、戦え。どう見ても、降伏するべき状況なのに——。
だが——将の命令だ。やがて、意を決した兵士たちはハウメアへと向かい駆け出していった。
その様子を見たハウメアは、哀しみの表情を浮かべ、かぶりを振った。
「……最後まで戦うか……この、馬鹿たれが」
確かに、例え降伏したとしてもこの戦の総大将であるペステラーゼには、その命をもって責任を取ってもらわねばならない。
ペステラーゼもそれを分かっているのだろう。彼の下した決断は、『自身が生き残る可能性に賭ける』というものだった。
兵士たちは、それに付き合わされる。自らの命を盤面に乗せられて。
ハウメアは顔を上げ、杖を構える。
メルコレディはうつむき、震えながらハウメアの手を強く握りしめる——。
その時だ。突然、ペステラーゼの首が落ちたのは。
ハウメアが驚き、状況を見据えていると——その首を斬った人物、斥候の兵士は、涙交じりの声を響き渡らせた。
「……全員、武器を捨てろ! もういい……我々は、降伏する!」
その声を聞き、兵士たちは歩みを止め、次々と武器を捨て始めた。皆、思いは一緒だったのだ。
杖を下ろすハウメア。彼女はメルコレディに声をかけた。
「メルちゃん」
「……うん」
メルコレディは力を解除する。すると瞬く間に、辺りは暖かい秋風に包まれた。
やがてペステラーゼの首を斬った斥候の兵士は、その首を持ち、力ない足取りでハウメアの元へとやってきた。
そして彼は、跪く。
「……ハウメア様。この首と私の命をもって、どうか我々の降伏を受け入れてはもらえないでしょうか」
「……あなたは、誰かな?」
「……私はハインツ・ヘルトマン。斥候を任されている、一兵に過ぎません。私の首では不足しているのは承知しております。ただ、願わくば、生き残った者の命だけは、どうか……!」
涙ながらに語る、斥候の兵士。その彼の様子を見て、ハウメアは頬を緩めた。
「……仲間のことを想い、自らを犠牲にするあなたの首までとったら、わたしは一生の笑いものだ。もしかして、それが狙いなのかな?」
「……い、いえ、決してそのようなことは!……それに——」
そこまで言ってハインツは、自嘲する。
「——国に帰っても私は大罪人として処刑されるでしょう。閣下の首を斬った時点で、全て覚悟しております」
ハインツの覚悟は本物だ。それを感じ取ったハウメアは、フッと息を吐いた。
「そう……あなたの覚悟は分かった。よし、生き残った者、全員を集めて欲しい。話があるんだ」
ハウメアの言葉を受け、兵に集まるよう伝えるハインツ。
総勢二万いた兵士たちは、今やその一割弱、二千人足らずまで数を減らしていた。
集まり跪く兵士たちの前にハウメアが立つ。その横にメルコレディ、そして、人の姿を形取った氷竜ルー。更には間者の扮装をしているグリムが並び立った。
あまりの人の多さを前に、ハウメアはビクッとするが——彼女は咳払いをし、『拡声魔法』で威厳を込めた声を響き渡らせた。
『まず、皆に聞きたい。この中に、望んでこの戦争に参加した者は、どれだけいる?』
——しばらく待ったが、誰も反応しない。ハウメアは続ける。
『誰もいないという事で、話を進めさせてもらう。あなた達は望まぬ戦争に駆り出され、そして、ペステラーゼに最後まで戦うように命じられた。だが、そこのハインツが降伏を選択してくれた。ペステラーゼと自らの命を差し出してね』
兵たちがざわめく。遠くの方にいて状況を理解しきれていなかった兵士たちも、そういう事かと納得する。
『だから国に帰っても、あなた達はハインツを糾弾しないでやってくれ。あなた達の命は、ハインツの選択で救われたのだから』
「……お言葉ですが!」
ハインツが立ち上がる。
「先ほども申し上げましたように、例え皆に許してもらえたとしても、王や重鎮達は私の行ったことを決して許さないでしょう。なので……」
『ハインツ、皆、心して聞きなさい』
ハインツの言葉を遮り、ハウメアは告げた。
『あなた達の国は、あなた達が帰る頃にはなくなっている。その頃には、ゼンゼリア国の支配下に置かれていることでしょう』
ゼンゼリア軍が出てこなかったのはそういうことか——兵たちは納得し、先ほどよりも大きなざわめき声を上げる。ハウメアは声を張り上げ、続けた。
『ただ、あなた達の「帰る場所」は失われていないはずだ。ゼンゼリア王は約束してくれた。民間人には決して手を出さないと。もし、彼がその約束を違えるようなら——』
ハウメアの瞳が、冷たく光る。
『——わたしがゼンゼリアを滅ぼす』
兵士たちは、息を呑む。目の前の女帝は、それだけの力を持っているのだろうから——。
その怯えた兵士たちの様子を見て、ハウメアは息を吐いた。
『まあ、心配することはない。ゼンゼリア王は善政をもって統治することを約束してくれた。わたしも彼の手腕には期待している。しばらく時間はかかるかも知れないが、今までより、だいぶあなた達の生活は豊かになるだろう。そして——』
そこまで言って区切り、ハウメアは真剣な眼差しで兵たちを見渡す。
『——ここで起きた戦争の悲惨さを、絶対に忘れないよう、あなた達は皆に、後世に、ありのままをしっかりと伝えて欲しい。それがわたしが望む、降伏の条件だ』
当事者であるハウメアがいくら言葉を尽くしたとしても、仲間を失った兵たちにとっては綺麗事にしか聞こえないだろう。少なくとも、今は、まだ。
だが、それでも。
その言葉を聞いた兵士は、一人、また一人と首を垂れる。もう二度とこのような事を起こしてはいけないという想いは、この場にいる皆が等しく感じているのだから——。
——こうして、ここ、ブリクセン北東部の戦いも終結した。
これでロゴール国の攻め入った五箇所の戦争は、全て終結した。もはや、このトロア地方に手を出そうとする国はなくなるだろう。
だが、まだだ。まだトロア地方内『魔法国』との戦争は終わっていない。
舞台は西の森、『六箇所目』の戦場へと移り変わる——。
お読みいただきありがとうございます。
これにて第二章完。次回より第三章『駆けるポラナは涙目で』(全四話)が始まります。
引き続きお楽しみいただければ幸いです。よろしくお願いします。




