天敵・Ⅰ 11 —生き、足掻く—
「…………ハァ……ハァ……」
「惨めだなあ、セイジぃ。さっさとやられろよ!」
ヴェネルディの剣が振り下ろされる。
その剣筋を躱すだけなら造作もない。だが——
「……ぐっ……」
——誠司の身体を、風が切り刻む。彼のまとう作務衣はすでに所々裂かれており、その下から滲み出る血がべっとりと身体に貼り付いていた。
(……誠司さん……)
莉奈は涙を流しながら、傷つく父親をその目で見続ける。
なんとか、なんとかここから脱出する方法を——誠司の覚悟を無駄にしてはいけない。
だが——考えようとしても、目の前で傷つき続ける父親を見て、頭が真っ白になる。
私は、駄目な子だ——。
莉奈は唇を噛み締め、それでも必死に状況を打破しようと考えを巡らせ続ける。
誠司は左手一本で、駆ける。
息が上がる。
血を失ってふらつく。
しかし、娘達を守るためだ。私はまだ、大丈夫だ。
容赦なく襲いかかる剣撃。ヴェネルディの悪魔の笑み。
誠司の意識が、頭から離れかける。
(……ああ、疲れたなあ。私は何で、戦ってるんだっけ……)
——いや、無論、娘の、娘達のためだ。
薄れゆく意識を何とか繋ぎ止め、誠司は駆け続けた。
だが、それにも終わりがやってくる——。
「……くっ!」
「……誠司さんっ!」
疲労から足をとられ、情けなく地面に転がる誠司。
無理もない。右腕を失くし、バランスのとれない状態で駆け続けていたのだから。
ヴェネルディはいよいよ、歓喜の笑みを浮かべた。
「あはは! 頑張ったねえ、セイジ。けど、そろそろ終わりにしよっかあ!」
誠司を見下ろすように、ヴェネルディは立つ。
(……ああ、ここまでなんだなあ……)
ぼんやりとそんな事を考える誠司の脳裏に、走馬灯が流れ始める。
その中の一つ——いつかの莉奈の言葉が、頭に流れた。
——『だから誠司さんもさ、誰かの為に死ぬんじゃなくて、生きて、生きて、足掻こうよ。お互いにね』
(……すまないな、莉奈。私はどうやら、ここまでみたいだ。君は……生き足掻くんだぞ……)
莉奈との約束を果たしきれず、自嘲気味の笑みを浮かべてしまう誠司。そんな彼の様子を見て、ヴェネルディは眉をひそめた。
「……何が、おかしい……?」
誠司は何も答えない。ヴェネルディは思う。死を間際にして、頭がおかしくなってしまったのだろう、と。
——ヴェネルディには一生かかっても理解出来ないだろう。足掻ききった男の、最期の笑みを——。
「じゃあ、あばよ、セイジ!」
振り上げられるヴェネルディの剣。莉奈は涙を風に流しながら、全力で飛び向かう。
(……私が……誠司さんの盾に……っ!)
誠司とヴェネルディの間に割り込もうと決意した莉奈。
時間がゆっくりと流れる。
このままでは、きっと、二人とも共倒れになっていたことだろう——。
だが、運命は、それを許さない。
†
ここは何もない空間。少し前まで、愛で溢れ返っていた空間。
空間の管理者は、誠司とライラの混ざり合っている魂の前に立ち、それを眺めていた。
「……まずいな」
誠司の魂が、弱まっている。
過去、ここまで弱まることは一度たりともなかった。このまま放っておけば、誠司の魂は肉体を抜け出してしまうだろう。
——もしかして自死を選択してしまったのか?
管理者としてやってはいけないことだが、非常事態だ。長年連れ添ってきた友の為に、空間の管理者は手を伸ばし、魂の記憶に触れた。
「……これは……」
外での状況を確認した空間の管理者は、この空間に眠っている少女の元へと瞬時に移動をした。
「……ライラ、起きてくれ」
空間の管理者は、この空間で『眠っている者』に干渉することは出来ない。
だが、空間の管理者は、必死に呼びかける。
「ライラ、君のお父さんが大変なんだ。このままでは、命を落としてしまう」
空間の管理者は、悲しそうな表情で少女に呼びかける。
——僕の声が届くわけないのに——。
そう頭では理解しながらも、空間の管理者は呼びかけずにはいられなかった。
「もうすぐ、君とお父さんは再会出来るんだろう? 頼むから、僕に道具としての役割を、全うさせてくれ……」
気がつけば、空間の管理者は泣いていた。道具としての自分、概念的存在。僕に感情はないはずなのに——。
「……ライラ、お願いだ。セイジを助けてやってくれ——」
少女の手を握る、空間の管理者。その涙が一粒、ポタリとライラの手に落ちた。
「……う……ん……」
少女が、動いた。空間の管理者は目を開き、大声で呼びかけた。
「——ライラ! セイジを……君のお父さんを、どうか助けてやってくれ!」
ポタポタと落ちる涙。その涙は少女の胸に届き、沁み渡っていき——
——暗闇の中、想いを受け取った少女は——
その目を、開いた。
お読みいただきありがとうございます。
これにて第六章完。次回より第七章「天敵・Ⅱ」が始まります。
引き続きお楽しみいただけると幸いです。よろしくお願いします。




