『北の魔女』 07 —戦争、或いは殺戮—
「……どういうことだ、ハウメア」
「いやー、言葉通りの意味だよ。魔法国の領土だった中央南部を、サランディアの領地にする。それでヘクトールが動かなければそれでよし。その場合、中央北部もサランディアの領地にしてしまえばいい」
「……まったく、そんな重大なことを軽々しく……正気か?」
誠司さんは頭を抱えてため息を吐く。そりゃそうだ。領土問題なんて、この場のノリで決めていいもんじゃない。
同じことを感じとったのか、グリムが疑問を投げかける。
「……ハウメア嬢、聞かせてくれ。『その場合』、ではない場合のことを。キミはどう考えている?」
ん? 心なしか、グリムの言葉に冷たさが混じっているような気がする。その質問を受け、ハウメアさんは苦笑しながら頬杖をついた。
「そー。それが戯言として聞いてくれと言った理由だよ。もしヘクトールが生きていて、奴が動いてしまった場合だね……その場合、戦争、或いは最悪、殺戮が始まるだろうね。中央南部に『光の雨』が降るか、『終焉の炎』が渦巻くことになる」
「そんな!」
私は声を上げ、思わず立ち上がってしまった。
当時、魔法国を滅ぼした『光の雨』。これは『厄災』サーバトの能力だろう。
そして『終焉の炎』——それはきっと、『厄災』ドメーニカの能力だ。
もしヘクトールという人が生きていて、『厄災』を戦争の道具として使用した場合——中央南部、そして、領土を主張したサランディアは滅ぼされてしまうかもしれない。
そんなの、ヘクトールという人を釣り出すための代償に全然見合っていない。
私はサランディアの皆んなや、短い間とはいえ世話になったジル村の人達を思い出す。そんなのは駄目だ。絶対にそんな事、あってはならない。
だから——
「……座りなさい、莉奈」
——何か言おうとした私の思考は、誠司さんの声によって引き戻される。私はハッとなり、椅子に座り直した。
「……ハウメア。そんな危険な提案、私が独断で却下させてもらう。もしやるなら、君の国で勝手にやってくれ」
「ごめんよー、セイジ。ただ、ギルド設立にも似たような危険が付きまとう、って言いたかっただけさ。それにわたしの国は、領土を広げるつもりはないしねー」
「……チッ。君が中央部の統治に乗り出してくれれば、この地方も幾分、平和になるだろうに」
「いやー、そんな面倒はごめんだねー。ただ、サランディアが統治すればいいと思っているのは本当だよ。もし平穏が約束されたら、考えておくようにってサラちゃんに言っといてー」
誠司さんの言葉に、にへらーと笑って返すハウメアさん。なんなのよ、もう。
でも、そう言えばこの人、自国のことにしか興味がないんだっけ。いや、なんかその割には——。
「あのー、ハウメアさん。ものすごく失礼な質問をしてもいいですか?」
「……え、やだ、怖い」
ポコン。ヒイアカがハウメアさんの頭を叩く。
「いいよ、リナ。どんどんしちゃってー」
「はは……あの、ええとですね。ハウメアさんはあまり他国のことには興味が無いと聞いていました。でも、なんか、話を聞いていると、この地方全体のことを考えているかのような……」
そう。彼女はルネディ出現の時も火竜襲撃の時も、返事はにべもないものだった。
だが、こうして色々と背景を知り、直接ハウメアさんと話をすることで私は感じる。
——彼女は間違いなく、このトロア地方全体のことを考えている。なのに何故、非協力的なのだろう。
私の質問を受けたハウメアさんは、ポリポリと頬をかいた。
「いやー、リナちゃん。それは買いかぶり過ぎだよ。わたしはね、ただ動きたくないんだ。自分の国のことで精一杯なんだよー」
ポクン。ナマカがハウメアさんを叩く。
「もう、ハウメア。違うでしょ。正直に」
「……いてて。うー、仕方ないなー。リナちゃん、うちは帝国だ。名目上、サランディア王国とオッカトル共和国を従えてるね。でもね、そのイメージはよくない。大陸の連中に、ブリクセンさえ落とせばトロア地方は獲れる、なんて思われたくないんだ——」
ハウメアさんは照れ臭そうに続けた。
「——だから、よっぽどじゃない限り手を貸さない。ブリクセンを落とせても、このトロア地方にはサランディア、オッカトルという強国が控えているというイメージを植え付けたいんだ。その上で、常に万全な状態のうちがこの地方の玄関口として立ち塞がる、その必要があるんだ」
「えっ……それって……」
私は言葉につまる。私には大陸の方の知識はあまりない。しかし、今のハウメアさんの口ぶりだと——。
「あー、心配しなくていいよー。今すぐどうのって事はない。ただ、大陸には野心を持った国が少なからずあるってだけの話さ。幸い、このトロア地方は地形に恵まれている。攻め込むとしたらここしかない。それを踏まえて、だ——」
ハウメアさんは目を細めて私を見つめる。
「——現状、サランディアやオッカトルに未曾有の事態が起こっても、わたしの国は動かずに問題は解決できている。でも、もし何かある度にうちの国が動いていたら……どうなると思う?」
「……ふむ。このブリクセン国が手薄になる状況を、虎視眈々と狙う国があるってことか」
グリムが顎に指を当て答える。ハウメアさんは頷いた。
「そう。当時、魔法国と繋がっていたであろう国々がね。だから、わたしは動かない。そうそう、リナちゃん——」
「はい?」
「——君の『白い燕の叙事詩』、凄い効果だ。火竜百頭をも物ともしない英雄がトロア地方にはいる、ってね。おかげで助かってるよー」
ビターン。私はテーブルに顔を打ちつける。
「ちょ……えっ……どういうことですか……?」
よろよろと起き上がる私。その私の手を、隣りに座っているクラリスとレザリアがそれぞれ両手で包み込み、コクコクと頷いている。彼女達の目は、そりゃあもう輝きに満ち溢れていた。
「あははー。渡り火竜の強さは世界中に知れ渡っているからねー。その渡り火竜達が群れをなし、女王竜も観測された。そんな世界中が警戒を強める中で、歌は広まり、それと同時に渡り火竜は姿を見せなくなったんだ。信憑性もバッチリだ。他国への牽制としては、充分すぎる効果を発揮している。これからもその調子で、よろしく頼むよー」
楽しそうに笑いながら話すハウメアさん。それをまるで他人事のように茫然と聞く私。
——どうやら私は、知らない間に世界デビューしてしまっているみたいです……って、おい。




