『南の魔女』 05 —名を継ぐ者—
サランディアで必要な物を買い揃えた一行は、南の地、スドラートを目指す。
予定通りバッグを通してヘザーが合流し、『魔女の家』の留守を任せる為にレザリアをバッグに押し込んだ。
レザリアは少しグズっていたが、自分の役割を理解しているのだろう、意外と大人しく『魔女の家』へと帰って行った。
馬車は走る。莉奈達を乗せて——。
そしてサランディアを発ってから二日後、香る潮風と共に海が見えてきた。莉奈は目を輝かせる。
「誠司さんっ! 海だよ、海!」
「ああ、海だな」
このトロア地方の南部には、海が広がっている。この世界は科学的な文明が発展していないからなのだろうか、その海は美しい。
莉奈達は目的地の近くにある漁村で馬車を止め、誠司、莉奈、ヘザーの三人で『南の魔女』の住処へと向かう。
南の魔女に会うために先日のギルドの入れ替わり以降、誠司は睡眠調整をし、ある程度昼型の生活を送っていた。夜中はヘザーがライラの相手をしてくれているので安心だ。
莉奈は見上げる、目的の場所を。それは村からも見える崖の上にある建物、通称『魔女の館』だ。
「……待ってー、疲れたー、上り坂きついー」
馬車でのテンションとは打って変わって、莉奈の泣き言が止まらない。途中で拾った木の枝を杖代わりにして、えっちらおっちら誠司達の後をついてくる。
そんな莉奈の様子をちらりと振り返り、誠司はため息をついた。
「……そんなに大変なら空を飛んだらどうかね」
「いやー、空飛ぶのに慣れちゃうと身体鈍っちゃうじゃん? こんな時ぐらいちゃんと身体動かさなくちゃ」
「まあ、確かにそうだな。じゃあ、これも一つの鍛錬だと思って頑張りなさい」
「もう、優しくない! もっと励ませ!」
誠司の言葉に、莉奈は頬っぺたを膨らませる。
確かに崖上まで続くこの上り坂は、割りかし急ではあるが——まあ実の所、莉奈は言うほど疲れている訳ではない。
彼女も日頃から鍛錬しているのだ。この程度はちょっとぐらいしか辛くない。ちょっとぐらいしか。ただ誠司に構って貰いたくて、大袈裟に表現しているだけなのだ。
しかし、誠司も普段の莉奈を見ている。この程度で根を上げる程度の娘じゃない事を分かっている。だったら構ってやるもんか——。
と、二人がどうでもいい心理戦を繰り広げている時だった。涼しい顔で先行していたヘザーが振り返る。
「二人とも。見えてきましたよ」
「ホント!?」
莉奈は杖を放り出し、駆け出す。
ほら、やっぱり元気じゃないか——と眉間にシワを寄せる誠司を追い抜かして、莉奈は最後の坂道を駆け上がった。
見晴らしのいい崖の上。そこに建っている古めかしい館。
だが、その外観や周辺は綺麗に管理されている様だ。館の主の人柄が透けて見える。
莉奈は振り返って、歩いてくる二人を手招きする。
「おーい、二人ともー、早く早くー!」
「まったく、少しは落ち着いたらどうだ」
ぶつぶつと文句を言いながらも、誠司の口元は緩んでいる。莉奈は館を眺めながら、二人に話しかけた。
「ここだよね……なんかいかにも魔女が住んでる、って感じの所だね」
「ああ。魔女が住んでいるからな」
「それに……」
「ああ」
誠司と莉奈は目配せをする。魔力の波動を感じるのだ。それはまるで、何者かが魔法を詠唱しているかの様な。
莉奈達はその魔力の漂ってくる方向に目を向ける。館の上の方だ。
と、その時、辺りに声が響く。
「あーはっはっ! よく来たわね、『西の魔女』の縁の者達よ!」
その声と共に、館の屋根の物影から何者かが踊り出す。その人物は「とうっ!」と掛け声を上げ、屋根を蹴った。
危ない。莉奈はそう感じ、飛び上がろうとしたが——なんとその人物は、空中で静止したのだった。
そう、これは——と三人は思い当たる。『空を飛ぶ魔法』だ。
その者はウィッチハットにワンピース、マント姿と、いかにも『魔女』っぽい風体をしていた。
彼女は空中で腕を組み、高らかに名乗りを上げる。
「初めまして、アタシはビオラ。偉大なる二代目『南の魔女』ナーディアの一番弟子にして、三代目『南の魔女』の名を継ぐ者。どうやらあなた達、アタシの力が必要みたいね?」
どうやら彼女が目的の人物らしい。
だが——誠司達三人は顔を見合わせる。何でこの人は飛んでいるんだろう、と。
ビオラはポカンとする三人を見て、目をつむり満足そうに頷く。
「ふふ、ごめんね。驚かせちゃったかしら? これはね、『空を飛ぶ魔法』。あなた達、見るのは初めてでしょう? だって、この魔法を扱える者はそうそういないもの」
なるほど、彼女は自分の力を披露したかったみたいだ。
しかし——誠司達三人は再び顔を見合わせる。
確かに凄いが、力を示すにしても『空を飛ぶ魔法』はいけない。はっきり言って、気まずい。
いまだに満足そうに頷いているビオラを横目に、誠司は莉奈に耳打ちをする。
(莉奈……どうせバレるなら早い方がいい。見せてやりなさい)
(ええっ!? でも、あの人の尊厳、破壊しちゃわない? すっごい幸せそうだよ?)
(ここで驚いたフリでもしてみろ。後でバレた時に彼女が傷つく。私がフォローするから……)
(うう……頼むよ、誠司さん……)
莉奈は誠司を恨めしそうに眺め、空へと浮かび上がった。そして、いまだに目をつむっているビオラの前に立ち、声を掛ける。
「あのう」
「え?……うひゃあ!」
突然の声に驚き、ビオラは体勢を崩してしまった。今度こそ危ない。莉奈は慌てて彼女を支えた。
慣れるまでの私もこんな感じだったなあと、莉奈は在りし日の自分と彼女の姿を重ね合わせる。
「ごめんなさい。私、莉奈っていいます。『魔女の家』の娘担当です」
「え、あ、あ、あなたも『空を飛ぶ魔法』を、つ、使えるの……!?」
「いえ、私のは——」
ビオラに莉奈が説明しようとした時だった。彼女の身体がガクンと揺れる。
「……あ……ゴメ……魔力切れ……」
「ちょ、ちょっとぉっ!?」
みるみる内に力が抜けていくビオラの身体。とっさに莉奈はビオラを抱えるが——莉奈の腕に彼女の全体重がのしかかる。
重い。軽いけど重い。というかこのままでは二人とも危ない。人を抱えて飛ぶのはまだまだ苦手——
(——あ、そうだ)
莉奈は思い立つ。確かに人を抱えて飛ぶのは苦手だ。でも勢いをつければニーゼどころか誠司さんですら運べたではないか。
つまり、抱えて飛ぶんじゃない。飛びながら抱えるんだ——。
莉奈は勢いをつけ、大きく旋回しながらビオラを運ぶ。莉奈の予想通り、抱えて運ぶ事を意識するよりも断然運びやすかった。
例えるなら、そう、重いものは持ち上げて運ぶより、押して運ぶ方が容易いような感覚だろうか——。
その考えに至り、うんうんと満足そうに頷く莉奈の顔を、ビオラは目をまんまるに見開いて眺めるのだった。




