そして私は街を駆ける 03 —枕—
「お邪魔しまーす」
誠司の後に続き部屋の中へ入った莉奈は、部屋の様子を見てある種の感動を覚える。
「……誠司さん、なんか宿って感じだね!」
「そりゃまあ、宿だからな」
少し広めの部屋にベッドが二つ。食事するには申し分ない程度のテーブルに、人ひとりが横になれるゆったりとしたソファ。
壁に飾ってある、妖精が木で休んでいる絵画はこの宿名を表したものか。
莉奈は『汚れを落とす魔法』を誠司と自身に唱え、荷物を置きコートを壁に掛ける。
「いやあ、宿泊なんて学校の行事以外じゃ初めてだよー。ワクワクするなあ」
ニコニコしながらベッドにポスンと座る莉奈を見て、家族で旅行は——と言いかけた誠司の口が止まる。
危ない。彼女の元の世界での家庭事情を聞く限り、そんな事はあり得なかったのだろうから。誠司は慌てて言葉を変える。
「——そうか。とは言っても、この部屋はうちと造りは大差ないだろうに」
「もう、分かってないなあ、誠司さんは」
莉奈は枕を手に取り顔を埋め、匂いをかいだ。ほのかに花の優しい香りがする。
「あ、いい匂い。こういうのはね、気分が大切なんだよ、気分が。誰かと一緒に、旅先で、寝食を共にする。そこに、部屋の造りは関係ないでしょ?」
「……ああ、確かにな。私も昔は旅ばかりしていたからな、気持ちは分からなくもないよ」
誠司は、そう答えながら荷物の入っている麻袋を、莉奈の荷物の隣りに置く。
そして、誠司が椅子に座るタイミングを見計らって、莉奈は本題を切り出した。
「それで、この後のご予定は? 私はどうしたらいいかな?」
「そうだな。私は食事をとったら寝る。今動くと、途中でライラが起きてしまうからな。レティさんの話で、大体どの区画を捜せばいいのかの目星はついた。だが、出来れば夕方前には動き出したい。ライラには申し訳ないが、その時間には無理矢理にでも寝かしてくれ」
「うん、了解。街には出ない方がいいよね?」
「ああ。ただ、この件が片付いたらゆっくり観光して貰っても構わない。今日一日退屈だろうが、そう言ってライラを宥めすかしてくれ」
そう、その為に莉奈はこの街に来たのだ。責任重大だ。
ライラに勝手に動かれると、この後の誠司の予定が全て狂う可能性がある。
それは即ち人身売買が成立し、追跡が困難、或いは奪還が不可能になるかもしれないという事だ。
「うう、起きていられるかなあ」
「なに、ライラも状況を分かってくれるだろう。君も説明が終わったら軽く寝なさい。いつもお肌の事を気にしてるじゃないか」
「ふふん、誠司さんの自慢の娘でいたいからねえ」
莉奈の揶揄う様な笑いに、誠司は眉をしかめる。
まったく、親の心子知らずとはよく言ったものだ——いや、子だと認めた訳ではないのだが。
そんなくだらない言い合いをしている所で、誠司は階下から人が上がって来る気配に気づいた。ヤントの魂だ。足音が近づき、扉がノックされる。
「セイジさん、食事をお持ちしました――」
†
「んふー、おいしー!」
ヤントが用意してくれたのは、揚げたてのカツに新鮮なキャベツがパンに挟まれている、いわゆる、カツサンドだった。
「うん、食事は相変わらず旨いな。朝っぱらから少し重たい気もするが」
「誠司さん、一期一会だよ! 疲れで油ものがキツくとも、こんな美味しい物、今は甘んじて受け入れなきゃ!……あ、でも無理なら私が貰うけど?」
実際、昨日はそれ程食事をとれた訳ではない。加えて、深夜の強行軍だ、お腹が空いてないわけがない。
それでも莉奈は、最初にカツサンドを見た時は、疲れで油ものは喉を通らないんじゃないかと心配した。だが、杞憂だった。
一口目をかぶりついた瞬間、肉汁と旨味が口の中に溢れ出し、脳が『喰らいつけ』と全身に命令する。
