『ようこそ』 04 —『サインイン』—
その人影は、ゆっくり、ゆっくりと地面に向かい落ちてきていた。
莉奈達がその場にたどり着いても、その人影はまだ地表には到達していなかった。
だが、その人影の容姿が何となく分かるくらいには近づいていた。女性だ。
莉奈はだいぶ近くなった人影を見上げ、誠司につぶやく。
「……誠司さん……空から女の子が……」
「……莉奈……こんな時にふざけるんじゃない……」
「いや……ふざけてる訳じゃ……」
やがて目の前まで降りてきた人物を、誠司が受け止めた。
その人物はセミロングの青髪の女性で、その頭には不思議な髪飾りが付いている。
やたらと均整の取れた顔立ちをしており、ともすれば作り物ではないかと錯覚してしまう程だ。
服装はブカブカのトレーナーを着ており、下は恐らく履いているのだろうが、トレーナーに隠れて見えない。
そして彼女は、気を失っていた。まるで、そう、莉奈がこの世界に来た時の様に——。
「……転移者……か?」
誠司が呻く様につぶやいた。
莉奈はその人物の顔を、まじまじと覗き込む。
「……ねえ、誠司さん……この娘『グリム』じゃない?」
「……『グリム』?……有名人なのか?」
「……知らない? AI技術とかで、まるで本物の人間の様な外見をした、中身もAIの配信者。ちょっとした話題になってたよ。でも、実在してないはずだから、コスプレした人なのかもだけど……」
誠司は記憶を思い起こす。
確かに、誠司が転移して来る前の二〇二五年のあの世界では、数年間でAI技術が飛躍的に進歩したと記憶している。だが——。
「……私は知らないな」
「そういう配信とかはあまり見なかったの?」
「普段、雑学系の動画ばっかり観ていたよ」
「誠司さんらしいね」
「そうか?……とりあえず、放ってはおけまい。連れて帰ろうか」
このまま、ここでこうしていても埒があかない。誠司は彼女を肩に担ごうとするが——
「ちょっと待って!」
——莉奈が止める。
「どうした?」
そう問いかける誠司に答えず、莉奈は無言で彼女のトレーナーをめくって中を覗き込んだ。
「……うん、大丈夫。誠司さん、担いじゃって」
「?……ああ」
誠司は不思議な顔をしながら、彼女を肩に担ぐ。レザリアの時にやっていた、ファイヤーマンズキャリーとかいう担ぎ方だ。
彼女のスパッツが丸出しになる。
(……まったく、そこら辺、気にして欲しいよね)
莉奈はため息をつきながら、誠司の後を歩き出すのだった。
二人は馬車に向かう。わずかな間の沈黙。誠司は意を決し、平静を装って莉奈に話しかけた。
「なあ、莉奈。その……傷は大丈夫か」
「ん? 傷?……ああ——」
莉奈は今朝のヘザーとのやり取りを思い出す。そうだ、この人は私を斬ってしまった事を気にしてるんだっけ——。
「——全然。みんなのおかげですっかり元通りだよ。もしかして、心配してくれてるの?」
「……君は……死ぬのが怖くないのか?」
「うん、怖いよ」
莉奈は、事もなげな様子で誠司に返す。誠司は莉奈を真っ直ぐに見据えた。
「だったら——」
「でも、生きてるでしょ?」
「……致命傷だったんだぞ」
「そうみたいだね。でも、生きてる」
莉奈は誠司を優しく見つめ返す。
「運が良かっただけだ……」
「ふふ。誠司さんを残して死ねませんって。実際、レザリアの回復魔法当てにしてたからね」
「私は……とんでもない事を……」
「ん? 誠司さんが話聞かなかったのはともかく、斬られたのは私の意志だし。でも、結局みんな無事で丸く収まったでしょ?」
その莉奈の言葉に、誠司は顔を歪める。まるで涙をこらえるかの様に。
「結果論だ……君は、残された者の気持ちは考えてくれないのか……」
「残された者の気持ち? 誠司さん、言ったね? ついに言ったね?」
そう言ってしたり顔をする莉奈。そんな彼女の様子に誠司は真意を測りかね、言葉を返せない。莉奈は続ける。
「誠司さん、今はそうでもないかもだけどさ、ライラの幸せのためー、とか言って死のうとしてたじゃん?」
確かに、そうだ。莉奈の言う通りだ。それが原因で、莉奈と言い合いをした事もある。
「ああ……まあ、な。そうだな、すまない……」
莉奈の言わんとしている事が分かった誠司は、視線を落とした。残された者の気持ち、それは自分が一番よく分かっているつもりだったのに——。
「だからさ、誰かの為に死ぬなんて考えるのよそうよ。これに懲りたら、さ。少なくとも私はあの時、命は懸けたけど生きる計算だけはしていた。だからこうして今、生きてるんだと思う。だから誠司さんもさ、誰かの為に死ぬんじゃなくて、生きて、生きて、足掻こうよ。お互いにね」
誠司は、前向きな莉奈の言葉に頬を緩めた。生き足掻く、か——。
「ああ……ただ——」
「ん、なに?」
「……お願いだ。出来れば致命傷を受けない様に、計算をしてくれないか」
「あはは、ヘザーにも言われた……」
莉奈は頬っぺたをかく。それもそうだ。なんだかんだ言って、莉奈も反省しているのだ。
もし次に同じ様なことがあったら、もう少し浅く斬られなきゃなあ、と。
——まるで懲りていない。周りが心配するのも、当たり前である。
「あ、そうそう。それで思い出した。誠司さん、夜な夜な泣いてくれたんだって?『愛しい娘よー』って」
「……ヘザーめ……言いやがったのか……」
「ほんとなんだ?」
「……ノーコメントだ」
「ふふーん。じゃあ、仲直り。そもそも私は気にしてないし。誠司さんが相手してくれない方が、よっぽど辛いよ」
莉奈は誠司の前に回り込んで、顔を覗き込んだ。いつの間にか誠司は、莉奈の目を見る事が出来る様になっていた。
「すまなかったな。こんな偏屈親父の相手をさせてしまって」
「いいんだよー。そんな相手がいるっていうだけで、どんなに素晴らしい事か! いやあ、それにしてもよかった。私はてっきり見られたのかと……」
と、言いかけて莉奈は慌てて口を噤む。
いけない、いけない。自分から振ってどうする。まあ、誠司さんは何のことだか分かってないみたいだし——。
「…………」
誠司は無言で目を背ける。
「え? まさか、誠司さん……あの……まさか……だよね?」
「……さて、ヘザーをすっかり待たせてしまっているな。急ごう」
「ちょ、えっ、待って、そうなの? そういう事なの?」
「……掘り下げるな。私は何も見ていない」
「……あ、え、うん。分かった。返せ」
「何をだ」
「記憶をだよぉ!」
誠司は駆ける。莉奈が追いかける。
莉奈は笑顔で追いかけながら、しみじみと思う。やはりこうがいい。こうでなきゃ。
誠司は逃げながら、しみじみと思う。莉奈が生きていてくれて、本当に良かった。
こうしてわだかまりが解けた二人は、女性を馬車に乗せ『魔女の家』へと運び込む。
そして誠司と莉奈が見守る中、数時間程経過し——彼女は目を覚ますのであった。




