天敵・Ⅰ 09 —最悪の相性—
「……ふむ。熱中症の症状とみて、間違いないだろう」
グリムは軽く診察し、背負っていたバッグから薬を取り出す。
「幸い、症状はそこまで重くはない。メルコレディ、キミのおかげだ。疲労回復薬に、経口補給液に……おっと、メルコレディ、彼女は氷人族だ。薬を凍りつく手前まで冷やしてくれないか」
テキパキとペチカに処置を施すグリム。彼女はペチカの上体を起こし薬を飲ませながら、メルコレディに問いかけた。
「それで、莉奈と誠司は? 風鳴りの崖で、何が起こっている?」
「グリムちゃん、大変なの! セイジちゃんが、リナちゃんが……——」
メルコレディから話を聞いたグリムは、顔を歪める。メルコレディは見ていた。莉奈の小太刀が、ヴェネルディに通用しなかったこと。そして、誠司がペチカを助けた後、吊り橋のロープにぶら下がっていたことを——。
「……なるほど、状況はよくないな……」
グリムは短刀で自分の腕を斬り落とした。瞬く間に作り上げられる、もう一体のグリム。
「メルコレディ。一人の私はペチカを背負って万年氷穴へと戻る。申し訳ないが、私の背中ごとでいい。全力でペチカを冷やし続けてくれ」
「……もう一人のグリムちゃんは……?」
メルコレディは不安そうに尋ねる。グリムは立ち上がり、風鳴りの崖の方を睨んだ。
「……風鳴りの崖へと向かうが、期待しないでくれ。どうやらあそこへ近づくほど風が強くなっている。歩くこともままならなくなるだろうな」
†
「どうしたぁ、セイジぃ! 僕を滅ぼすんじゃなかったのかあ!?」
嬉々として振るわれる、ヴェネルディの剣。
本来なら誠司の相手になる剣筋ではないが——風が厄介だ。躱してはいるが、余波で誠司の服と肉体に無数の傷がついていく。
加えて、こちらの攻撃は全て風で防がれてしまっている。
「誠司さんっ!」
莉奈が牽制のために空から襲いかかる。その小太刀を風の障壁でぬるりと受け流したヴェネルディは、莉奈の腹を蹴飛ばした。
「……ぐっ……!」
「ちょこまかと鬱陶しいんだよ……」
「……莉奈!」
誠司の声が響く。莉奈は身を翻し、すぐさま上空へと退避した。莉奈を狙って振り下ろされたヴェネルディの攻撃は、空振りに終わる。
「……チッ」
ヴェネルディは剣を振り上げ、力を溜めた。風の刃だ。
大きな隙を見せているヴェネルディに、誠司は斬りかかる。
だが、その誠司の鋭い一撃すら、ヴェネルディの風の障壁は受け流した。
誠司に構わず、空に浮かぶ莉奈目掛けて振り下ろされるヴェネルディの剣撃。
風の刃が莉奈に向かって飛んでいくが、莉奈はそれを飛び躱す。
この間、誠司はヴェネルディに五連撃を叩き込むが——それらは全て、風の障壁に流されてしまった。
——『最悪』の相性。誠司と莉奈は、苦々しくヴェネルディを見据える。
「……全く、ちょこまかまと逃げやがって……いいから大人しく斬られろよっ!」
風をまとったヴェネルディの剣。誠司は躱すが、余波でまた傷が出来上がる。
(……誠司さん……)
不安な表情で戦いを見守る莉奈。今までの経験で、多少は自分にも出来ることがあると思っていた。自信がついていた。
しかし——この戦いにおいて、莉奈は全くの無力だった。助けを呼ぼうにも崖の外に出られない以上、打てる手が、ない。
そんな莉奈を横目で見て、誠司は息をつく。
(……莉奈、大丈夫だ。ここは私に……君のお父さんに、任せておきなさい)
誠司は集中する。ここで誠司が倒れれば、次は莉奈が餌食になるのは間違いない。
そんなことは、させない。こんな自分を慕ってくれる、大切な娘なのだから。
誠司は駆ける、集中しながら駆け続ける。
ヴェネルディの攻撃を躱しながら、駆け続ける。その身が傷つこうが、駆け続ける。
何も莉奈のためだけではない。自分のためでもあるのだ。
——なぜなら、ここを乗り越えれば——。
「……斬られろっ!」
ヴェネルディは剣を振り上げる。誠司は集中していた。奴の動きがスローモーションに見える。
そして——。
「——そこだ」
——風の障壁の合間を縫って放たれた、誠司の突き。
その突きは、ヴェネルディの鎧の隙間をも縫って——彼の身体に、深々と突き刺さっていた。
「……ぐっ……!」
「——悪いね。愛娘との再会が、控えているんだ」
そう。ブリクセンでの用事を済ませ家に帰る頃には、ライラと再会出来る準備が整っているだろう。
誠司はいつだったか、深夜の森で莉奈に話したことを思い出す。
——『あの時よりかは、生きて、君とライラの並んでいる姿を見てみたいと思っているよ』
その夢がもうすぐ叶うのだ。こんな所でやられる訳にはいかない。
ヴェネルディは苦痛に顔を歪め、叫ぶ。
「…………いてえっ、いてぇよおーーっ!」
誠司は容赦なく、刀を横に引き抜こうとした。
だが——ヴェネルディは急に真顔になり、その誠司の刀身を、掴んだ。
ヴェネルディはつまらなさそうに誠司を見下す。
「……で?」
彼の、刀を掴む左手から巻き起こる風。誠司は急ぎ、刀を引こうとするが——
「ははっ、残念でしたあ!『厄災』にこの程度の傷、効くわけねえだろうがよっ!」
——パキッ
虚しく音を立て、誠司の刀身が、風に砕かれた。
力を入れていた誠司は、少しよろめいてしまい——
その大きな隙に向かって、ヴェネルディの剣は、振り下ろされた。
(……私は、私は家に帰って、ライラと……莉奈と……)
誠司は身体を庇いながら、避ける。
直後、舞い上がる、血飛沫。
「……誠司さぁんっ!」
莉奈の悲痛な叫び声が、風の中、響く。
(……私は……私は……帰るんだ……)
幸せを掴むはずだった、娘を抱きしめる為のその腕は——
——その誠司の右腕は、宙を舞っていた。




