四年後の莉奈 06 —出発前夜②—
†
誠司が目を開けると、そこはいつもの闇に包まれた空間だった。誠司が横になろうとすると、管理者と呼ばれる存在が姿を現す。
「どうしたんだい、セイジ。何かあったのかい」
管理者と呼ばれる存在の記憶では、この時間に誠司が来るのは初めてだ——もっともライラが大きくなってから、の話ではあるが——なので、慌てて様子を見に来てしまった次第だ。
「いや、まあ、ちょっと外へ出掛ける用事があってな。場合によっては、しばらく出入りが不定期になるかもしれん」
「不定期、ね——それは、また戦いに身を投じるという事かな?」
管理者と呼ばれる存在は、誠司から過去の話を聞いている。エリスという女性と共に『厄災』に立ち向かったということも。
「それはまだ分からない。まあ、もしそうなったとしても、すぐに片を付ける。その後はいつも通りさ」
「なら、いいんだけどね」
管理者と呼ばれる存在は、常日頃、誠司が死に場所を探しに行くのではないかと不安に思っている。
どうやら今回はそういう訳ではなさそうだが、何しろ誠司が外へ出ると言うのは初めての事だ。心配もしてしまう。
「——まだ死ぬなよ、セイジ」
その、管理者と呼ばれる存在の言葉に、誠司は遠くを見ながら答える。
「ああ、今はまだそのつもりはない。だが、ライラも大きくなり、莉奈も強くなった。そろそろ潮時かもしれないな」
「——おい、セイジ。ライラちゃんの気持ちはどうでもいいのかよ。頼むから、自分から死ぬ事は考えるな」
管理者と呼ばれる存在の発する言葉には、わずかではあるが怒気がはらんでいた。
この男は娘を思うあまり、捻じ曲がった解決方法を取ろうとしている。それでは、誰も幸せになれないのは明白だろうに。
「ご忠告痛みいるよ、管理者。君には感謝しかないが、その時が来たら……私は迷わないだろうな——そう言えば、私が死んだ場合、君はどうなる?」
管理者と呼ばれる存在は深く息を吐いた。
「——ったく君は。もし君が死んだらか。この空間も、僕の『道具』としての役割も終えるから……まあ消えるだろうね」
「……そうか。それはすまないな」
「それについては気にしなくていい。僕は概念だ。未練も何もない」
未練がない、というのは嘘だった。出来ればセイジの、そしてライラの幸せな姿を見たかった。
だが、仮に全てが上手く行ったとしても、管理者と呼ばれる存在の迎える結末は変わらない。それは叶わない夢なのだ。
「まあ、セイジが長生きしてくれれば問題ないよ」
「痛いところをつく。ま、考慮しておくよ」
そう言って誠司は横になる。管理者と呼ばれる存在は、分からずやの誠司に少し意趣返しをしたくなった。
「——そういえばセイジ。ライラちゃんがたまに裸で寝てるのは何でなんだい?」
その言葉を聞き、誠司がガバッと飛び起きる。
「おまえ! まさか見て——!」
「そりゃ胎児の頃から見守ってるさ。今更だなあ」
「おい! 待て! そこに座れ——」
誠司の静止を聞かず、管理者と呼ばれる存在は闇に溶けていく。闇の中に一人取り残された誠司は、不貞寝をするしかなかった。
†
時は少し遡り、誠司の部屋。
ベッドに座りシーツをまとった誠司が目をつむると、一瞬の光と共にライラが姿を現した。莉奈が見守る中、少女はいつもの様に自分の身を守る祈りを捧げる——。
ややあって、寝惚けまなこのライラが顔を上げた。
キョロキョロと辺りを見回した後、シーツに包まれた自分の姿が裸であることに気付き、風呂の中で寝落ちしてしまった事を思い出す。
「おはよう、ライラ」
「……おはよう、リナ。このたびは父が大変ご迷惑をお掛けしました」
そう言って、莉奈に向かいペコリと頭を下げる。
「うん、十対〇でライラが悪いけどね。それよりライラ、大丈夫? 眠くない?」
「少し眠いかな。どしたの?まだ外真っ暗だよね」
ライラはボヤーっとしながら窓の方を向く。
「えっとね、あれから色々あって……とりあえず誠司さんが日記に書いてくれたから、読んでくれるかな」
莉奈の言葉にライラは目を開け、いそいそとシーツを引きずってテーブルの上に置かれている日記を開く。
最初は興奮して読み進めていたライラだったが、やがて表情が曇ってゆき、口を尖らせていった。そして、一通り読み終わったライラは——
「ずっるぅーーーい! わたしも行きたぁーーーい!!」
——莉奈の予想通りの反応である。