それは誠司も一緒だった様で、なんだかんだ言いながらも莉奈より先に平らげてしまった。今は指まで舐めている始末だ。
莉奈も最後の一口を飲み込み、水差しに用意されていた水を口に流し込む。こちらにはレモンの様な風味がつけられており、口の中がサッパリとする。
「ふう、ごちそうさま。とっても美味しかったあ」
「そうだろう? この宿は夜は酒場の営業もしているが、酒より食事目当ての客が多いくらいだ」
誠司の話もうなずける。ただの軽食でこのレベルだ。これは俄然、他の料理が楽しみになる。莉奈はよだれを垂らしながらベッドに飛び込んだ。
「……はあ、幸せだあ。なんだか眠くなって来ちゃったよお」
「ま、待て、まだ寝るな莉奈。もう少し起きててくれ!」
慌てる誠司の言葉を聞き、莉奈はガバッと身体を起こして誠司に舌を出した。
「はは、分かってるよ。そういや私、勝手にこっちのベッド使っちゃってるけどよかった?」
「ああ、私とライラには必要ないからな。好きな方を使ってくれ」
「わかった、ありがと。でも、だったらベッド一つの部屋でもよかったんじゃない?」
こういう細かい所の節約はどうしても気にしてしまう。幼少期より家計簿と睨めっこしてきたのだ。
誠司の懐具合は知らないが、自称娘としては気になってしまうのだ。
「そりゃ、はたから見たらベッド一つの部屋に男女なんて、社会的体裁がよろしくないだろう。まあ、この世界では割と当たり前だったりもするがね」
「だったらいいじゃん、気にしなければ。あ、もしかして恥ずかしいの?」
莉奈のニヤニヤした物言いに、誠司は深く息を吐き返答する。
「私というより君の体裁だな。後は、君に変なことを吹聴されない様に、という思惑もある」
一緒の部屋という時点で体裁も何もあったもんじゃない、と莉奈は思うが、ここは軽く「はいはい」と受け流しておく。
だが、莉奈の事を気遣ってくれたのは確かだ。期待に応えて、ちゃんと変なことを吹聴してあげなきゃな、と心に決める。
「そういえばさ——」
ふと思いついた様に、莉奈が口を開く。前から気になっていた事だ。失礼な質問じゃないよね、と莉奈は一応頭の中で思案してから誠司に聞いてみる。
「——誠司さんとライラ、当たり前だけどベッドで寝ないんだよね。向こうの寝心地はどうなの?」
「寝心地ね——どうなんだろうな。もう慣れてしまったからなあ……悪くはないが、布団が恋しくなるのは確かだ」
「ふうん。布団は持ち込めないの?」
誠司とライラは、身につけているものだったら向こうの世界に持ち込める。着ている服然り、ライラの杖然り、誠司の刀然り。
莉奈はもしかしたら、布団にグルグル巻きになって寝れば、布団を持ち込めるのではないかと思ったのだが——。
「いや、布団は無理だな。サイズ的に『身につける』という概念から外れているらしい」
「グルグル巻きになっても?」
「ああ」
「……やってみたんだ?」
莉奈は首を伸ばして誠司の顔を覗き込んだ。誠司は頬を赤らめ、目を逸らす。
「……色々試してみただけだ。私はもう寝る。後は頼んだぞ」
「あ、ちょっと待って!」
いたたまれなくなり、不貞寝しようとする誠司を莉奈は引き留める。
そして、莉奈の傍らにある枕を誠司に投げ渡した。
「ほいっ! いい匂いするんだよ、それ。これぐらいだったら持ち込めるでしょ?」
誠司は突然投げられた枕を受け取り、目を見開いた。そして、その目を細めて枕を眺める。
誠司は枕を抱えて、そのまま目を閉じた。
「——ありがとな、莉奈」
そう言って光に包まれる誠司の口元は、少し綻んでいる様に見えた。莉奈もそれに釣られて口元を緩ませ、誠司を見送った。
そして、入れ替わりで現れるライラを迎える。




