竜の理、人の理 02 —赤と青—
空洞の中央部へと向かい歩いていくクレーメンス。壁際へと移動する莉奈達。
それを見た三人の氷竜の内の一人が、笑顔を浮かべてクレーメンスの元へと歩み寄ってきた。
「嬉しいわ、さっきの続きが出来るだなんて。簡単にはやられないでちょうだいね」
そう言って彼女は舌舐めずりをする。
三人の氷竜達はいずれも美しく、人の姿をとったヴァナルガンド同様、幻想的な雰囲気に満ち溢れていた。
三人とも淡く青に輝いた半透明の布を基調とした服をその身にまとっており、醸し出す空気はそれはもう、つまびやかで、たおやかで。
今、クレーメンスと対峙している氷竜は、その美しい青白色の長い髪を片方のサイドで束ねている、三人の中では一番長身の氷竜だ。
そんな彼女に向けてクレーメンスは魔剣を構え、名乗りを上げた。
「俺の名はクレーメンス。『魔剣使い』だ。安心してくれ、簡単にやられるつもりは、ない」
「ふふ、楽しませてね。あたしには名前がないんだ。好きに呼んでちょうだい」
その言葉を聞き、先ほどまで浮かべていた薄っすらとした笑顔も消え、氷竜を無表情で見つめ始めるクレーメンス。
ん? と、氷竜が眉をしかめ始めた時——
「そうだな。では、『フィアンドロッセ・マルチャリオス』というのはどうだ?」
ガクン。「長いわ!」という声と共に、莉奈がよろめく姿が目に入る。
真面目に考えていたのか。氷竜も呆れた様子でクレーメンスを見る。
「フィアンド……ええと、どういう意味なの?」
「意味はない。だが、かわいい語感だと思うが」
「えっ、か……かわ……いや、かわいくない! せめて、もうちょっと短いのにしてくれない……?」
げんなりとした表情でクレーメンスを見る氷竜。
そんな二人のやり取りを、ため息をつきながら見ていた女王竜が口を開いた。
『……挨拶は済んだかの。では、そろそろ始めよ』
その言葉を合図にクレーメンスは詠唱を始める。氷竜は動かない。
そして言の葉は紡がれた。
「——『火弾の魔法』」
燃え上がる刀身。それを見届け、ようやく身構える氷竜。クレーメンスは口端を上げた。
「待ってくれるなんて、随分と優しいな。いいのか? そんな余裕で」
「ふふ、簡単に終わらせちゃつまらないでしょう? さあ、さっきの続き、始めましょう!」
駆け出す氷竜。クレーメンスは刀身を振るい、彼女を牽制しながら応えた。
「ああ。行くぞ、フィア!」
「えいっ!」
フィアが腕を振ると、青い三本の爪痕が空中に軌跡をつくる。
それをくぐり抜け、低い体勢から薙ぎ払いを繰り出すクレーメンス。フィアは背中から翼を生やし、宙へと飛び避けた。
その彼女目掛け連続で放たれた斬撃が、炎の十字となって襲いかかる。
それを旋回して躱し、フィアは口から氷のブレスを放った。それを駆け抜け、躱すクレーメンス——。
先ほどの戦いとは違い、今のクレーメンスには足場がある。避けることのかなわなかったフィアのブレスも、今は機動力で躱すことが出来る。
クレーメンスは駆け、隙を見て斬撃を放ち、魔法を詠唱しなおす。
フィアは避け、隙を見て滑空し、クレーメンスに爪で襲いかかる。
致命傷こそないものの、互いが傷を与え合う。
そんな戦いが、どれだけ続いただろうか——。
「えいっ!」
「ふんっ!」
交差する爪と剣。迸る赤と青の閃光。鮮やかな色が辺りを照らす中、二人は距離をとり、不敵に笑い合った。
「……やるわね、人の子のクセに」
「……人も竜も関係ない……そうだろ?」
「……ふふ、そうね」
互いに駆け抜け、再び交差する二人。
「でもあなた、息が上がってきているんじゃない?」
「……まあな。では、提案だ。先ほどの『歌』を、流してもいいか?」
「……『歌』? ああ、あの力がみなぎってくる不思議な歌のこと?」
フィアはクラリスのことを横目で見る。確かにあの歌が聴こえてきた瞬間、フィアの身体は羽のように軽くなった。
「いいけど、あたしにも効果があるんじゃない? 意味あるの?」
「まあ、な。ただ、楽しませてやることは保障する」
