10 『信頼』
「なんなんだあいつら!?」
「今からでも追いかけて、全員ぶちのめすのです!?」
クラリスとロロイの怒声が、屋敷中に響き渡っていた。
時刻は昼過ぎ。
ジミー達が帰ってから、まだほんの1時間ほどしか経っていない。
ミトラは、あの後すぐに「しばらく1人にしてほしい」と言って、自室に引きこもってしまった。
ちなみに。
今しがたクラリスから話を聞いたロロイは、ブチギレて手に負えないような状態になってしまっている。
そして、話しながらクラリスも怒りが再沸騰してきて、また全力で怒り始めていた。
ロロイがあの場にいなくて、本当によかった。
バージェス1人じゃ、流石にこの2人を止められなかっただろう。
ちなみに、俺はそういう時には全くもって役立たずなので悪しからず。
「やめろロロイ、クラリス。今回はそれで解決するような話じゃないんだ」
もし仮に、ジミー・ラディアックを秘密裏にぶちのめして、オークションに出られなくしてやったとしても…
結局この屋敷がオークションに出品されてしまうことに変わりはない。
そうなれば結局はどこかの貴族に買われ、そしてミトラとクラリスは追い出されるだろう。
それは、ミトラとしても避けたい結末のはずだった。
「私はそれでもいい! 私が姉さんが生きる分までマナを稼げばいいんだ」
そう言いながら、クラリスはハッとした。
なにか他の可能性に気がついたみたいだった。
「そうだ! ジルベルトだ。本家のジルベルトに言って、屋敷の出品を取りやめてもらおう!」
「いい考えなのです!」
そう言ってロロイとクラリスは、俺が止めるのも聞かずに連れだって出て行ってしまった。
半ば狂乱状態だ。
おそらくだが。
2人はそもそもキルケットの内門を通らせてもらえないだろう。
門番の衛兵相手に喧嘩をふっかけないかが心配だ。
そして、もともとの話。
ジルベルトはミトラに、始めから屋敷の買い取りを持ちかけているのだ。
「600万マナ…か。肉親からでさえマナをせしめようとするとは。ジルベルトという貴族は随分とマナに汚い男のようだな」
バージェスが忌々しげにつぶやいた。
「おそらくは、肉親だと認めていないんだろうな」
もし、クラリスとミトラが正式にキルト・ウォーレンの娘であり、ジルベルト・ウォーレンの妹であると認められてさえいれば…。
財産分与などで、この屋敷くらいは手に入っていたかもしれない。
2人は奴隷の子。
だから、本来ならば奴隷の扱い。
そして、大貴族の力でそれが抹消されたとはいえども……孤児。
だからこそ。
この屋敷は今もウォーレン家の持ち物で。
クラリスとミトラの2人は、この屋敷の所有についてはなんの権限も持っていない。
「そいつが、ミトラに600万マナって話を出したってことは。マナさえ用意できれば、ミトラたちに売る気があるってことだよな?」
バージェスが、少し考えありげにそう言った。
この屋敷をオークションに出品するということからも。ジルベルトという男が単純にマナを欲しがっているということが伺える。
「…だろうな」
俺は、なんとなく嫌な流れになってきているように感じた。
「つまり……欲しけりゃ金払え、ってことだ」
それは、ある意味ではわかりやすいが……額が額だ。
細々と暮らしているクラリスやミトラには、到底払えるような額ではないだろう。
「商売なら…お前の領分だよな」
バージェスがそう声をかけてきた。
途中からなんとなく。バージェスがそういう話にしたがっているようなのは感づいていたが…
「600万マナ…下手をすると900万や1200万だぞ? 一介の商人が用意できるような額じゃない」
これは、アルカナの店で薬草を買ったのとは、もう全く次元の違う話だ。
そしておそらく。始めにジルベルトがミトラに提示した600万マナというのは、最低設定価格かそれに近しい額なのだろう。
すでにジミー・ラディアックという相手がいる以上。オークションになればどう考えても競り合いが起きる。
もしそうなれば、下手をすると1.5倍から2倍。900万マナ〜1,200万マナくらいまでの額を想定しておかないといけないかもしれない。
そんな額は、一介の商人が手を出せるような金額じゃない。
遥か彼方の、雲の上の話だ。
「そこをなんとかするのが、商人アルバスだろうよ?」
なぜか。バージェスの中では勝手に、俺がなんとかするという話が進んでいるようだった。
「随分と買い被られてるけど…。そもそも俺がこの屋敷を買い取ってなんになるんだ?」
「そりゃ、自宅にでもなんでもすりゃあ良いだろう? そんで、ミトラとクラリスにひと部屋ふた部屋貸してやりゃいいんだ」
「……」
1200万マナで手に入るのが自宅なら、どう考えても割に合わない。
モルト町ならば、下手をすると家が数十軒建てられるかもしれない。
「もしくは、広い庭に店でも建てるか? ここは商店街からは離れるが、住宅街だからそれなりに客はいるぞ」
「だとしても、場所が悪いだろ」
商店を構えるなら当然、商店街だ。
