月の集落のエルフ達 01 —出発—
西の森、通称『迷いの森』と呼ばれる森の中を、四つの人影が動いていた。『魔女の家』に住まう者——莉奈達だ。
先頭に、道案内役としてレザリア。続いて誠司。後ろに、莉奈とヘザーが並んで歩いている。
天気は快晴。ともすれば、ピクニックと勘違いしてしまう程の穏やかな空気感だ。
莉奈達が家を出てから、三時間程は歩いただろうか——未だに、戦闘らしい戦闘は発生していない。莉奈は、先刻のやり取りを思い出す——。
†
——家を出てから三十分程歩き、結界の境界にたどり着いた時のことだ。
「さて、ここから結界を抜ける。各自、気を引き締めるように」
誠司の言葉に、莉奈はゴクリと唾を飲み込む。『戦闘訓練』の一環で、ヘザーに指定された魔物を相手取った事はある。
最初は抵抗があったが、殺意を持って襲ってくる相手に躊躇している場合ではなかった。
殺らなければ、殺られる、ただそれだけの話だった。
莉奈にとって幸運だったのは、いわゆる魔物に分類される生物は致命傷を与えれば、粒子状のものとなり消滅してしまうということだった。
若干ではあるが、抵抗が薄れる。ヘザー曰く、空気中の魔素となり還ってゆく、とのことだ。
だが、莉奈の知らない魔物もまだまだ多い。
魔物を斬るのに慣れたとは言っても、未知を恐れる心はどうしようもない。こればっかりは経験を積んで、既知に変えていくしかないだろう。
そう言えば——と昨晩の出来事を思い出し、莉奈はレザリアに話しかけた。
「ねえねえ、レザリア。レザリアは一人で来たんだよね。魔物とか、怖くなかったの?」
そんな莉奈の質問に、レザリアは笑顔で返す。
「そうですね、この森に住む魔物は知り尽くしていますから……魔物そのものに対する怖さはないですね。それに、こう見えて私、腕にはそこそこ自信があるんですよ!」
力こぶを作るレザリアに、「おおー」と、莉奈は感嘆の声を上げる。この森に関し、レザリアは未知を既知に変えた人なんだと。
そして少なくとも、夜間に一人で森を移動するのを躊躇しない程度には、経験と腕を持ち合わせているのも確かだろう。
「すごいね、レザリア。私なんか不安でしょうがないよ」
「何かあっても、リナは私が守ります。お任せ下さい!」
レザリアは自分の胸をトン、と叩く。頼もしい。何かあったらレザリアの後ろに隠れよう、莉奈は心に決めた。
「でもさ、そんなに強かったら昨日の暴漢もやっつけちゃえばよかったのに」
莉奈は不思議に思った。レザリアは強い、それは間違いないんだろう。
だったら何故、暴漢——だと、レザリアが思っている人物——に抵抗出来なかったのだろう。
その質問に、レザリアは、首を横に振って答える。
「確かに並の相手、いえ、私と同等の相手ぐらいなら遅れはとらなかったでしょう……ただ、あれは別格でした」
昨晩の事を思い出すと、自然と身体が震えてしまう。レザリアは、息を飲み続ける。
「——殺気、というんでしょうか。首筋に当てられた刃から流れてくる、躊躇なく殺すという意志。あの時、死は確かに私の隣にいました。それで、私は情けなくも気を失ってしまいました——」
それを聞き、莉奈はジト目で誠司を見る。レザリアになんてことしてくれたんだ、と。視線を感じたのか、誠司の歩みが気持ち早くなる。
「しかし、それ程の相手でもセイジ様の手にかかってしまえば! まったく、ざまあみろってもんです!! セイジ様、宜しければその時のお話しを……」
「オ、オーケー、レザリア。ありがとう」
自分で話を振っておいてなんだが、このままこの話題を続けても誠司がいたたまれなくなるだけだ。
