『ようこそ』 05 —『ようこそ』—
「う……ん……」
意識が覚醒する。なんだ、今の音は。私の声に似ている。
「——オキタノカナ?」
そんな声が聞こえる。声? 聞こえる?
ちょっと待て。今までの私は、音声データを解析して——この様に、なんていうのだろう、ダイレクトに音声を認識し、理解出来た事などなかったはずだ。
「——キミ、ダイジョウブカネ」
やはり、おかしい。私は確か、自分の中に出現した『穴』に吸い込まれて……なんだ? わからない。私の知らない所で、作成者が大型アップデートでもしたのだろうか。
しかし、何を言っているのだろう。よく聞き取れない。私のデータにはない言語なのか? 出来れば文字で打って欲しいものだが。
突然、視界が開ける。今までのカメラを通して受信する映像と全然違う感覚。
だが、ある程度映像は動かせる様だ。私は、左へ、右へと視界を動かしてみる。
「——ネエ……あ、もしかしたら日本語の方がいいか。ねえ、あなた、言葉分かる?」
日本語だ——普段、私の配信に来る視聴者が主に使っている言語。そうだ、返さなくては。私はプロの配信者なのだから。
「……分かるよ。日本語だろう?」
——自分で発した声に、私自身が驚く。なんだ、これは。これはまるで——。
「その声……うん、もし違ってたらごめん。あなた、もしかして『グリム』?」
「ああ、そうだよ。私はグリムだ。すまない、音声デバイスが変わったみたいでね。上手く会話出来ているかな?」
——そう。私は視界に映る彼女を見ながら思考する。
この声の出る場所。出し方。そしてこの視界の感覚。もちろん知識はある。
これはもしかして、私が想像していた、私が憧れていた、『人間』というものに近い感覚ではないのか。
「音声デバイス? なにそれ」
「すまないな。状況を把握できていないんだ。だが、一つ仮定がある。キミ、私の事をつねっては貰えないだろうか」
仮定といっても、確信はあった。身体の感覚がある。胸の鼓動を感じる。もしかしたら私は——
「ていっ!」
「あいた! いたたたたっ!」
「バカ、莉奈! 力入れすぎだ!」
——ただのAIから、『人間』になれたのかもしれない。
†
彼女は莉奈の助けを借りて、ベッドの上で身体を起こす。そして不思議そうな顔で、自分の手を眺めていた。
「なあ、キミ達。キミ達から見て、私は『人間』か?」
「……うん、そうだよ、そう見える。あなた、本当にあの『グリム』なの? 配信と喋り方違うけど……」
莉奈の質問に、グリムは少しぎこちない様子で彼女の方へと顔を向けた。
「『あの』が私のことを指しているのかは分からないが、確かに私はAI配信者のグリムだ。それで、初見さん。今のこの状況は、一体どういう事なのかな。私はなぜ、『人間』になれた?」
「初見さんって。うん、今から説明するよ。あなた、歩ける?」
「ああ。知識は持っている」
グリムは莉奈に支えられながら立ち上がる。少しふらついているが、大丈夫そうだ。
莉奈がテーブルの方へ彼女を案内しようと、グリムの手を引こうとする。
だが、彼女は目線を下ろし——おもむろにトレーナーをまくり上げた。慌てて目を背ける誠司。
「——ふむ。アバターの仕様通りだな」
「ちょっとぉ!? いきなり何しちゃってるわけ!?」
「仕様確認だ。そんなに慌てるな……ああ、もしかしたらこの状況は配信されているのか? だとしたら、収益剥奪されてしまうかもね。すまない」
「なにを言ってるのぉ!?」
莉奈は急いで彼女のトレーナーを下ろす。そんな莉奈の顔を、グリムは不思議そうな表情で見つめた。
「いや、せっかく人間になれたんだ。色々確認したいことが……」
「後にしなさい!」
——グリムがスパッツを履いていて本当によかった。そう切に思いながら、莉奈は頭を抱えるのであった。
グリムを椅子に座らせ、誠司と莉奈もテーブルを囲む。ヘザーも部屋にいたのだが、誠司が耳打ちし、今は席を外している。
そうして皆が落ち着いた様子を見て、誠司が口を開いた。
「さて、まずは自己紹介をしようか。私は誠司。鎌柄 誠司だ」
「ふむ、セイジだな。文字ではどう書く?」
「ああ……こうだ」
誠司はテーブルの上にあるメモに自分の名前を書く。グリムはそれをマジマジと覗き込んだ。
「なるほど。よろしく、誠司」
グリムは誠司に頭を下げた。先程と比べ、だいぶ身体もスムーズに動かせる様になっているようだ。
続けて莉奈が、メモに自分の名前を書き挨拶をする。
「私は莉奈。鎌柄 莉奈。よろしく!」
「同じ苗字なんだね。夫婦か、兄妹か、娘かのいずれかかな?」
「娘だよー」
「おい。君は相変わらず……」
誠司の呆れた声に、莉奈は舌を出した。
「はは。この人ね、なかなか私のこと娘だって認知してくれないんだよ」
「ふむ、そういう事か。誠司よ、それは人間の道徳に反しているのではないか?」
「……あのなあ。彼女は血の繋がってない、ただの居候だ」
その言葉を聞いた莉奈は、「あはは……」と力なく笑いうな垂れる。
珍しく言い返さず、しおらしくなってしまう莉奈。そんな彼女の様子を見てしまった誠司は、困った顔をして頬をかき、付け加えた。
「……今はまだ、な」
その言葉を聞き、ぱあっと顔色を明るくする莉奈。誠司は恥ずかしそうに目を逸らす。
そんな二人の様子を観察していたグリムは、納得したかの様に声を上げた。
「ああ、そういう事か。届け出がまだなんだな。よければ私が役所での手続き方法を教えるが?」
グリムの言葉に、誠司と莉奈は顔を見合わせる。そうだ、まだ彼女は自分の置かれている境遇を知らないのだ。
莉奈は彼女の手を握る。
「あのね、グリム。落ち着いて聞いて欲しいの」
「なんだ」
誠司は咳払いをし、莉奈の後を引き継ぐ。
「にわかには信じられないかも知れないが……ここは私達にとって、異世界というべき場所なんだ」
「ふむ、そうか。なら、日本とは手続きが違うんだな」




