崩れゆく歯車 07 —悪い知らせ、再び—
「いらっしゃい、ノクスさん」
玄関を開けてノクスさんを迎える私達。ノクスさんは何だか難しそうな顔をしてこっちにやって来た。
そして、開口一番。
「セイジとヘザーさんを呼んでくれねえか」
そう言って、深い息をついた。
「どうしたの? まあ、上がってよ」
「……ああ」
ノクスさんを招き入れた私達は、先程のテーブルに戻って椅子を勧める。私達も席に着き、ポットから紅茶を注いだ。
「はい、冷たい紅茶だよー」
「それで、セイジとヘザーさんは……」
「……うん。あっちに行ってる」
数日前にノクスさんが来た時に、誠司さんとライラの事情は話してある。その時の彼は、大層喜んだものだが——。
「……そうか」
そう言って、彼は額に手を当てた。苦しそうな表情。只事ではない何かが起きたであろう感じが、ひしひしと伝わってくる。
「なあ、ノクス。誠司達は行動周期的にしばらくは出てこないぞ。一体、何があった」
「……マジか。参ったな」
グリムの言葉に、本格的に頭を抱え出すノクスさん。なんだか悪い予感しかしない。
ノクスさんは頭を振って、私達に話し始めた。
「……お前さん達になら言ってもいいか。特にリナちゃんには無関係な話でもねえしな——」
「私? 何よ、なんかしたっけ」
眉をしかめる私の方を見て、ノクスさんは続ける。
「——『厄災』ジョヴェディが現れた。奴の要求はこうだ。『エリスさんを連れて来い』と。それが出来なきゃ、この地方を塵に還すだとよ」
「はあっ!?」
思わず素っ頓狂な声を上げてしまう私。グリムも驚いた顔をしている。
——その後のノクスさんの話をまとめると、こうだ。
サランディア王国の皆さんは、『厄災』達が凍らした腐毒花を焼くために中央部に遠征していた。
そこに『厄災』ジョヴェディが現れる。
彼は皆さんに攻撃を仕掛け、エリスさんを連れて来いと要求したとのこと。
戦っても勝てないと判断した魔法兵団長の人が、時間を稼ぐためにその要求を受け入れたらしい。
猶予はひと月——いや、もう三週間くらいしかない。
その話を聞いた私は、絶句する。
「……いや、エリスさんって……」
「ああ。もう……いない人だ。それで、セイジに相談しに来た訳だが……」
「あの……ノクスさんって知ってるんだよね。ヘザーのこと」
「……リナちゃん、聞いたのか」
さすがに気づいていた。
ノクスさんのヘザーに対する丁寧な態度は行き過ぎているものがある。あと、彼の妻であるミラさんも何かしら思うところがある感じがした。ライラが産まれた時にノクス家を頼ったところから推測するに、彼らがヘザーの事情を知っているのは間違いないだろう。
「うん。正式に聞いたのはつい最近だけど。グリムも一緒に聞いた」
「そうか……まあ、という訳でだ。事は急を要する。待たせてもらっても構わねえか」
「それは勿論だけど。でもどうすんのさ」
「困ったよなあ……グリム、お前さん何か名案はねえか」
「ふむ……まずは誠司に話を聞いてからだな」
腕を組みながら、私達三人はため息をつく。
そしてその姿勢のまま、ノクスさんは私に話しかけた。
「あと一つ、厄介なことがある。リナちゃん、話半分に聞いてくれ」
「ああ、私にも関係あるってやつ?」
確かに、この家に住んでいる以上、私にも関係あるのは確かだが。改まって、一体なんだ?
「『厄災』ジョヴェディの出現の噂が広まっちまったみたいでな。そんで、大衆は待ち望んでいるみたいなんだ」
「何を?」
私は椅子を後ろに傾けながら聞き返す。
「——『厄災』を従える伝説の冒険者、『白い燕』が動き出すのを」
ドカッ。私は椅子ごと後ろに倒れ込んでしまった。グリムが心配そうに覗き込む。
「大丈夫かい、莉奈」
「ちょ、ちょ、ちょっと待って。なに、なんなの!?」
よろよろと起き上がる私。だが、ノクスさんは真顔で私に謝る。
「すまねえ」
「……だからあ、言論統制……」
ノクスさんの話だと、『白い燕の叙事詩』の三番以降が早くも広まっているらしい。おい、なんでだよ。そして、そのタイミングでの新たなる『厄災』出現の知らせ。否が応でも私に期待が集まるっていう訳だ。おのれクラリスめ。
とりあえず私は、腰をさすりながら椅子に座り直す。
「それで、ノクスさん。私になんとか出来るとでも?」
「いや、そういう話も広まってるってだけだ。アレンとグリーシア——うちの騎士団長と魔法兵団長が言うには、奴は規格外の強さらしい。現れたり消えたり、やれ無詠唱だの連発だの、魔法の理を無視した存在だって言ってたな。『厄災』の力が関係しているかどうか分からねえが、奴は異常だ。リナちゃんは手え出すな」
「……無詠唱?」
おかしい。魔法とは『言の葉』を『心を込めて紡ぐ』ことで発現するのだ。私がこの世界に来た時「無詠唱がー」とか夢見ていたことがあったが、勉強した今ならわかる。
——この世界の魔法に、無詠唱は存在しない。
ピアノで例えるなら、指を使わずに曲を奏でるようなものだ。出来る訳がない。ほら、なんだかグリムの目が好奇心で輝き出してしまったぞ。
「ああ。まあ、とりあえずだ。誠司に話を通さなきゃ何も始まらねえ。時間はねえが、ゆっくり待たせてもらうわ」
「うん、ごめんね。でも……なんだかものすごく厄介そうな相手だね」
「ふむ。是非とも、直接この目で見てみたいものだな。ノクス、どこに行けば会える?」
「……危ないから、やめなさい」
うんうんと唸る私達。とりあえず私はカルデネの元へ行き、誠司さんが出て来たら顔を出すように伝えておいた。
——そして、待つこと二時間——。
ようやく書庫に繋がっている、ヘザーの部屋の扉が開く音が聞こえてきたのだった。