トロア流迎撃戦 14 —マイナス18℃の世界 前編—
ブリクセン国北東部、国境沿いの戦い——。
ロゴール国軍総大将であるペステラーゼ率いる本隊は、懸命に山間の谷を引き返していた。
「……ええい、まだか、ゼンゼリア軍は!?」
先ほどから降り続ける雪。それは時間が経過するごとに強くなっており、今や膝下まで白く覆い尽くしている。
更には気温まで下がり続けている——ペステラーゼ隊は白い息を吐き出しながら、後ろから迫り来ているであろうハウメアから逃げ続けていた。
しかし、おかしい。何故、後続しているはずのゼンゼリア国軍の姿が見えないのだ——ペステラーゼは歯の根も合わない寒さの中、歯噛みをする。
(……これは、糾弾ものだな)
異変を感じ、ゼンゼリア国軍も退却してしまったのだろうか。同盟国を見捨てるなんてもってのほかだ。
まあいい。もうすぐゼンゼリア国境の関所にたどり着く。そこを抜け、門さえ閉めてしまえば——。
ペステラーゼが算段を立てる、その時だ。先行していた斥候の兵士が、雪に足を取られながらも懸命に走ってきた。
「——閣下、大変です!」
声が届く範囲から、そう叫び出す斥候の兵士。周囲の兵士たちも何事かと困惑する。これ以上、何があるというのだ——。
ペステラーゼは眉間にシワを寄せ、やがて近くまでやって来た斥候の兵士を静かに怒鳴りつける。
「……士気に関わる。そのような姿を見せるな!」
「閣下!」
それでも叫ぶ兵士。ペステラーゼが大声で怒鳴りつけようとしたその兵士は、悲痛な叫び声を上げて彼の言葉を遮った。
「閣下! 門が……関所の門が閉じられています!」
兵士の報告を聞き、目を大きく見開くペステラーゼ。
なんだ? この兵士は、何を言っている?
——まさか、同盟国であるはずの、ゼンゼリア国が……?
ペステラーゼの中に訪れた、確信めいた予感。彼は顔を真っ赤にし、呻き、怒鳴り散らした。
「……裏切ったな、ゼンゼリア王め……構わん、全力を持って門を打ち破れえっ!」
ペステラーゼの声を受け、駆け出していく斥候の兵士。こんな所で足踏みをしている場合ではない。何しろ後ろからは『氷の女帝』が迫り来ているのだ。
加えてこの雪と寒さ。時間が経つごとに気温は更に下がり雪は降り積もっていく。
魔法部隊が周囲に『防寒魔法』を配ってはいるが——とてもではないが、全員に行き渡らせるのは不可能だ。すでにペステラーゼの見る範囲でも決して少ない数の兵士が倒れ、脱落していた。
急がねばならない——ペステラーゼが進軍を再開した、その時だ。今度は別の斥候が、再び叫び声を上げながらペステラーゼに向かって来る。
「……ペステラーゼ閣下!」
「今度はなんだ! 端的に報告しろ!」
ペステラーゼは苛つく。これ以上は何もないだろうに——。
斥候の兵士は、息も絶え絶えに喚き叫んだ。
「……竜です! 関所の前に竜が舞い降りました!……門の突破は、無理ですっ……!」
†
——前門の『氷竜』、後門の『厄災』。
その様子を一望出来る高台から眺めていたゼンゼリア王は、隣にいる間者の女性に語りかけた。
「圧巻だな。やはりブリクセン……いや、君達を敵に回さなくてよかったよ」
「はは。賢明な判断、感謝するよ、ゼンゼリア王」
そう言って間者の女性は、目深に被ったフードを後ろに外した。
露わになる青髪、整ってはいるがどこかとぼけた印象を受けるその顔立ち——。
そう。間者の女性に扮していたのは、ゼンゼリア王と接触を図ったグリムだったのだ。
ゼンゼリア王は頬を緩め、息を吐いた。
「しかし、今、思い返しても大胆不敵だな。戦争を企んでいる国に乗り込んで、懐柔しようなどと」
「ふふ。それだけハウメアはキミを買っていた、ということだ。それにしてもよく、決断してくれたね」
——ハウメアとグリムの策謀、ゼンゼリア国を裏切らせる。
今回の戦争は大掛かりなものだ。さすがに彗丈からの情報提供だけで動く訳にはいかない。
なのでグリムは、潜り込んだ。裏付けを取るために、裏切らせるために、このゼンゼリア国へと。ハウメアは言っていた。『彼は時勢の動きを読む力に長けている』と。
そして辺境とも呼べる地に君臨する小国の王は、訪れたグリムの話を聞き、彼女の能力を見て——実にあっさりとロゴール国と魔法国を裏切ったのだった——。
ゼンゼリア王は笑みを浮かべたまま答える。
「ああ、まあな。善政を敷くトロアの国々と、圧政で民を苦しめるロゴール国。心情としてどちらにつきたいか、考えるまでもなかろう?」
「ふふ。でも、いいのか? 同盟国を裏切ったりして。その悪評は、後にキミを苦しめることになるかも知れないぞ?」
「フッ、是非もなし。元より我が国の保身のために、仕方なく同盟を結んでいただけのこと。それに——」
彼はマントを翻し、後ろを向いた。
「——英雄『白い燕』に憧れるのは、何も民草だけではないのだぞ? 俺も民衆に語り継がれる、『英雄王』になってみせるさ」
ゼンゼリア王は、眼下に待機している兵士たちを見る。
約一万五千の兵士たち——彼らは王の言葉を待っていた。
高台に立つ王はそんな彼らを見下ろし、高らかに宣言する。
「それでは皆の者、待たせたな。これより、ロゴール国に討ち入る。圧政に苦しんでいる民を、我が国が解放するぞ!」
おおっと湧き上がる歓声。士気の高まりは充分。彼らは『本来の戦争』に使命感を燃やし、気持ちを昂らせる。
ゼンゼリア国を裏切らせる条件——それは、兵士たちが出払ったロゴール国を、ゼンゼリア国に差し出すこと。
その目的もあり、直前まで気づいていないフリをして、ロゴール国軍を各地に引きつける必要があった。
そしてその作戦は功を奏し、今、ゼンゼリア王は、ロゴール国へと向けて進軍する。
最後にゼンゼリア王はグリムに手を差し出す。
「——君よ。君も我らに、同行しないか?」
王のその申し出に、グリムはウインクをして返した。
「はは。行ってもいいが、なに、向こうにも私はいる。向こうで再会しようじゃないか」
「……フッ。つくづく食えない人間だな、君は。本当に敵に回さなくて良かったよ」
ゼンゼリア王は歩き出す。『英雄王』としての道を。その王道を。
そしてその頃、山間部の戦いも、いよいよ大勢が決しようとしていた——。