そう言ってニヤリと笑うクレーメンス。フィアは口元を押さえ、クスクスと笑った。
「いいわよ、やってごらんなさい。そして母様を、楽しませてみせて」
「ありがとう、感謝する。……クラリス、歌を歌ってくれ!」
クレーメンスは声を張り上げ、魔力回復薬を取り出し飲み干した。
クラリスは頷き、魔法の歌を歌い始めた。
——彼女の透き通った歌声が、この空間に響き渡る——
フィアは改めて驚かされる。歌が流れてきた瞬間、力はみなぎり、身体は軽くなり、わずかにあった疲労も感じなくなった。
「あーっはっはっ、すごいわねコレ。負ける気がしないわ!」
「ふっ……かかってこい」
身の軽くなったフィアは、先ほど以上のスピードでクレーメンスに襲いかかる。クレーメンスは駆け出し、魔法の詠唱を始めた。
「——『火弾の魔法』」
クレーメンスの刀身が赤く燃え上がる。
「どうしたの? かかってらっしゃい!」
連続で襲いかかるフィア。クレーメンスは駆け続け躱すが、彼女の息をもつかせぬ攻撃に段々と追い詰められていった。
クレーメンスは隙を見て、詠唱する。
「——『火弾の魔法』」
クレーメンスの刀身が赤く燃え上がる。
それでも反撃してこない彼に対し、いい加減フィアの表情にも苛立ちの色が現れ始めた。
「……逃げ続けても、勝てないわよ!」
フィアの爪がクレーメンスの肩を抉る。吹き出す赤。先ほど抉られた傷口が、また開く。
それでも、クレーメンスは詠唱する。
「——『火弾の魔法』」
クレーメンスの刀身が赤く燃え上がる。
「…………えっ?」
そこまできて、さすがのフィアも異変に気づく。この男は、いったい何をやってるの……?
距離をとり、警戒しながら観察するフィア。
お構いなしにクレーメンスは詠唱する。
「——『火弾の魔法』」
クレーメンスの刀身が赤く燃え上がる。
炎に身を焦がしながらもクレーメンスは詠唱する。
「——『火弾の魔法』」
クレーメンスの刀身が赤く燃え上がる。
「……ちょっと待って……何よ、それ……」
フィアの言葉に応えることなく、仁王立ちになってクレーメンスは詠唱を続ける。
「——『火弾の魔法』」
クレーメンスの刀身が赤く燃え上がる。
クレーメンスは速度を上げ、詠唱する。「——『火弾の魔法』」クレーメンスの刀身が赤く燃え上がる。
クレーメンスは詠唱する。「——『火弾の魔法』」クレーメンスの刀身が赤く燃え上がる。クレーメンスは詠唱する。「——『火弾の魔法』」クレーメンスの刀身が赤く燃え上がる。クレーメンスは詠唱する。クレーメンスは詠唱する。クレーメンスは詠唱する「——『火弾の魔法』」「——『火弾の魔法』」「——『火弾の魔法』」クレーメンスの刀身が赤く燃え上がる。クレーメンスの刀身が赤く燃え上がる。クレーメンスの刀身が赤く燃え上がる…………
動きを止め、目の前で作り上げられていく炎の芸術に見惚れてしまうフィア。
今や彼の刀身からは巨大な炎が立ち昇り、意思を持っているかのようにうごめいていた。
やがて詠唱を終え、炎と血の赤に染まっている彼は目を細め、口元を緩ませる。
「……待たせたな。では行くぞ——」
クレーメンスはつぶやき、その巨大な炎の剣を振り下ろした。
「——飛べ」
その言葉と共に、剣から飛び立つ鳥の形状をした巨大な炎。それは空気を震わせ、鳥の鳴き声のような音を立てフィアに襲いかかった。
「……くっ!」
我に返ったフィアは、氷のブレスを吐いて相殺しようとするが——その『火の鳥』の前には、全くの無力であった。
「……あ……」
フィアに火の鳥が迫る。動けないフィア。彼女は『死』を覚悟する。
そして、それが彼女に当たる直前——クレーメンスが剣を横に振ると火の鳥は方向を変え、誰もいない壁に向かって飛んでいき、ぶつかって弾けた。
衝撃で起こる轟音。立ち昇る砂煙。霧散する炎。吹き抜く熱波。
自身が助かったことを知り、フィアは茫然とした様子でヘナヘナと地面に降り立った。
クレーメンスは剣を鞘に収め、すっかり戦意を喪失してしまった彼女に向かって、微笑んだ。
「——どうだろう、少しは楽しんでもらえたかな?」