結局買う気のある客は、商店街か、荷馬車行商広場に集まる。
総じて、俺がこの屋敷を手に入れる理由は何もない。
「バージェス。あんたはもともとミトラに惚れてたわけだし。今はクラリスに求婚されてる身だ。入れ込む気持ちはわかるが…、俺はそうじゃない」
クラリスとはパーティを組んだ仲だし、色々と助けられた場面もあった。
ミトラにも、ここしばらくは部屋を間借りさせてもらったり、飯を作ってもらった恩もある。
だが。
それはそれだ。
常識的に考えて、600万マナや1200万マナとは吊り合わないし。そもそも俺はそんなにマナを持っていない。
「わかってる。600万マナなんざ、普通の商人にしてみれば、いわば『ゴール』だ。そこまで稼ぎ出したら、あとは適当にしてても生きていける。お前に、それを買うための商売を強要するのは、間違ってるってのもわかってる」
バージェスは、淡々と語っていたが。
その裏には煮えたぎるような思いが見え隠れしていた。
「こういう場面は、王都でも散々みてきた。その時は、俺にも多少なりともマナがあったが。結局いつも、俺にはどうすることもできないことばかりだった」
バージェスら元聖騎士として、立場の弱いものが蹂躙されようとしているのが我慢ならない、という気持ちもあるのだろう。
「俺はこういう時、どうすればいいかわからねぇ。少なからず世話になった姉妹が、こんな目に遭ってるのに、どうすることもできねぇ…」
俯き加減でそんなことを呟くバージェス。
その拳は握り締められ、フルフルと震えていた。
「だから…」
そう言ってバージェスは、腰のマナ袋を取り外して俺の前にドンッと置いた。
「100万マナある。これをお前にやる! だからこの件を、お前の力でなんとかしてくれ」
「それは……無茶苦茶な話だろう」
要約すると。
100万マナやるから、残りのマナを俺が準備して。下手をすると900万マナや1,200万マナを超える金額になるものをオークションで買ってこい。
と、言っているわけだ。
とんだ高額のカツアゲだ。
普通に考えたら絶対に断る。
例えなんとか戦えるだけのマナが用意できたとしても…
命をかけた遺物探索で得られた資金を…、これからの俺の商売のためのマナを、ほとんど全てそこに注ぎ込むようなことになるだろう。
それは、俺自身の商人としての夢を大きく後退させることになる。
下手をすると、全てが一からやり直しだ。
「頼む…」
そう言ってバージェスは、頭を下げ始めた。
「お前の『薬草風呂』は最高だ。それに今回の『コドリスの香草焼き』も凄かった。クエストでモンスターをぶちのめすしか脳のない俺からすれば、あんな形でマナを稼ぎ出せるなんてのは奇跡みたいな話なんだ」
「バージェス…」
「お前なら出来る! だから頼む。あの2人を救ってやってくれ」
さらに頭を下げるバージェス。
「……」
それでも。
普通は断るだろう。
普通の…まともな計算ができる商人なら。
絶対に断る。
なにせ、成功するとマナを失うのだ。
失敗した方が儲かるという馬鹿みたいな勝負に、本気で取り組む奴なんかいるわけがないだろう。
「頼む…」
そう言って。
バージェスは、いつまでも経っても頭を上げなかった。
ふと、机の上に転がっているバージェスのマナ袋が目に入る。
使い込まれた袋だ。
「……」
バージェスが出している100万マナだって、本来かなりの大金だ。
それは、バージェスがこの後も冒険者として不確かに暮らしていくにあたって、その生活の拠り所となるマナだったはずだ。
「本気、なんだな…」
バージェスは、その全てを俺に託すと言っている。
それは、バージェスの覚悟だ。
元聖騎士様が、俺みたいにたいした能力も持っていない一商人を、えらく高く買ったもんだ。
「頼む!」
再度の大声。
俺が「うん」と言うまで、多分バージェスはずっとこうしているつもりだろう。
俺は、小さくため息をついた。
…俺の負けだ。
「……わかったよ」
「本当か!?」
俺が、この先900万マナや1,200万マナという大金を稼ぎ出せるかどうかは…正直わからない。
だが少なくとも。
この男は『商人アルバスにはそれができる』と信じてくれているようだ。
「ああ、やるだけやってみる」
仲間から信じられているなら…
それには応えなくてはならないだろう。
その気持ちに応えたいと思ってしまった時点でもう。
俺の負けだった。
「後2ヶ月、なんとか足掻いてみるよ」
商人にとって最も大事なものは…
『信頼』だからな。
「当然、お前も付き合えよ」
「ありがとう!! アルバス!」
そう言って抱きついてくるバージェスに、俺は危うく絞め殺されかけた。
その後。
やはり俺の予想通りに内門をくぐれず、意気消沈して帰ってきたロロイとクラリスは…
部屋で抱き合っている俺達を見て、過去最高にドン引きしていた。
そんな彼女らに。
俺はバージェスとした先程の話を伝えた。
「本当に…、やってくれるのか?」
話を聞いたクラリスは、すでに涙目になっている。
「ちゃんと買えたら、庭に店でも建てさせろよな」