『白い燕』待望論 12 —英雄と受付嬢②—
そう言いながら、まっさらな色紙をにこやかに差し出すクロッサさん。毎度のごとく椅子からずり落ちそうになる私。なんとか急いで椅子に腰掛け直す。
「あ、あ、あの、サインって普通にサインですか!?」
「ええ。リナさんは一応、このギルドの所属となっていますので。記念に飾らせてください」
「……それ、必要なんですか?」
呆れ顔で漏らす私に向かって、クロッサさんは声を潜めた。
「……はい。ギルドの宣伝もあるのですが……リナさんは『叙事詩』が有名になっているじゃないですか」
「……ええ。それが何か?」
「……問い合わせが多いんですよ。『本当に実在するのか』って……」
そう言ってクロッサさんはため息をつく。またまた椅子からずり落ちようかとも思ったが、よく考えたら私もちょいちょい言われてた。『実在するんだ……』って。
——まあ、業務に支障をきたす程ではないんだろうけど、毎回同じ質問に答えるのは面倒くさいのだろう。
そんなことを想像してしまった私は、渋々了承する。
「……わかりました。でも、サインなんて書いたことありませんよ?」
「じゃあ初サインですね、貴重です!」
ニコニコと笑うクロッサさん。いやいや、こんなの見ても喜ぶの、ライラやレザリアやクラリスやマルティやヤントさんやマッケマッケさんぐらいだぞ。結構いるな、おい。
私は膨れっ面をしながら色紙にサインをする。それを見たクロッサさんは、感嘆の声を上げた。
「すごいですね、本当に初めてなんですか? まるで書き慣れているみたいです!」
「……いやあ、あはは……」
言えない。中学時代、頑張ってサインの練習をしていたなんて、絶対に言えない。
あ、向こうの世界に残してきた私のサイン練習帳、どうなっちゃったんだろうな……。
こうしてサインを確認したクロッサさんは、私のギルドカードを差し出して色紙の隅の方を指差した。
「では、この部分にギルドカードの写しをお願いします。本人証明になりますので」
「あー、はいはい」
私は受け取ったギルドカードを色紙にあて、魔力を込める。色紙に反転したギルドカードの写しが現れた。
「ありがとうございます。あと、こちらにも」
「はいはーい」
私は流れで差し出された紙にも写しを入れる。クロッサさんは満足そうに頷いて、二枚重ねの紙の一枚目を私に渡した。
「ありがとうございます。ではこちら、冒険者様控えになりますので」
「へ?」
ちょっと待て。なんだ。私、もしかして何かやらかしたか? 知らずに契約書にサインした流れじゃないのかコレ。私の身体から一瞬にして血の気が引く。
そんな私の様子を見て、クロッサさんは首を傾げた。
「どうされました?」
「……あの、これって……」
「ああ、すみません。女王竜討伐と火竜戦の受領書です。これでリナさんのところに報酬金が振り込まれますので……お待たせして申し訳ありませんでした」
それを聞いた私は、慌てて紙をなぞっていく。確かに言う通り、ただの受領書だが……細かい数字の羅列のあとに書かれた『合計金額』の欄を見て私は固まった。待って……いち、じゅう、ひゃく、せん、まん……。
「……い……いっ……いっせ……」
大声を出しそうになる私の口を、クロッサさんは身を乗り出して塞ぐ。コクコク頷き合う私とクロッサさん。
平静を装おうとするがガタガタと震え出す私に、クロッサさんは小声で囁いた。
「……リナさん。念の為に聞きますけど、少なすぎて震えている訳ではないんですよね?」
コクコク。
「……あなたはそれだけの事をしたんです。この地方、そして、潜在的な世界の危機を救ったんです」
「……待って、私は何も……」
「したんです。もし何もしていないと言うなら、『東の魔女』様が嘘をついているんですか? ギルドカードが故障しているんですか?『白い燕の叙事詩』は幻想なんですか?」
「……それは……」
私は言葉に窮する。反論しようとしたが、それは、セレスさん、ギルド、そして民衆の『白い燕』像を否定することになってしまう。いや、最後のは否定してもいいが。
「ですので、心置きなく受け取ってください。そして願わくば引退などせず、これからも冒険者として活躍して頂けるよう、私からお願いいたします」
そう言って頭を下げたクロッサさんの眼鏡の奥の瞳は、優しく私を見つめていた。その視線を受け、私は思わず苦笑する。
「わかりました、ありがとうございます」
「はい! これからも、冒険者ギルドをよろしくお願いしますね!」
ちくしょう、いい笑顔だなあ。しかし、分不相応なお金なのは間違いない。どこかに寄付しようかなあ、とか考えている私を余所に、クロッサさんは次の話題に移る。
「では次に、グリムさんからお伺いしました『歌姫』クラリスさんに対する依頼の件になります」
「ああ、それですか。大丈夫なんでしょうか」
エンダーさんの話だと、彼女はブリクセンに向かっているらしい。果たして依頼して意味があるのだろうか——。
「ええ。特殊な依頼ですが、こちらの内容でよろしければギルドカードの写しをお願いいたします」
ん? 特殊な依頼? 私はクロッサさんから差し出された依頼書をよく見てみる——。
——ああ、なるほど、これなら。
「あの、一つ確認なんですけど、これ、本当に可能なんでしょうか?」
「お任せ下さい! ギルドは冒険者を、依頼者様を、全力でバックアップいたしますので!」
にっこりと微笑むクロッサさん。確かにこれなら何とかなりそうだ。
その後何点か確認し、私はギルドカードに魔力を込める。これで依頼完了だ。
その流れで、私はふとある人物の存在を思い出す。せっかくだ。私はクロッサさんに尋ねてみる。
「あの……リョウカさんってご存じですか?」
そう。あの最強の三つ星冒険者の手を借りることが出来れば、ジョヴェディなんかチョチョイのチョイなのではなかろうか。金ならある。
しかしその名前が出た瞬間、クロッサさんは肩をビクッと震わせた。
「申し訳ありません……あの方は、指名の依頼は受け付けていないので……」
「え、そうなんですか?」
「……はい」
目を逸らすクロッサさん。おかしい。私はリョウカさんを知っているかどうかしか聞いていないのに——。
「あ、いえ、そういうことなら大丈夫です。すいませんでした」
「……いえ」
彼に依頼を出来ないのは残念ではあるのだが——リョウカさんの名前が出てからのクロッサさんの様子があからさまにおかしい。
——何かあるのかもしれない。
ただ、深掘りするのも悪いような気がするし、グリム達も待たせてしまっているので——私はクロッサさんにお礼を言って、首を傾げながらも席に戻るのだった。
そして数時間後、私達はサイモンさんと共に馬車で出立する。魔法兵団長グリーシアさん、その人との会合に同席するために。
しかし、まあ、そこであんな事が起こるとは。私は神様か悪魔、どちらかに遊ばれているのかも知れない——。
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これにて第二章完。予定通り、明日から第四部終了まで毎日投稿いたします。
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