崩れゆく歯車 04 —父と娘【出会い】—
†
ヘザーによって引き上げられた誠司は、辺りを見回す。
いつもの見慣れたはずの、何もない空間。
しかし、今、その誠司の側には——眠っているライラの姿があった。
「ライラ……」
誠司は今にも泣き出しそうな声で、ライラを見つめる。
そんな二人を見守るヘザーに、何処からともなく現れた空間の管理者が声を掛けた。
「……やあ。セイジから話は聞いているよ。君がヘザーかい?」
「ええ。初めまして、空間の管理者様。お邪魔いたします」
「そうか、君が……」
空間の管理者は、この家族の事情を聞かされている。彼女の中に、エリスの魂が入っていることも。
歪な家族の形。世界を救った代償。
この報われない一家に、ほんのささやかな幸せの時が、今、訪れる。
誠司は恐る恐る、ライラの頭に手を伸ばす。そして髪に触れ——ビクッとして手を引っ込めた。
誠司はライラから目を逸らさず、背後にいるヘザーに話しかけた。
「……なあ、ヘザー。さわれる……さわれるんだよ。触れた感覚があるんだ……」
「……ええ、よかった……です。さあ、早く起こして、抱きしめてあげて下さい」
「……ああ」
誠司は深呼吸をし、深く目を瞑った。その閉じた瞼から、溢れた涙が頬をつたう。
そして誠司は、震える声でつぶやいた。
「……ライラ、起きなさい」
——その言葉をきっかけに、一瞬の光に包まれる二人。
誠司のいた場所に目覚めたライラが、
ライラのいた場所に、入れ替わりで誠司が現れた。
少女はいつものように、自分の身を守る祈りを捧げ——かけたが途中で中断し、訪れているはずの状況を確かめるために、ゆっくりと目を開けた。
真っ暗な何もない空間。
その空間の中で、ライラのことを優しい瞳で見つめる男の姿があった。
——莉奈から聞いた。ヘザーから聞いた。その姿を、その人柄を、それこそ、何百回も。
作務衣姿のその男は眼鏡を上げて涙を拭い、優しい声で少女の名前を呼んだ。
「ライラ」
初めて聞くその声に、ライラの胸が熱くなってくる。
この人が、この人が——。
「……お父、さん?」
男は涙を堪えながら、しっかりと頷いた。
「ああ、そうだ」
「……お父さん!」
ライラの瞳が、一瞬にして涙で満たされる。
少女は前のめりに立ち上がって、父の胸へと飛び込んだ。誠司は娘を、優しく受け止める。
「お父さん、お父さん、お父さん!」
少女は顔を埋め、その名を呼び続ける。
「……ライラ、大きくなったね」
父は娘の名を呼び、少女を包み込む。
「……お父さん!」
少女は泣き続ける。父の胸の中で。ただひたすらに。
父は撫でる。その娘の頭を。ただ愛おしそうに。
二人はお互いを優しく呼び続けた。
——何もないはずの空間。そこには今、確かに愛が満ちあふれていた。
その光景を眺めるヘザーは、空間の管理者に漏らした。
「……なぜ私は……涙を流せないんでしょうね。こんなにも胸は、震えているのに……」
自身の胸を押さえつけながら二人を見守るヘザーに、空間の管理者は答える。
「……奇遇だね。僕も同じことを思っていたよ。だけど、僕の夢は少し叶った。あの二人のああした姿を見るのを、僕は望んでいたからね」
「……ええ、私もです。本当に……本当に、よかったです」
二人は祝福する。父と娘の邂逅を。
いるのに、いない父。いるのに、いない娘。どんなに会いたくとも、会うことは叶わなかった。
だがもう、この空間でなら二人は一緒にいられるのだ。
そう、二人が望む限り。いつまでも、いつまでも——。
†
「——それでね、私、いっぱい勉強したんだよ。お父さんの国の言葉」
「——ああ、聞いてるよ。随分と上達したんだってね。聞かせてくれないか」
「——うん、もちろん!……ええと、じゃあ、お父さんの一番好きな言葉はなに?」
「——うーん……そうだね。ライラの好きな言葉が、私の一番好きな言葉だ」
「——えー、ずるいよう。私の好きな言葉かあ。何だろうなあ……」
少女は父にもたれ掛かり、そして父は娘の肩に手を置きながら、ポツリポツリと会話を重ねる。その顔は二人とも穏やかだ。
いつの間にか空間の管理者の姿は消えていた。だが彼も見守っていることだろう、この二人の幸せそうな姿を。
ヘザーは飽くことなく見守り続けた。二人の他愛もない会話を。
「——それで、ライラ。魔法の練習も随分と頑張っているみたいじゃないか」
「——うん、お父さんからお願いされた魔法は、全部覚えたよ。あとはいっぱい練習するだけなんだ」
「——ああ。ケルワンの街を守ったライラの結界は、本当に凄かった。頑張ったんだね」
「——ホント!? うん、私ね、いっぱい、いーっぱい頑張ったんだよ! みんなを守れて、ほんとに良かったあ……」
話は尽きない。二人はそれだけの長い時間、会えなかったのだから。
二人は今、十七年分の時間を埋める為に話し続ける。
ライラは思いつくまま話を振り、誠司も優しく答え続ける。
そして話を振られた時は、ヘザーも二人の会話に参加した。
——家族だけの空間。本来あるはずだった、あるべきはずであった家族だけの時間。そこに邪魔者はいない。
三人は時間を忘れ、一つずつピースを嵌め込んでいくかの様に、いつまでも、いつまでも話し続けるのだった——。