33 奴隷闘技場①
その晩、特に異変は起きなかった。
魚人の子供達は、あれ以来特に騒ぎ立てることはなく、これまでのように檻の中で五人で暴れ回っていた。
異変は……、翌日に起きた。
「アルバス! 大変だ!」
そう言いながらクラリスがお屋敷に飛び込んできたのはその日の昼前のことだった。
「どうした? よくここがわかったな」
最近のこの時間はだいたい外にいるのだが……
昨晩の魚人の子供の様子が気になっていたので、今日はロロイと一緒にお屋敷にいた。
「いつもみたくエルフ達と外かと思って、東西南北の行商広場を全部駆け回った!」
「それは……」
どんだけの距離を走ってきたんだ……
俺だったら普通に一日以上かかるぞ。
「で、最後にアマランシアから『たぶんお屋敷だ』って聞いて……やっと見つけた! なんでお屋敷にいるんだよ。俊足スキルを使いすぎて吐きそうだ……」
「悪いことをしたな。……で、何が大変なんだ?」
俺は、倉庫から水を出してクラリスに差し出した。
クラリスはそれを一息で飲み干すと、服の中から何やら紙のようなものを取り出した。
「これだよ!」
そう言ってクラリスが見せてきたのは……
クドドリン卿による『奴隷闘技場の開催』を知らせるチラシ紙だった。
おそらくどこかの壁に貼っているあったものを剥がしてきたのだろう。
「奴隷闘技場……か」
限定感を煽るような謳い文句と共に、『中央大陸では相当な人気を博していた』などという話がつらつらと書かれていた。
また、槍を持った二足歩行の魚と、ウルフェス種らしきモンスターが戦う姿も描かれている。
そしてそこに記載されている開催日は、本日だった。
「いつの間に……」
俺がクドドリン卿から魚人の子供を買い取ってからは、すでに半月近くが経過している。
その間俺は、エルフの行商人についての準備を着々と進めながらも、クドドリン卿の動向に目を光らせていた。
元々のクドドリン卿の目的は『闘技場に奴隷魚人を出場させて、血なまぐさいショーで興行収入を得ること』なのだから、そのために再びサウスミリアに行って魚人を捕えようとすることが予想されていたからだ。
ジルベルトに掛け合って噂の広がりを抑えたところで、クドドリン卿自身の行動は止めようがない。
だが、今の今までクドドリン卿にそれらしい動きはなかった。
檻付きの荷馬車などを引いて南門を抜ければ、さすがに目立つので見逃しようがないはずだった。
だが、クドドリン卿はすでに何らかの方法で魚人の奴隷を手に入れたのだろう。
チラシなんか貼り出してこれだけ大々的に宣伝している事から考えても間違いなかった。
『白い牙』の監視をかいくぐり、秘密裏にそんなことをした方法について気にはなったが……
ここでそれについての思案を巡らせてもしょうがないことだった。
まずは今のこの事態に対し、俺がどういうアクションを取るべきかを考えることが先決だった。
「アルバスの力で、なんとかできないのか?」
クラリスが言っているのは、つまりは俺の力で奴隷闘技場の開催を中止させられないかという事だ。
「流石に無理だ」
結局、以前の俺がしたことは目の前の危機に対処しただけにすぎない。
俺がしたこととは、魚人の子供たちを買い取ることで、アマランシア達の怒りを一時的に鎮めたにすぎないのだ。
当然、俺の資金は無限ではない。
それに今回の件については、クドドリン卿の側としてもこれだけ大々的に宣伝してしまった後ではもう、いまさら引くわけにはいかないだろう。
「だからって、このまま……」
「最近はクラリスも自警団に顔をだしてるんだろ? そっちの方のツテで、何か策はないのか?」
「バージェスにも相談したけど、ダメだった」
「……だろうな」
自分で言いながらも、それはわかりきっていたことだった。
この国において『奴隷売買』は暗黙の了解として黙認されている。
そして、そんな『奴隷売買』の末に『奴隷』としてモノ扱いされるエルフや魚人がいることもまた黙認されているのだった。
キルケットの秩序を守る側である自警団にとっても、奴隷を扱うこと自体は取り締まりの対象ではない。
逆にもし奴隷を力ずくで解放しようとする者がいれば、そちらの方が強盗として自警団の取り締まり対象となってしまう。
