トロア流迎撃戦 10 —悪夢の始まり—
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トロア地方、南の地、スドラート——。
崖沿いに身を隠し、漁村の見える位置で作戦開始時刻を待つロゴール軍。
村に動きはない。静かなものだ。
その様子を眺める魔法国所属のオスカーは、眉をしかめながら隣にいるロゴール国将軍、ガラノフに漏らす。
「……ガラノフ殿、おかしいとは思わないか?」
「はい? なにがですかな?」
ガラノフは揉み手をしながら首を傾げる。オスカーは海の方へと視線を向けた。
「あの村は漁村だろう?……なぜ、この時間に船が出ている様子がない?」
確かに。ガラノフは言われて気づく。彼は揉み手をするのを止め、海を睨んだ。
「……言われてみれば……普通漁村なら、早朝から船が出ていてもおかしくはなさそうですが……」
考え込む二人。だが、作戦決行時刻までもう間も無くだ。オスカーは息を吐く。
「念の為、警戒だけはしておいた方がよさそうだな。ガラノフ殿、貴殿も注意されよ」
「ええ、ええ、さすがはオスカー殿! その恐るべき慧眼、このガラノフ、敬服の念に堪えませんぞ!」
「むむ? そうか? まあ、このぐらいの観察力は持っていなくてはな!」
揉み手を全力で大回転させるガラノフに、満更でもない様子のオスカー。
その時、兵士たちの前方からどよめきが聞こえてきた。何事かと顔を向ける二人。やがて、斥候の兵士が一人の女性を連れてやってきた。
「ガラノフ閣下、近くをうろついていた者を捕まえてきました!」
「そうか……ん?」
見ると、その者はウィッチハットにワンピース、マント姿と、いかにも魔女の風体をしている。
彼女はうつむきながら両手を上げ、震えながら声を上げた。
「……アタシは『南の魔女』ビオラ。ねえ、あなたたち……村を襲うつもりなの……?」
その言葉を聞いたガラノフとオスカーは、顔を見合わせて醜悪な笑みを浮かべた。
まさか、標的が向こうからやってきてくれるとは——ガラノフが一歩前に出る。
「……お前が『南の魔女』か。顔をよく見せてみろ」
「……ぁっ……」
ガラノフに顎をつかまれ、強引に顔を上げさせられる女性。
整った顔立ちをしたその女性の瞳は、怯えた様子で潤んでいた。ガラノフの嗜虐心が刺激される。
「手間が省けたなあ。ああ、お前を殺しに来たんだよ」
「……お願い……します。アタシはどうなってもいいから、村のみんなだけは……!」
震えながらも必死に懇願する女性。ガラノフはそんな彼女を壁に押し付け——突然、胸を鷲掴みにし、乱暴に揉みしだいた。
「……なっ!……や……め……っ!」
「フフ……なかなかいいものを持っている。まずはお前だ。どうだ? 村に若い女はいるか? 全員、食ってやるよ」
「……っ!……そんな……!」
女性の瞳が、絶望の色に染まる。ガラノフの手が、女性の腰へと伸びていく。その様子を見て、やれやれとため息をつくオスカー。
その時だ。上空から声が響いたのは。
「ちょっと、アナタ。なにしちゃってくれてんのかしら!?」
その声に全員が顔を上げる。見ると、一人の女性が宙に立つ姿がそこにはあった。
——その者は、ウィッチハットにワンピース、マント姿と、いかにも魔女の風体をしている。
オスカーが、ガラノフが、兵士たちが驚き、捕まえてきた女性の方を見ると——その女性は目を覆っていた。
そしてまた、上空から声が一つ。
「こら! 何やってんのよ、出ていっちゃダメじゃない!」
見ると——ウィッチハットにワンピース、マント姿と、いかにも魔女の風体をしている女性がもう一人現れた。
兵士たちに動揺が走る。同じ格好をした魔女が、三人。内、宙に浮く二人は同じ顔をしている。
最初に宙に躍り出た女性は、あとから出てきた女性に声をかけた。
「あら、お爺さま。本当にアタシにそっくり!『変身魔法』ってすごいのね!」
「………………」
沈黙。あとから出てきた女性は、無言でかぶりを振る。
兵たちは思う。状況はよくわからないが、『南の魔女』側の企みが、一人の人物によって台無しにされたことだけはわかる。敵ながら、気まずい。
そんな中——最初に捕えられてきた女性は、ため息を吐いた。
「……ふう。私はただ、キミ達が降伏勧告をするに相応しい人柄か、確かめにきただけだよ」
「……な、に……?」
目の前の女性の突然の変わりように、ガラノフの眉が動く。
直後——未だに彼女の胸を掴んでいる彼の右腕は、短刀によって斬り落とされた。
「……うっ、うぎゃあああぁぁぁっっ!」
「貴様っ、なにを!」
舞い散る血飛沫の中、傍にいたオスカーは素早く反応し、彼女の首を一刀のもとに斬り抜く。
呆気なく落ちる魔女の首。だが彼女は、その落ちる首を手で受け止めた。
外れるウィッチハット——露わになる、青髪。
彼女は——グリムは首を抱えたままお辞儀をした。
「お初にお目にかかる。私はグリム、この戦争の指揮をとらせてもらっている者だ。出来るだけ穏便に済ませたかったが——」
グリムは腕を押さえてうずくまっているガラノフの元へと、一歩、踏み出した。
「——どうやら少なくとも、一人は生かす価値のない人物だということは分かった」
恐怖し、ひきつれた叫び声を上げながら後ずさるガラノフに、首を抱えたグリムが迫り寄る。その異様な光景を前に、周りは動けない。
グリムは冷酷に、告げた。
「——私の胸に触れた代償は、高くつくぞ?」
その言葉を合図に、崖の上からグリムが大量に降ってきた。
地面に落ち、身体をひしゃげながらも立ち上がる無数のグリムたち。
——悪夢が、始まる。