魔女狩り 01 —ブリクセン・北東—
トロア地方、ブリクセン国、北東部国境。
朝焼けの中、そこを目指して山間の谷を進軍する、大量の兵団の姿があった。
——その数、約二万。
軍は滞りなく、ゼンゼリア国境付近の関所を抜けた。その軍を率いるロゴール国将軍ペステラーゼは、今回の作戦を頭の中で反芻する。
まず、先発隊はロゴール兵の二万。更には後続で、ゼンゼリア兵の一万五千が続く予定だ。
正直、奇襲という点を考えれば、ロゴール兵だけでも過剰な戦力なのだが——ゼンゼリア国も同盟国として、兵を出さない訳にはいかないのだろう。
ゼンゼリアを先に進軍させることも考えたが、何しろゼンゼリアはこの戦、勝ってもトロア地方の領土権を放棄しているのだ。
なので必然的に、ロゴール国が先陣を切るしかない。万一、総力戦になれば痛手ではあるが——直前の情報でも、ブリクセンには動きは見られない、とのことだった。
なら、簡単だ。この兵力で一気にブリクセン城を制圧すればいい。
南からはロゴール軍三千にヘクトールの魔物兵も進軍しているはずだ。例え『北の魔女』と呼称されるハウメアがどんなに凄い人物だったとしても、逃げきれる訳はないだろう。
そう、勝利は確定している。あとはただ、ハウメアを逃がさないことだけが目的だ。
ヘクトールの使者は言っていた。『土地は自由にしていいが、魔女の首だけは絶対にとれ』と。
その為の、朝焼けの中の奇襲。気づいた時には手遅れであろう。
そして首尾よく作戦が完了すれば、この戦の最高司令官であるペステラーゼがこの地方の統治を任されることになっている。
(……クックックッ……もうすぐトロアが、俺のものに……)
ペステラーゼは溢れ出そうになる笑いを噛み殺し、真っ直ぐに目的地、ブリクセンを見据えるのであった。
軍隊は進む、粛々と。目的地であるブリクセンに向かって。
そして、ついに——ブリクセン国の国境が見えてきた。
ゼンゼリア国と同じく、関所によって仕切られている国の入り口。その門は、開いている。
ここを越えれば、ブリクセンだ。ペステラーゼが号令を下し、門へと向けて駆け出そうとした、その時だった。
斥候に出ていた兵士が、慌てた様子で駆け戻ってきた。
「ペステラーゼ閣下、大変です!」
「……どうした?」
ペステラーゼは号令を止め、斥候のことを睨む。兵士は怯えながらも、荒い息を整え、自身が目にした光景をペステラーゼに伝える。
「……私達の進軍が、バレていたようです。関所から、人が……」
「なに?」
兵士の言葉を聞き、関所を眺めるペステラーゼ。だが、ブリクセン軍が出てきた様子は窺えない。
「……何も、見えんぞ?」
「は、はい。出てきたのは、二人だけでしたので……」
「二人? まあ、奴らも我が軍は確認しただろうからな。おおかた、関所に常駐している兵が様子を見に出てきたのだろう——」
「——違うんです!」
ペステラーゼの言葉を遮って叫ばれる兵士の声。ペステラーゼが何か言う前に、兵士は続ける。
「——ハウメアです! ハウメアが出てきたんです!」
「……は?」
思わず気の抜けた返事をしてしまうペステラーゼ。ハウメアが、出てきた?
「……他には?」
「……あ、はい、そのう……その隣に、少女が一人……」
兵士は見たままの事実を告げる。ペステラーゼは固まる。状況が全く理解出来ない。
「どういうことだ? 見間違いではないのか?」
「……い、いえ……私は以前、見たことがあります。あれはハウメアに、間違いありません」
「むう……」
ペステラーゼは考える。ハウメアが出てきたということは、どこかで情報が漏れたのかも知れない。
だが——今回の戦の一番の目的は、ハウメアの首をとることだ。城にいなかったら、手を焼くところだった。
それがわざわざ、向こうから出てきてくれたのだ——ペステラーゼはニィと笑う。
「馬鹿よのう、ハウメア! 大将が一人で前に出てきて、どうする!」
「……あの、二人です……」
「うるさいわい、一人も二人も変わらん! 皆の者、これは千載一遇の好機である!」
ペステラーゼは歓喜に満ちた表情で、関所を指差し、号令を下した。
「——目指すはハウメアの首、ただ一つ! 全軍、突撃!」
†
関所の前に立ち、軍隊が動き出したことを確認したハウメアは、スッと右手を上げる。
それを合図に、関所の扉は閉まり始めた。
そこでハウメア、大あくびを一つ。迫り来る土煙を寝ぼけまなこで眺めながら、隣にいる少女に漏らす。
「……ふうぁふ……まったく、わたしは朝、弱いんだ。勘弁して欲しいよねー」
「……ハウメアちゃん……」
ハウメアの腰の丈ぐらいの少女は、不安そうにハウメアの顔を見る。そんな彼女の頭に、ハウメアは優しく手を置いた。
「悪いね、メルちゃん。こんなことに巻き込んじゃって」
その言葉に少女——いや、少女くらいの背丈まで再生を終えている氷の『厄災』メルコレディは首を横に振る。
「ううん。ここでヘクトールを止めなきゃ、またわたしみたいな人が生まれちゃうかも知れないから……」
「うん、そうだね。でもね、メルちゃん、あなたは目を瞑っててもいい。わたしに力を、貸してさえくれれば」
優しすぎる『厄災』メルコレディ。しかし彼女は、決意を込めた強い眼差しでハウメアを見た。
「わたしも戦う。みんなを、守りたいから」
メルコレディの決意を聞き、ハウメアは寂しそうに目を閉じる。彼女はもう、人を傷つけたくないだろうに——。
「ありがとうね、メルちゃん——」
ハウメアは目をゆっくりと開き、メルコレディの手を引き、一歩前に出た。
「——じゃあ、始めようか。戦争を」
ブリクセンとゼンゼリアの国境戦。ロゴール軍二万とゼンゼリア軍一万五千に対し、ブリクセン国は二人。戦争とも呼べない戦争が始まる。
更にここでの開戦と同時刻——トロア地方各地において、戦いの火蓋は切られたのであった。