「ほおら、わがまま言わないの。レザリアさん大変なんだから……あ、日記にレザリアさんの事書いてあった?」
その言葉を聞き、ライラの顔がパッと輝く。
「うん! エルフさんなんだってね、すごい! ねえ、どこ? 挨拶したい!」
「今は……寝ちゃったかな?ライラがお風呂で寝ちゃわなきゃ会えたかもしれなかったんだけどねえ。でも、明日きっと会えるよ」
「うー……」
ライラは残念そうに、うなり声を上げる。
結果論とはいえ、ライラが寝てしまわなかったら会えたには違いない——その場合、誠司がいないので話はややこしくなっていたかもしれないが——そこで莉奈は閃く。
「じゃあライラ、こうしよっか。ライラはレザリアさんが起きてくるまで、寝ないで頑張って起きてる。どう、出来そう?」
「うーん、どうだろう。大丈夫かなあ……」
「レザリアさんに会いたくないの?」
ライラはブンブンと首を振る。
「リナ! 私、頑張るよ!」
真剣な顔でそう言って、ライラは勢いよく立ち上がった。これなら大丈夫そうだと、莉奈は胸を撫で下ろす。
「うん、ライラ、頑張れ!」
「リナもゆっくり寝るんだよ!」
示し合わせたかの様に、二人はハイタッチを交わした。
何となく可笑しくなって二人して吹き出した後、ライラは部屋の外に駆けていく。
「じゃあ、私コーヒー入れてくるね。リナ、おやすみ!」
「ちょっと、ライラ、服、服——!」
こうして、ライラの長い夜が幕を開けたのだった——。
†
夜明け前、莉奈は目を覚ます。
五時間近くは眠れただろうか。充分だ。今日一日、問題なく動ける。莉奈は部屋を出て洗面所に向かう。
この家の水は近くの湧水を空間魔法で繋げてあるらしく、家の中でも顔を洗える。
同時に排水は地中深くと繋げてあるらしいので、こちらも問題ない。これも全部、ライラの母親、エリスの賜物だ。
莉奈が階段を降り洗面所に入ると、そこには顔を洗っている先客がいた——レザリアだ。
莉奈は、レザリアが顔を洗い終わるのを待って声を掛ける。
「おはよう、レザリアさん。よく眠れた?」
「わ、リナさん! おはようございます! お陰様でぐっすり休めました!」
レザリアは顔を拭く手を止め、慌てて頭を下げる。
いつまでも頭を上げないレザリアに莉奈は苦笑し、レザリアの頭を軽く撫でた。
艶やかで綺麗な金髪だ。頭を撫でられたレザリアは「ひゃっ!」と声を上げて、莉奈の方をまじまじと見詰める。
「もう、堅苦しいなあ。私には敬語使わなくていいんだよ。レザリアさん、私よりも歳上でしょう?」
「そ、そんな、セイジ様のご家族に恐れ多い!えと、エルフ族は子供の頃はともかく、年齢を数える文化がないんです。というより、数えてても忘れてしまうというか……」
物語のエルフそのものだ——頬を赤らめながら答えるレザリアの言葉を聞き、莉奈は謎の感動に包まれた。
「すごいなあ。ねえ、レザリアさんは何年くらい生きてるの?ざっくりでいいからさ」
「ええと……百年くらいまでは数えていたのですが……」
「それじゃあ、私の大先輩だね。だったら、せめて私のことは『リナ』って呼び捨てにして欲しいな」
「わ、わかりました。それでは私も『レザリア』って呼んで欲しいです……」
「オーケー。よろしくね、レザリア」
「は、はい! よろしくです、リナ」
これで少しは打ち解けられるといいな、と思いながら莉奈も顔を洗おうとした所で、ふとライラの事を思い出す。
「そういえばレザリア。ライラには会った?」
「……ライラ……さんですか?いえ、その様な方とはお会いしてませんが……」
——なるほど、どうやらライラは闘いに敗れたらしい。
「うん、気にしないで。向こうで会えると思うから」
「わかり……ました?」
冷たい水が心地良い。身も心も引き締まるようだ。
タオルで顔を拭いた莉奈は、不思議な顔でこちらを見ているレザリアに笑いかける。
「さ、レザリア。準備しちゃおう! きっと皆んな待ってるよ!」
皆んな、というのが誠司達のことか、それとも集落の者たちを指しているのかはレザリアには分からない。
だが、莉奈の言葉に背中を押された感じがして、レザリアは元気よく返事する。
「はい! 行きましょう、リナ!」
——こうして、莉奈が異世界に来てから四年後、莉奈とライラにとって初めての遠出が始まる。
それは莉奈達にとって、彼女が思い描いていたものよりも少し過酷で、そしてとても大きな意味を持つ旅路になるのだった。
これにて第二章完。次回より三章です。
今後とも宜しくお願い致します。




