37 奴隷闘技場⑤
「あの子……、剣士なのか?」
剣を抜き放ったクラリスに対し、観客席からはそんな声が聞こえ始めた。
「ギャアオォォォ――――ン」
左の視界を失ったルードキマイラがそんな咆哮と共に雷電を纏い、周囲に向けて無差別に放ち始めた。
クラリスは少し距離を取ってルードキマイラと対峙している。
冷静にルードキマイラの動きを見ながら、必要に応じてその雷撃を防衛魔術で受け止めていた。
クラリスの魔障壁とルードキマイラの雷撃とが方々でぶつかり合って弾け、闘技場にはすさまじい爆音が響き続けていた。
そうしながらも、クラリスは徐々にルードキマイラのつぶれた左目の側へと回り込んでいっている。
そして、クラリスがいきなり動いた。
もちろん、ルードキマイラの潰れた左目の側へ、だ。
ルードキマイラの側からすれば、クラリスが突然に視界から消えたようなものだろう。
その最中、クラリスの手からは再び投げナイフが放たれた。
その投げナイフは、今度はルードキマイラの後ろ脚に突き刺さり、その態勢をぐらりと崩したのだった。
体勢を崩したルードキマイラに対し、クラリスが視界の外側から肉薄する。
すれ違いざま、その左前足を闘気剣で叩き斬った。
片方の前足を失ったルードキマイラは、そのまま顎から地面へと倒れ込んだ。
ルードキマイラは何が起きたかわかっていないようだ。
起きあがろうとして失った前足の付け根をバタバタとさせている。
クラリスはそんなルードキマイラにさらなる一撃を入れながら、素早く再び距離を取ったのだった。
これら一連の戦闘は、本当にあっという間の出来事だった。
魔獣との戦闘を観察することに慣れている俺だからこそ、何とか状況とクラリスの動きや駆け引きが理解できているだけで、普通の街人にはただただクラリスがルードキマイラを圧倒しているようにしか見えなかっただろう。
いきなり闘技場に乱入した街人の格好をした少女が、なぜか特級魔獣であるルードキマイラを圧倒してる。
そんな意味のわからない状況を、観客達は皆が皆、一言も発せないままに見守っていた。
いまや、闘技場はしんと静まり返っていた。
「あっ! あいつは『キマイラ喰い』じゃないか!?」
俺の隣で、わざとらしくシャルシャーナがそう叫んだ。
そして、俺に向かってニヤリと笑って見せたのだった。
それを皮切りに、各地で観客達から声が上がり始めた。
「な、なんだって⁉︎」
「本当だ! 俺も闘技大会の予選で顔を見たぞ!」
「『キマイラ喰い』のクラリス!」
「超腕利きの、特級冒険者だ!」
やがてその事実が波のように広がると共に、場内は先ほどまでとは質の違う歓声に包まれた。
起き上がろうとしているルードキマイラに対し、クラリスが追撃を加える度に場内がどよめく。
ルードキマイラの雷撃に合わせてクラリスが後方に跳びずさると、悲鳴と共に再びの歓声が沸き起こった。
「すげぇ……」
「どうやって避けてるんだあれ⁉︎」
「あれが、一流の冒険者の戦いなのか……」
次々と繰り出される雷撃のその全てをかわしながら、クラリスは凄まじい素早さでのヒット&アウェイを繰り返している。
竜巻のような剣劇を繰り出し続け、クラリスはルードキマイラの全身をなますぎりにして行った。
場内の歓声はどんどん高まっていき、今や観客の大半が立ち上がって前のめりになりながら観戦するような事態となっている。
そうしてクラリスに全身を斬りつけられ続けたルードキマイラは、咆哮を上げることも、雷撃を放つこともできなくなり、やがて完全に動かなくなったのだった。
観客席は大歓声に包まれ、クラリスの勝利をたたえていた。
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「……」
歓声に包まれる闘技場の中心にて。
クラリスは動かなくなったルードキマイラを、じっと泣きそうな顔で見つめていた。
そのルードキマイラの首筋には、今日つけられた物ではない傷が、深々とした傷口を覗かせていたのだった。
「ごめんな。二度もあんたを殺した。でも……、こうするしかなかったんだ」
そんなクラリスの呟きは……
近くにいた魚人の男以外には聞こえていなかった。
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次は……俺の番だ。
クラリスが闘技場に乱入し、魚人の男を助けてルードキマイラを倒してしまった後。
俺はシャルシャーナの協力を得て司会者から拡声器を奪い取った。
そして、一連のアクシデントを全て『クドドリン卿から依頼を受けた俺の演出』ということにしてしまった。
「皆様! 大盛況のミストリア劇場を取り仕切る『商人アルバス』とその護衛である『女性剣士クラリス』によるとびっきりの闘技演出。お楽しみいただけましたでしょうか!?」
なんとかしてこれを既成事実とするために、適当な言葉を並べ立てて必死に喋りまくった。
どう転ぶかは時の運や場内の熱量が影響するところだと思っていたが、温まり切った場内はそれはそれで大いに盛り上がったのだった。
「では、本日の公演はこれまでとなります。またのご来場を心よりお持ちしております」
そうして、そのまま無理矢理に閉会を宣言した。
そしてその後俺は、シャルシャーナを伴って貴族席へと向かったのだった。
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クドドリン卿は怒り心頭かと思いきや、思いがけず酒に酔ったような様子でふらふらしていた。
なかなかのヤバい目つきをしていたクドドリン卿だったが……
「なかなかやるね。街人向けにアレンジされた素晴らしい演出だった。これはお前が考え出した演出なのか? だとしたら、なかなかの商才だ」
などと、皇女シャルシャーナがその手腕を讃えたことでクドドリン卿は一気に掌を返し、それを自分が手配した自分の手柄だと認めたのだった。
当然、クドドリン卿は皇女シャルシャーナの顔を知っている。
俺と一緒に貴族席に現れた女が皇女殿下だという事をわかった上で、そういう判断をしたのだ。
そんな感じで、ギリギリのところでなんとか大トラブルを回避できた。
クラリスが飛び出そうとした時点で頭の中にあった『この場の納め方』は、何とか滞りなく実行に移せた形だ。
ロロイを連れてこなかったのは、ああいう風に暴走されると困るからだったんだが……
代わりに、クラリスが見事に暴走してしまった。
シャルシャーナに焚きつけられたというのもあったので、クラリスばかりが悪いというのもちょっと違う気もするが……
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「……ごめん」
帰り道、クラリスが肩を落としながらポツリとそう言った。
「私、やっぱり頭に血が上るとだめだな」
「引き続き『バージェスにイラつかない訓練』に励んでくれ。今日のことは、いまさらあーだこーだと言っても仕方がないさ」
そうは言ったものの、今日の俺とクラリスの行動は結果的にはクドドリン卿の奴隷闘技場の興行に手を貸してしまう形となっていた。
クラリスの乱入によって、クドドリン卿の奴隷闘技場の初回の興行は、最高潮の熱気に包まれたままめでたくお開きとなった。
これに味をしめたクドドリン卿は、すぐにまた奴隷闘技場を開催しようとするだろう。
今の俺は、それを止める術を持ち合わせてはいなかった。
だが……
そんな俺やクラリスの心配とは異なり、クドドリン卿の奴隷闘技場はその日を最後に二度と開催されることはなかったのだった。