大いなる悪意、戦渦の足音 02 —さよなら、万年氷穴②—
「母様!? お休みになられていたのでは!?」
フィアが驚いた声を上げる。莉奈も目を開き、声を上ずらせた。
「……じょ、女王竜様!?」
「まったく、水くさいのう。ここを発つのだろう? 見送りぐらいさせてくれ」
「……はは。眠っていると聞いていたので……」
女王竜の睡眠時間は、長い。一度眠るとしばらく起きないと聞いていたのだが——どうやら、うたた寝をしていただけのようだ。
「リナよ。妾を降参させた人の子よ。何か困ったことがあれば、妾を頼れ。その時は、力になってやる」
「……いやあ、あはは。ありがとうございますう……その時は、是非」
とはいえ、彼女に迂闊に動かれたら世界を揺るがす大事件になってしまうだろう。加えて、女王竜の力によって維持されているこの万年氷穴もどうなるかわからない。
それを踏まえて、莉奈は社交辞令で返した訳だが——女王竜は満足そうな顔を浮かべた。
「うむ、うむ! そしていつか、妾と再戦してもらうぞ、全力でな!」
やはりかー。莉奈はよろめく。ヴァナルガンドさんといい、どうして神話級生物は私に興味を持つのかなあ。
と、その時だ。街から外へ出る入り口付近に待機していた誠司が、ため息をつきながら懐から投げクナイを取り出した。
それに反応した女王竜は、入り口の方を見て、フッと息を吐き出す。
飛んでいく氷の刃。
「……えっ?」
莉奈が状況を理解出来ずに振り向くと——入り口の付近、とぺとぺと歩いてきた『歩くキノコの魔物』が、氷の刃に串刺しにされている姿が映った。
直後、魔素へと還る魔物——。
誠司はクナイをしまい、女王竜の元へと近づく。
「感謝する、女王竜。侵入はわかっていたんだが、ここまで入ってくるとは思わなかったんだ」
「フン。あの様な低俗な魔物には、妾の威光も通じんようじゃのう」
呆れた口調で息をつく女王竜。その言葉を聞き、誠司は不思議そうな顔で、彼女に尋ねた。
「威光とは、どういうことかな?」
「感謝せい、人の子よ。ここら辺一帯は、妾にビビって魔物なぞ近寄りはせん。まあ、たまに、今のように妾の存在を理解出来ずに近寄ってきてしまう低俗はいるがな」
なるほど。この辺一帯に魔物が少ない理由、そして、この氷穴内に滅多に魔物が入り込まない理由がわかった。
彼らは女王竜の存在を本能的に感じ取り、近づかないのだ——。
だが、それを聞いた誠司は何やら考え込み始めた。
「……誠司さん?」
莉奈が心配して声をかける。誠司は我に返り、女王竜に頭を下げた。
「ありがとう、女王竜。この氷穴は、あなたの力で魔物から守られていたんだな。重ね重ね、感謝する」
「カッカッ、よいよい。妾に恐怖して勝手に寄り付かなくなっているだけのこと。礼には及ばん」
楽しそうに笑う女王竜。
こうしてちょっとしたハプニングはあったものの、莉奈達は皆に別れを告げ、ブリクセンへと帰るのであった——。
†
莉奈が御者を務める帰りの馬車の中、グリムは誠司に問う。
「誠司、どうした。さっきから神妙な顔をして」
誠司の顔は、渋いままだ。やがて誠司は、ポツリと漏らす。
「……レザリア君。私が『厄災』ジョヴェディと戦いに行った日、確か君の頭に『キノコ』が生えていたよな?」
話を振られたレザリアは思い返す。あの日、確か、いつまでも動く様子のない誠司に業を煮やし、感情的に頭のキノコをむしり取って投げつけ——。
「わっ、セイジ様! その節は大変な無礼を——」
謝罪をしようとするレザリアを、誠司は手で制す。そして、再びレザリアに問う。
「……教えてくれ。あのキノコはもしかして……『歩くキノコの魔物』の、幼体か?」
「あ、はい。でも、あの時しっかりと踏み潰したので、問題ないかと——」
「そうじゃない。そうじゃないんだ、レザリア君」
レザリアの言葉を遮る誠司。そのやり取りを聞いたグリムの顔が険しくなり、彼女を問いただす。
「まさか、それは本当なのか? レザリア」
「はい……『歩くキノコの魔物』はジメジメした所を好むので、薄暗い場所で動かなかった私の頭についた胞子が、成長したものかと……」
困惑するレザリア。誠司は目をつむる。
「……胞子とはいえ、魔物の区分だ。なぜ、あそこまで入り込めた? 強力な結界が張られ、魔物が入ってこれないはずの我が家に」
そこまで聞き、レザリアは理解する。そうだ、あの家の周辺には結界が張られている。エリスが張り、最近ライラが張り直した、人を惑わし、魔物を寄せ付けない強力な結界が——。
グリムは自身の考えを口にする。
「……結界が壊れた、とは考えづらい。私達が旅立つまでの間にあったのは、その一例だけだからね。だとしたら——」
誠司は頷き、あとを引き継いだ。
「——ああ。『結界に綻びが生じている』のかもしれない。チッ、ヘザーのバッグを持ってくればよかった……万一もある。とにかく今は、一刻も早く向こうの状況を知りたい」
莉奈も会話が聞こえているのか、不安そうな顔をこちらに向ける。
誠司はため息をつき、つぶやいた。
「……仕方あるまい。不本意ではあるが、彗丈を頼るか……」