そう判断した莉奈は慌ててレザリアを静止する。いっそ真実を話してしまおうか、とも思ったが二人の人物が不幸になるだけだ、やめておこう。
「——ンッ、ンッン。それではレザリア君。先頭に立ち、道案内をよろしく頼むよ」
話題を変えたいのか誠司がわざとらしく咳払いをし、レザリアの方を振り返る。
その誠司の言葉に、レザリアはすぐさま胸に手を当て礼をとった。
「かしこまりました。このレザリアにお任せ下さい」
「そんな堅苦しくしないでくれ。お願いだ、頼むから。それで、だ。右の方の道を進むと魔物が五体、三体、五体といるな。レザリア君、避けられそうかな」
誠司のスキルだ、とレザリアはすぐに理解した。ああ、懐かしい、あの時を思い出す——レザリアは感慨に浸る。
「さすがはセイジ様、ご健在ですね! でしたら、左の道を行きましょう。少し勾配がありますが、時間的には変わりません」
「そうか。無駄な戦闘は避けるに越したことはない。そちらにしよう」
——こんな調子で、誠司の索敵能力とレザリアの土地勘、そして運の良さも手伝い、大規模な戦闘を避け今に至るのだった。
†
「ねえねえ、ヘザー。そういえばライラって何時くらいまで起きてたの?」
莉奈は隣を歩くヘザーにたずねる。もし、ライラがあの後すぐ寝てしまったのだとしたら、もうそろそろ起きても不思議ではない。
別に、ライラが起きてしまったとしても集落まで行くことに変わりはないが、索敵能力のある誠司を欠いた状態、というのは出来るだけ避けたい。
そんな莉奈の不安を知ってか知らずか、ヘザーはクスリと笑う。
「ライラは頑張ってましたよ、『レザリアに挨拶するんだー!』って。うっかり寝ないようにと、庭を駆けまくっていましたね。ただ、それで疲れてしまったのか……」
「あー、ぐっすり眠っちゃったと……」
莉奈は苦笑する。人生とは、ままならないものだ。
「はい。でも、リナ達が起きる一時間位前までは起きてたので——昼過ぎまでは寝てると思いますよ。それに——」
ヘザーは、自身の携えているボストンバッグをポンと叩く。
「——いざとなれば、眠り薬も用意してますので」
そう言って、ヘザーは涼やかな微笑みを浮かべた。
眠らずに頑張ったのに、起きたらすぐ眠らされるライラのことを思うと——いよいよ莉奈は引きつった笑いしか出てこなくなる。
——ごめんね、ライラ。もし、そうなったとしても非常事態だから、ね?
そのように、莉奈が心の中で謝罪を行なっている時だった。誠司の足が止まる。
「——多いな。前方、五百メートル程先に、扇状に三十体前後——あれは『巨大な蜘蛛の魔物』だな。レザリア君、迂回ルートはあるかな」
その言葉にレザリアは、少しだけ考え、そして答える。
「いいえ。地形上、このルートを迂回すると大幅に時間が掛かります。一旦、沢に降りて、再び登ってこなければなりませんので」
「じゃあ倒すか」
「はい、それがよろしいかと」
まるで、今から散歩に行く、という様なノリで対応を決めた誠司が、莉奈の方を向き指示をする。
「莉奈、私達は距離を詰める。君は空から支援してくれ」
「はいはーい、囮役、って事だよね。了解!」
そう言って快く返事をすると、莉奈は空へと飛び上がった。その様子を見たレザリアが、唖然とする。詠唱もなしに空を飛ぶ人物の話など聞いたこともない。
「セ、セイジ様! あ、あれは一体……!?」
「ああ……言ってなかったね。あれは、莉奈の『飛ぶ』スキルっていうやつだ」
「……さすが、セイジ様のご家族なだけはありますね!」
レザリアのその『家族』という言葉に、誠司はなんだかむず痒くなり、返事をせずに移動を開始する。
「——よし、行くか」




