天敵・Ⅱ 01 —右腕—
暴風の中、単独で風鳴りの崖を目指していたグリムは、ついに目的地へとたどり着く。
渦巻く烈風。ゴーグルを付けていないと目も開けていられない程の激しい風。何かに掴まっていないとその身が吹き飛ばされるであろう颶風。
グリムは岩にしがみつき、崖の様子を見る。
落とされた吊り橋、その向こうの崖の上では——
「じゃあ、あばよ、セイジ!」
——まさに、ヴェネルディの剣が誠司に振り下ろされる瞬間だった。
ここからでも分かるほど、出血の激しい誠司。右腕は、ない。
その誠司に向かって、空から急降下する莉奈。その身を捨て、割って入ろうとしているのは明白だった。
——いけない、駄目だ、こんなのは。
グリムは胸を押さえ、ありったけの声で叫んだ。
「莉奈ーーっ! 誠司ーーっ!!」
間違いなく訪れるであろう終焉。だが、次の瞬間、グリムの思い描いていた結末とは違う光景がその目に映し出される。
一瞬の光——いや、いつもよりも短い刹那の光に包まれ、誠司の場所に、瞬時に少女が現れていた。
いつもよりも何倍も速い入れ替わり。誠司がこの状況で入れ替わったのか……? いや、それにしては——。
その現れた少女——ライラは、肩に振り下ろされた剣を、冷ややかな目で見つめていたのだった——。
†
割って入ろうとした莉奈は、突然現れたライラに驚き、急停止する。
——まさか誠司さん……死んじゃったの……?
最悪の可能性を真っ先に考えた莉奈だったが、誠司の身体が、渡した小太刀が無いことに気づく。
莉奈は聞かされていた。誠司が命を落とした時、その時は恐らく誠司とライラは分離するだろうと。
なら、まだ可能性はある——莉奈はヴェネルディを警戒しながら、ライラのそばに降り立った。
「……なんだ、お前は?」
誠司と入れ替わりで現れた少女に、ヴェネルディは眉をしかめて問う。
ライラは目の前の青年を睨んだ。
「……お前が……ヴェネルディ……」
「……ちっ、質問してるのは僕なんだけどなあ!?」
再び振り下ろされる剣。しかしライラは、その剣筋を軽く避けた。
余波で巻き起こる風。だがライラは、冷静に言の葉を紡いでいた。
「——『風を防ぐ魔法』」
その効果が現れると、ヴェネルディの剣撃の余波はライラを避けるように、全て流れていく。
ヴェネルディは舌打ちをし、一歩後ろに飛び退いた。
「……ガキが……調子に乗るなよ……?」
「……ライラ……」
「……リナ……空に逃げてて。コイツは私が、滅ぼすから」
「……でも」
「いいから。お願い」
ライラの言葉が、莉奈を刺す。いつもと違うライラの様子に、莉奈は差し出そうとした手をビクッと引っ込めてしまった。
だが、莉奈はライラの強さを知っている。莉奈は困惑しながらも、いつでも動けるように注意を払いながら空に浮かび上がった。
ヴェネルディは忌々しげに吐き捨てる。
「ふざけんなよ? どこから出てきたか知らないが、早くセイジを出せよ」
「……うるさいなあ」
ライラはヴェネルディの言葉を一蹴し、辺りを見渡す。そして目的のものを——見つけた。
それは地面に、無惨に転がっていた。
見間違えるはずもない。この前まで何もない空間で、ライラを包み込んでくれていた、優しく、暖かく、逞しい右腕。
ライラの頭が熱くなる。嘘だと思いたかった。夢だと思いたかった。信じたくなかった。
先ほど、空間の管理者の流した涙から伝わってきた、この戦いの記憶——それが事実だと知り、ライラは目を伏せる。
「……さっきから聞いてりゃ、好き放題言いやがって……言葉づかいに気をつけろよ!? お前も苦しめて苦しめて、殺してやるっ!」
ヴェネルディは吠える。吠えながら剣をやたらめったらと振りまわす。
しかしライラは、それをつまらなさそうに避け続けた。
「……こんなやつにお父さんの腕が……最悪だ」
「……はあっ!? おい、今、なんて言った?」
「最悪。吐きそう。反吐が出る」
「……うるせえ、黙れよおっ!」
ヴェネルディは顔を真っ赤にしてライラに襲いかかる。だが、風の余波を気にしなくていいライラにとって、その剣撃はぬるすぎた。
ライラは距離をとり、莉奈へと声をかける。
「リナ、お父さんの腕。今ならまだ、間に合うかもしれない」
「……!……うん。うんっ!」
そうだ。この世界には魔法がある。きっと、あの腕さえ無事回収出来れば——。
莉奈とライラは、地面に横たわっている誠司の右腕へと駆け向かう。
ヴェネルディとは距離がある。少なくともどちらかが辿り着けば、問題ない。
はずだった。
ヴェネルディは莉奈とライラの狙いが分かり——不敵に笑った。
「……それは困るなぁ。『厄災』の魂を滅ぼす腕だ。治されちゃ困るんだよ」
そう言いながら、ヴェネルディは地面に剣を突き刺した。
だが、もうすぐだ。もうすぐ届く。ライラと莉奈が手を伸ばした、その時——
——地面から風が噴き出した。その風は、誠司の右腕を高く空中へと吹き上げた。
「……リナっ、お願い!」
ライラの悲痛な声が響く。莉奈は急上昇し、飛ばされた右腕の方へと飛び向かう。が——
「——そおれえ!」
——ヴェネルディは剣を振り上げた。直後、誠司の右腕を中心に巻き起こる鎌鼬。
——無数の風の刃が、誠司の右腕を切り刻む。
「……うっっ!」
急いでマントで身を覆う莉奈。余波で切り刻まれ、莉奈の身体から鮮血が吹き出す。
それでも莉奈は必死に、誠司の右腕へ向けて、手を、身体を伸ばそうとする。
そんな彼女の身体に、容赦なく飛び散り、打ちつけ、貼り付いていく、誠司の、右腕だった物の、肉片、そして、骨片。
誠司の右腕が、削られてゆく——。
二人に訪れる、絶望。
やがて、消滅した右腕をその目で確認してしまった莉奈は、赤く染まった身で自分の無力さを呪いながら——地に落ちた。
「……リナぁ!」
ライラが莉奈に駆け寄る。莉奈はライラに、弱々しく微笑みかけた。
「……ごめんね……ライラ……届かなかった……や……」
「リナあっ!!」
自らの願いで傷ついてしまった、大切な姉。ライラは涙を流しながら、莉奈に治療を施した。
そんな彼女達の背後に、ヴェネルディが迫ってくる。
「アーハッハッ! 残念、もう少しだったのにねえ。どうだい、僕に逆らうと——」
「——黙れ」
「……あん?」
莉奈の治療を終えたライラは、立ち上がる。
大好きな父、大好きな姉を傷つけられた。父の腕は、もう戻ってこない。
——こいつは絶対に、許さない。
ライラは、つぶやく。
「……お前の気持ち、今ならわかるよ、ヴェネルディ」
「……ん? どうした、今更謝ったって——」
そこまで言いかけてヴェネルディは固まる。少女からの殺気が、身を貫く。
少女は、静かにつぶやきながら、ゆっくりと振り向いた。
ヴェネルディを鋭く刺す視線。
「——安心しろ。お前は楽には、殺さないから」
その、少女の双眸は——赤く染まっていた。




