眠れる氷の女王竜 05 —その存在意義—
崖上に残して来た左腕はすでに再生を終え、新たなるグリムを形作っている。
グリムは落ちながら、つぶやいた。
「——『千騎当千』」
直後、彼女の身体は地面に衝突し——四散した。
——飛び散った肉片が意志を持ちうごめき出す——。
†
私は距離をとって降り立ち、そろーりそろりと女王竜に近づいていく。
ぐっすりと眠っているようだが——鼻息だけでも冷たい風が吹き抜ける。『防寒魔法』がなければ耐えられないかもしんない。
ただ、まあこれだけ近づいても起きる様子がないということは、しばらくは大丈夫なのだろう。
よし、役目は終わった。あとは早く戻って皆んなに報告を——
「——避けろ、莉奈!」
「え?」
——突如響くグリムの声。私は反射的に、空中へと浮かび上がる。
直後、私のいた場所に襲いかかる氷のブレス。えっ、待って。何が起こってるの。
私が氷のブレスの出所を見ると——女王竜の背中から顔を覗かせた一匹の氷竜が、私のことを見据えている姿があったのだった。
私は唾を飲み込んで、地表に何体もいるグリムに向かって声を上げる。
「ありがと、グリム。助かった。でも、なんで——」
「まだだ! 避けろ!」
私の言葉を遮って叫ばれるグリムの声。今度は私が反応するよりも早く、私のいる位置に両方向からブレスが襲いかかってきた。
「ひゃっ!」
避けきれないと悟った私は、マントで顔を覆う。しかし、いつまで待っても冷気が私を包むことはなかった。
私が薄っすら目を開けると——暗い。何かに包まれているようだ。この感じは覚えがある。これは——
「リナさん!」
——その声と共に私を包んでいる砂の球体は解除され、砂嵐に乗った女性が私の隣に降り立った。
私は彼女——マルティにお礼を言う。
「ありがと、マルティ。助かったよ」
「ううん! 気をつけてね……」
私はマルティに頷きながら、周囲を観察する。
目の前には眠っている女王竜。その背中に一匹、そして女王竜の両脇から二匹の氷竜が姿を現し、私のことを見つめていた。
そして、私達側。マルティが砂嵐に乗って私の隣に立ち、地表ではグリムが彼女のスキル『千騎当千』を使ってその数を増やしながら注意深く様子を窺っている。
女王竜を起こさないことを考えると——ここは逃げの一手だろう。
しかし、だ。私は考える。
ここから氷人族の皆んなが住む街まで、そんなに距離がある訳ではない。
見た感じ、三匹の氷竜は私達がやってきた通路を通れる程度の大きさだ。放っておくと、街が危ないかもしれない。
一体、どうすれば——私が考えを巡らしている、その時だった。ドォンという何かの衝突音が皆んなのいる入り口の崖の下の方から聞こえてきた。
私は音のした方へと意識を飛ばす。そこには——
「……ライラ!?」
——崖の上から飛び降りてきたであろうライラがめり込んだ地面から抜け出して、こちらに向かってパタパタと駆けてくる姿があるのだった。誠司さんの指示か。
私とマルティは氷竜に注意を向けたまま、一体のグリムの側に降り立つ。両サイドの二匹の氷竜は、こちらを警戒しながらにじり寄ってきていた。
「グリム、どうする!?」
「あの……砂で埋めて窒息させるのは……」
いつでも発動出来るよう、右手を上げるマルティ。だがそのマルティの腕を抑え、グリムは首を横に振った。
「……実際に見て、確信した。少なくとも女王竜には手を出さない方がいい。出しちゃいけないんだ」
「……なんで……?」
そう言っている間にも、氷竜はゆっくりと距離を詰めてくる。
警戒するグリム。冷たい風が吹き抜け、彼女の髪を揺らす。
グリムはため息をつきながら、作り上げたグリム隊を前に出して壁を作った。
「……莉奈、マルテディ。なぜこの氷穴は、『万年氷穴』を維持出来ているんだと思う?」
「……あっ」
グリムに言われ、私は気づく。マルティもハッとした様子で、降ろした自分の手をもう片方の手で抑え込んだ。
「……そうだ。恐らくこの万年氷穴は、女王竜の力によって維持されている」
「……グリムさん……じゃあ、女王竜を倒したり去られたりしてしまったら……」
呻く様に発せられたマルティの言葉に、グリムは頷いて肯定をした。
「ああ。この氷穴は機能を失い、ここに住んでいる氷人族は全滅してしまうだろうね」
そんな。私の脳裏に、先ほど会ったペチカの笑顔が思い出される。
——『あのね、ペチカね、まだ子供だからってお外に出してもらえないの。ねえねえ、お姉さん冒険者なんでしょ? お外のお話し聞かせて! 約束ね!』
駄目だ。彼女達の居場所を奪うなんて有り得ない。しかも、真冬ならまだしも今は真夏だ。もしここを失えば、彼女達が生き残れる可能性は、ない。
そんなことを考え、私が顔を歪めている時だった。ライラが私達のところまで駆け寄ってきた。
「リナ! みんな! だいじょぶ!?」
「……ライラ……」
女王竜は倒せない。氷竜は倒さないと街が危ない。
ただならぬ雰囲気を感じ取ったのか、私の顔を心配そうに覗き込むライラ。
こうしている間にもグリム隊と睨み合っている氷竜は、今、その口を開こうとしていた。氷のブレスだ。
「マルティ!」
「はいっ!」
私の意図を察したのか、マルティは目の前に巨大な砂の壁を作り上げた。これで氷竜のブレスは防げるだろう。……壁の外のグリム隊には申し訳ないが。
ライラはいまだ状況を把握しきれていない様だったが、グリムに向かってぴょんぴょんと飛び跳ねながら誠司さんからの伝言を伝える。
「グリム、お父さんから伝言! 私とお父さん、必要な方を使って! だって!」
「ふむ……そうか、そうだな。とりあえず今はライラでいい。莉奈、どうする? ここはいったん引いて、入り口の穴を塞ぐのが賢明だと思うが」
「賛成! マルティ、階段作れる!?」
「はいっ、任せて!」
マルティは元気よく返事をし、瞬く間に私達のいた崖まで真っ直ぐに続く砂の階段を作り上げた。
氷竜達の攻撃を防いでいる砂の壁が揺れる。辺りに振動が響き渡る。氷竜達が体当たりをしているのだろう。あまり時間は無いのかもしれない。
「ライラ、こっち! 急いで上っちゃって!」
「うんっ!」
私がライラを階段へ誘導しようとした、その時だ。グリムは呻くように声を上げた。
「……マルティ。砂の壁を、すぐに解除してくれ……」
「……えっ」
「早く!」
グリムは壁の向こうを見つめながら叫ぶ。状況の掴めない私達。グリム隊を通じて壁の向こうの状況を把握しているであろう彼女は、苦しそうな顔を浮かべ私達に告げた。
「……この振動で、女王竜が反応してしまった。眠りが浅いのかもしれない……いいか、みんな。壁を解除して、全力で逃げるぞ」