天敵・Ⅱ 06 —決着—
腐食したヴェネルディの肉片は、ズブズブと溶けきった。
やがて全てが溶け切ったことを確認したライラは、トンと杖をついた。
「——『全ての魔法を解除』」
その言葉と共に、花は散り、結界は解除され、紫色の瘴気は風に流されていった。
「……ライラ……」
莉奈は瘴気が晴れたのを確認し、ライラのそばに降り立つ。
ライラは悲しそうな赤い瞳で、莉奈を見た。
「……リナ。お父さんをよろしくね……」
そう言い残し、ライラは魔法を唱える。
「——『子守唄の魔法』」
少女を睡魔が襲う。
彼女が眠りに落ちる直前、ライラはもう一つ、魔法を唱えた。
「——『傷を癒す魔法』」
——少女の身体が、一瞬の光に包まれる。
入れ替わりで顕現した誠司は、小太刀をつきながらしゃがみ込み、荒い息をしていた。
その誠司の身体に、ライラの残した回復魔法の効果が現れ、傷を癒やしていく——。
莉奈が声をかける。
「……誠司さん。ライラがやってくれたよ。とどめを、お願い……」
頷き立ち上がった誠司は、一点を睨み、つぶやいた。
「——……さらばだ、ヴェネルディ。もう帰ってくるんじゃ、ないぞ」
—— 一閃
残された左腕で振るわれた小太刀。
その軌跡は、腐食した肉体の残滓の付近を未練がましくさまよっていたヴェネルディの『魂』を斬り裂いた。
風が吹く。先ほどまでとは違い、柔らかな風が。
——『厄災』ヴェネルディ、完全に消滅。
こうして風鳴りの崖で行われた戦いは、誠司の右腕という犠牲はあったものの、無事に決着したのだった——。
†
「……誠司さん、誠司さあん……」
風鳴りの崖で座り込む二人。
戦いのあらましを伝えた莉奈は、手持ちの回復薬を誠司の傷口にかけながら、残された右腕の部分を恐る恐る撫でる。
誠司は回復薬の沁みる痛みに耐えながら——莉奈の頭をそっと撫でた。
「莉奈、ありがとな。私なら大丈夫。心配するな」
「……でも……でも……私、なにも役に立てなかった……」
「自分を責めるな、莉奈。それを言えば私だって、なんの役にも立っていない。……ライラ……強くなったんだなあ……」
「……うん、うん。ライラね、アイツに対して、ものすごく怒ってたよ……」
「……そうか」
しんみりと語る二人。雲の間から光がさす。
そこに、突然声が響いた。
『——誠司、大変なことになったね』
莉奈はギョッとして意識を飛ばし、辺りを俯瞰した。リョウカのように頭の中に響く声ではない。グリムは谷の向こうにいる。いったいどこから——。
誠司が莉奈の背中に向けて声をかけた。
「……彗丈……やはりか。趣味が悪いぞ」
『——まあ、君なら気づくよね。悪気はないんだ、許してくれ』
莉奈は慌てて振り返る。しかし姿はない。困惑する彼女を見て、誠司はちょいちょい、と莉奈の背中を指差す。
——もしや。
莉奈は思い当たり、急いで矢筒を外した。
妖精王アルフレードからもらった『無限の矢筒』。そこにぶら下げてある『白い燕人形』——。
『——やあ』
「…………喋ったああぁぁっっ!?」
——声の出所は、その『白い燕人形』だったのだ。
†
「……それで、それは君の能力かな、彗丈」
『——ああ。隠していて悪かった。僕は僕の作った人形を通して、物事を見たり聞いたり、こうやって話したり出来るのさ』
「……え?……え?」
困惑する莉奈。声は確かに、ブリクセンで会ったもう一人の転移者、『椿 彗丈』その人の声だった。
ポカンとする莉奈を横目に、誠司は続ける。
「そして君は、君の作った『ヘザー』を通して、私たちの動向を普段から監視していた、そうなんだろう?」
『——へえ、よく気づいたね。グリムかい?』
「ああ。ブリクセンの宿で莉奈と別室になった際、私達は話し合った。決めては彗丈、君が『莉奈が養子になった』ことを、本当に知らない様子だったからだ」
そう。あの時、莉奈と別の部屋で誠司とグリムは話し合った。彗丈は人形を通して、誠司達の様子を監視しているのではないかと。
ヘザーに養子の件は話していないし、彗丈と会ったあの時、『白い燕人形』を『身につけてくれ』とお願いしてきたのも、実にわざとらしい。
『——さすがはグリムだねえ。まあ、一つだけ訂正させてくれ。監視とは違うな。言葉は悪いが、『観覧』していただけさ。『厄災』に立ち向かう君達を、ね』
「……まったく、趣味が悪い」
「——ちょ、ちょっと待って下さい!」
莉奈が素っ頓狂な声を上げる。何事かと顔を向ける誠司。
「あ、あの、見てたってプライベートをですか!? 私のプライベートをっ!?」
頭がぐるぐるする。あれ、この人形の前でお風呂には入ってないよね? いやいや、着替えくらいはしたはずだ——。
『——安心してくれ。僕は三次元には興味ない』
「うおい! そういうことじゃなくて!」
莉奈は『白い燕人形』を握ってぐわんぐわんと揺らす。『白い燕人形』はお構いなしに、しれっと続けた。
『——それに君がサインの練習をしていることも、墓まで持っていくつもりだ』
「……誠司さん。この人形、握りつぶしてもいい……?」
「ンッ、待ちなさい、莉奈。だが、彗丈。私だって気分が悪い。気持ちだけは莉奈に同意するよ」
『——握りつぶすのはちょっと待って欲しいかな、誠司。それをされたら、このタイミングでわざわざ僕が出てきた意味がなくなる』
「……何が狙いだ、彗丈」
遠くから三匹の竜が飛んでくる姿が見える。氷竜達だろう。
『白い燕人形』から聞こえる声は、深刻なトーンになった。
『——ブリクセンに帰って来たら、真っ先に僕の店に来い、誠司。話さなければならないことがある。それに——』
彗丈は確信を持って、告げた。
『——僕のスキルと君のスキルを合わせれば、君の右腕、何とかなるかも知れないぞ?』
——その言葉を最後に、『白い燕人形』は何も応えなくなったのだった。




