『南の魔女』 01 —拝啓 初夏の候—
「聞いたぞ、セイジ。どうだ、ライラちゃんは可愛いかっただろう?」
「ああ。親バカで申し訳ないが、世界一可愛かったよ」
一行が妖精王、そしてヴァナルガンドの元を訪れてから数日後、ノクスが週一の物資を届けに『魔女の家』にやって来た。
先月の『人身売買』の件もどうにか落ち着き、今日は久しぶりに泊まっていくようだ。
馬車も購入し、ある程度自由に動ける様になった今、そこまでして貰う義理もないのだが——
——ノクスはノクスで、長年続けてきた俺の趣味を奪わないでくれと、相変わらず週一で訪れる気満々だ。なんだかんだで彼も楽しみにしているのだろう。
今夜はのんびりと、誠司と酒を酌み交わしている。
「そういえばカルデネは? 昼間っから姿が見えねえが」
そのノクスの質問には、同席して一緒に酒をチビチビやっている莉奈が答える。
「うん、後で姿を見せるように言ってあるって、ヘザーが言ってたけど……」
と、その時。まるで聞こえていたかの様なタイミングで扉が開いた。そして、目の下にクマを作ったカルデネがフラフラしながら部屋に入ってくる。
「……失礼します。ノクス様、お久しぶりでございます。その節は、多大なるご温情を……」
「久しぶりって、まだ一週間ぐらいしか経ってねえだろ。つうか、どうした。フラフラじゃねえか——まさか、セイジ、お前さん、カルデネに相当無茶させてるんじゃ……」
「ち、違う! これにはわけがあってだな、私は止めてるんだ!」
そこで、椅子にダランと座り込んだカルデネが、誠司を虚ろな目で見ながらつぶやいた。
「止めないでね、セイジ様。私、セイジ様の恩義に、絶対報いてみせるから……」
「おい、一体……」
カルデネの言葉の意味が分からず、呆然とするノクス。そこに、軽食を持ったヘザーが入って来た。
「ノクスさん、カルデネは書庫で研究してるんですよ」
「研究……? 一体、何の……」
ノクスは問いかけるが、話の流れでおおよその検討はついてしまった。誠司がライラの姿を見ることが出来たのは、カルデネのおかげだという。つまり——。
「うん。セイジ様とライラを正常な状態に戻す方法。待っててね、セイジ様。いつか必ず、私が……」
カルデネは天井を見上げてウフフと笑い出す。その様子を見た誠司は、ため息をついた。
「と、いう事だ。気持ちは嬉しいし、私もカルデネ君には期待しているが……ちょっとやり過ぎじゃないか」
「はい、私も止めているのですが……起きている時間はずっと資料を読み漁っていて。あの場所に入れたのは失敗だったのでしょうか」
ヘザーも頬に手を当ててため息をつく。
あの場所とは勿論書庫の事だ。莉奈もライラも入った事がない場所。その場所に連れられたカルデネは目を輝かせ、そして引きこもってしまったのだ。
だが、そのヘザーの言葉を聞き、カルデネはガバッと起き上がる。
「ううん。研究職やってた頃はこんなの当たり前だったから。こんなのまだ序の口。さあ、そろそろ戻って続きをしないと——」
そう言ってフラフラと立ちあがろうとするカルデネ。ヘザーは首を横に振りながらポケットから取り出した布を彼女の口にあてがった。途端に瞼を閉じるカルデネ。眠り薬だ。
スースーと穏やかな寝息を立て始めるカルデネを支え、ヘザーは困った様に笑う。
「挨拶も終わったので、ゆっくり寝かせますね。確か、『ドクターストップ』とか言うんでしたっけ?」
呆然とする誠司達を気にする事なく、ヘザーはカルデネを担ぎ上げる。そして、ヘザーは誠司の方を見ながら口を開いた。
「彼女の名誉の為に言っておきますが、見ていて分かりました。彼女の研究に対する姿勢、熱意、洞察力は本物です。それに——」
ヘザーは一旦区切り、言葉を選ぶ。
「——初めて聞きましたよ。『深き眠りに誘う魔法』は使えるのに、その下位にあたる『子守唄の魔法』は覚えていない者など。彼女にはきっと、別の世界が見えているのでしょうね」
一礼して去っていくヘザーを見送って、ノクスは大きく息を吐いた。
「ウチじゃあ見せなかったが……カルデネ、あんな娘だったんだなあ……」
「ああ、私も驚いている。なんでもヘザーから聞いた話じゃ、当時魔法国で研究職をやっていたらしい。だが、人との関係に疲れて国を出たという話だ」
これは莉奈とヘザーが彼女から聞いた話だが、彼女は当時、何故か男性からは言い寄られ、女性には疎まれ、ほとほと苦労していたらしい。それは、その容姿のせいだろうなと莉奈は思う。
そのせいで研究に没頭出来なくなった彼女は、魔法国に見切りをつけ国を出たのだ。
ただ、カルデネはどこに行っても似たような状況に陥ってしまう。彼女はただ、研究したいだけなのに。苦労の人である。
「……ほう、魔法国ねえ。じゃあ『厄災』の被害に遭う前に国を出たのか?」
「彼女が魔法国にいたのは五十年前の話、だそうだ」
「……俺よりも歳上じゃねえか」
魔族の寿命は、エルフ程ではないが総じて長い。いや、むしろこの世界では相対的に、百年も生きられない人間族の寿命が短いのだ。
「まあ、そんな事言ったらエリスも私より、かなりの歳上だ。気にした事はないがね」
「エリスさんか……おっと、そうだ」
エリスの名前が出た所で、ノクスは思い出したかの様に手荷物をあさる。そして一通の手紙を取り出し、誠司に差し出した。
「忘れるところだった。『南の魔女』さんから、手紙が来てるぞ」
「うん? 随分早いな。どれ——」
誠司は手紙を受け取り読み始める。
先代『南の魔女』の訃報が記された、現『南の魔女』からの手紙を受け取り、その返事を書いて出したのは前回サランディアを訪れた時だった。返事が早いのは助かる。きっと真面目な人なのだろう。
やがて手紙を読み終えた誠司は、和かに莉奈の方を向いた。
「莉奈、海は好きかな?」
「え、何、突然。そりゃ好きかどうかって言われたら大好きだけど」
莉奈は思い返す、元の世界を。お気に入りの道から見える海。
波の音。香る潮風。うねる波を眺めていると、ちっぽけな悩みなど忘れてしまえる。元の世界で、ささくれ立った莉奈の心を癒やしてくれた海。
そう、いつまでも見ていられた。いつまでも、いつまでも——。
郷愁に浸る莉奈に、誠司は微笑む。
「莉奈、南の魔女は私達を歓迎してくれるそうだ。早速、明日にでも準備が出来次第向かうとするか。この世界の海は、綺麗だぞ」
その言葉に、莉奈は嬉しさのあまり思わず立ち上がった。
「誠司さんっ!」
「どうした?」
「水着回だねっ」
「は?……ああ、まあ別に構わないが、海に入るにはまだ早いと思うんだが……」
「——ふふーん、ふふん、ふーん♪」
ご機嫌で身体を揺らしながら鼻歌を歌い出す莉奈。水着回が何を指すのか全く分からないノクスと、かろうじて分かる誠司は顔を見合わせる。
ただ、予定は決まった。目指すは南の地『スドラート』。そこに住まう『南の魔女』に会う為に、誠司達はその地に向かい旅立つのだった。




