天敵・Ⅰ 04 —風は吹き始め—
「……誠司さん。とりあえずペチカの家、行ってみよう。私、知ってる」
「……莉奈、念の為、準備してきなさい。嫌な予感がする」
「……うん、わかった」
莉奈は開けっぱなしになっている窓から自分の部屋へと戻り、手早く準備を終える。
一分後、準備を終えた莉奈は誠司の元へと降り立った。
「お待たせ。皆に知らせなくていい?」
「……ああ。状況が分からないからな。今は、急ごう」
誠司と莉奈は駆け出す。ペチカの家に向かって。彼女の家は、氷穴の入り口近くにある。
そして数分後——誠司はペチカの家の扉をノックした。
静かに、幾度にも渡って繰り返さるノック。
焦燥感に駆られる誠司。やがてその家の扉は開き、寝起きの顔をしたペチカの父親が顔を出した。
「……ああ、おはようございます、セイジさん、リナさん。どうかされましたか?」
「……単刀直入に聞く。ペチカ君は、どこに行った?」
その誠司のただならぬ様子に、真顔になるペチカの父親。
彼は辺りを見回して、外履き用のペチカの靴が無いことに気づき——娘の名を叫びながら、ペチカの寝室へと駆け向かった。
「ペチカ、ペチカ!」
「……失礼、私達も上がらせてもらうよ」
父親の後に続く、誠司と莉奈。
そして父親は部屋に入り、立ち尽くす。
その部屋にいるはずの、ペチカとメルコレディはいなかった。
代わりに、テーブルの上に残された書き置きが一つ。
それを目にした父親は、力なく膝をついた。
「……失礼」
誠司は断りを入れ、書き置きを覗き込む。そこには、こう書かれていた。
——『お母さんに会いに行ってくるね。メルちゃんもいっしょだから、だいじょうぶ。心配しないで!』
誠司と莉奈の顔が苦痛に歪む。昨日のペチカの言葉が思い出される。
——「あのね、ペチカね、お母さんいないの」
誠司は事実を確かめるために、父親に話しかけた。
「……君。ペチカ君の母親というのは……」
「……はい……妻は……亡くなりました。ペチカがまだ、小さい時に……。くそ、なんで私は、ペチカが出ていくのに気がつかなかったんだ……」
自責の念に囚われ、力なく床を叩く父親。誠司の胸が締め付けられる。
「……それで、母親に会いに、というのは」
「……恐らく……妻の墓のことでしょう。妻が亡くなった時に、一度だけ連れて行ったことがあります。ペチカはよく、地図を眺めていました……場所が、分かるのかも知れない……」
涙を零しながら床をじっと見つめ、父親はつぶやく様に答える。言わずもがな、氷人族はこの真夏の気候、外の暑さにさらされたら、命は、無い。
誠司は膝をつき、父親の肩に手を置いた。
「……大丈夫だ。こんな状況だが、君にはささやかな好材料が二つある」
無言で顔を上げる父親。彼を見つめる誠司の眼鏡越しの瞳は、優しかった。
「一つは、メルコレディの力は君の想像以上に凄いこと。彼女ならペチカ君を、守ってやれるだろう。そして、もう一つ——」
誠司は立ち上がり、莉奈の肩に手を置いた。
「——ここには、人探しのスペシャリストが二人もいる。だから、安心してくれ。ペチカ君を無事、連れ戻してやる。場所を教えてくれ——」
†
ペチカの家を出た誠司は、苦悶の表情に満ちていた。
莉奈は先ほどの会話を、頭の中で反芻する。
——「……はい。妻の墓は、『風鳴りの崖』という場所にあります」
——「……風鳴りの崖……なぜ、そんな所に……」
——「……生前、妻と私が真冬によく訪れていた場所なんです。彼女はそこから見える景色が大好きで……」
——「……そうか、わかった。では、私達は早速向かう。君、宿にいる私達の仲間に、このことを伝えてくれ」
————……。
早足で歩く誠司。莉奈は、誠司の顔色を窺う。
「……ねえ、誠司さん。顔、怖いよ……?」
「ああ……すまない。だが、莉奈、急いだ方がよさそうだ」
「……どういうこと……かな?」
莉奈の中に、ある一つの拭えない不安が生じる。それは、もし口に出して認められてしまったら、最悪を覚悟しなくてはならないほどの大きな不安。
だが誠司は——その莉奈の考えを、不安を、予感を、肯定する事実を告げた。
「——莉奈。当時の私とエリスが『厄災』ヴェネルディと戦った場所、どこだと思う?」
そこまで聞けば、もう答えが出たようなものだ。予感は間違いであって欲しかった。しかし、現実は認めないといけない。
莉奈は唾を飲み込み、呻くようにその名を口にする。
「……『風鳴りの崖』……とかかな?」
「……そうだ。当時の私とエリスは、『風鳴りの崖』で、『厄災』ヴェネルディを討ち倒したんだ」
誠司と莉奈は、氷穴の外へと出た。
髪が揺れる。白いマントがたなびく。誠司の作務衣が身体に張り付く——。
「……チッ、嫌な風だな。急ぐぞ、莉奈」
——風は先ほどよりも強く、音を立て誠司達に吹きつけるのだった。