故に、今のこの流れを正規の方法で止めるような手立ては存在しないのだった。
「それに……、もう手遅れだ」
そう言って、俺はチラシに記載されている開催時間を指差した。
そこには『午前10時開始』と記載されている。
今の時刻は、すでに11時半をまわっていた。
つまり、すでに競技の開始から一時間以上が経過しているのだ。
「くそっ……」
そう呟いて、クラリスが項垂れた。
俺を探して散々走り回っていたせいで、開催時間にまで気が回っていなかったのだろう。
「しかし、事前告知などが全くない中での開催だな……」
俺が、露天のミストリア劇場を立ち上げた時とは訳が違う。
すでに大規模な闘技場が設置されていて、闘技大会の開催で相当の知名度を獲得している以上、開催することで興行の宣伝とするような手法はもはや不要だろう。
そんな大規模な催しをやろうとしているのならば、さすがに一週間くらい前から告知をして客引きをしても良さそうなものだ。
どう考えても、じっくりと情報を小出しにした宣伝を行ってどんどんと期待度を高めていった方が断然いい結果を生みそうに思えた。
「良くわからないけど……、今朝から突然大々的な宣伝をし始めたんだ」
何かそうせざるを得ない事情や意図があるのか……
それとも『昨日奴隷が手に入ったから、今日開催する』というレベルでの成り行きに任せているだけなのか……
絶望的に商売の才能がなさそうなクドドリン卿のことだから、普通に後者である可能性もありそうだった。
そうなると、昨晩魚人の子供達が騒いでいたのは昨晩闘技場に連れてこられた奴隷魚人と唄声で会話をしていたからなのかもしれない。
ただ、このお屋敷と闘技場とは同じ西部地区とはいえかなりの距離がある。
魚人達が使う『唄声』というのは、そんな距離でもやり取りができるものなのだろうか?
「とりあえず、様子を見てくるか」
クドドリン卿に金を払って入場するのは癪だが、今のこの状況をきちんと知る上では必要なことだろう。
「アルバス、闘技場に行くのか?」
「ああ」
「私も行く! この国で今もそんな非道なことが行われているっていうんなら……、目を背けているだけじゃダメだ。……姉さんや、私の甥っ子のためにもな」
「……暴れるなよ?」
「わかってる。私だって、最近は頭に血が上っても冷静に判断できるようにっていろいろと訓練してるんだ」
「……そんな訓練があるのか?」
「毎日が訓練だ。バージェスにイライラしない訓練!」
「……」
滅茶苦茶不安だったが、とりあえずクラリスと二人でその奴隷闘技場へと向かうことにした。
そこで……
「アルバス、どこか行くのですか?」
何かを嗅ぎつけて、ロロイが劇場の遺物売店から戻ってきた。
クラリスが奴隷闘技場の話をすると、ロロイは「ロロイも行くのです!」と主張していたが……
本気で暴れ出しそうなロロイには、悪いけどここで留守番をしてもらうことにした。
さすがに二人は御しきれん。
俺がそう言ってロロイを宥めていると、ロロイがプルプルと震え出した。
「アルバスの……」
「ん?」
「ウワキモノーーーッッ!!」
ロロイの拳がスローモーションのように俺の顔面に迫り「あーこれヤバいかも」なんて思った次の瞬間。
バッコーンなんていう音が他人事のように聞こえ、俺は普通に吹っ飛んでいた。
「もうアルバスなんて知らないのですーー!!」
ロロイは、そんな捨て台詞を残して走り去っていった。
後に残されたのは、大の字になって転がる俺とそれを渋い顔で眺めているクラリスだけだった。
「ええと……、なんかごめん」
「いや、クラリスのせいではないだろ」
「うん、悪いのはアルバスだからな」
「それも違うだろ!?」
俺がそう言って抗議すると、クラリスはなんだか楽しそうに笑っていた。
ロロイといいクラリスといい、最近はどことなく人妻の風格が出てきている気がする。
二人とも、どこか似たもの同士だということなのだろう。
……バージェスも色々と大変そうだ。
「じゃ、ロロイには悪いけど……、行こうかアルバス」
「そうだな、少し急ぐか」
とにもかくにも、俺はクラリスを伴ってクドドリン卿の闘技場へと向かったのだった。
ロロイに殴られた頬がヒリヒリと痛かった。