29 頼み事
「カルロ、仕事を頼みたい」
俺がそう言って声をかけると、カルロはあからさまに渋い顔をした。
「かつて家庭教師として、大商人ジルベルト・ウォーレンに『商人としての基礎』を叩き込んだあんたにピッタリの仕事だ」
「今の私はミトラ様の護衛、兼、家庭教師として……」
「家庭教師の方は、最近はどう考えても暇だろう?」
「……」
ミトラの妊娠の件について。
その場に居合わせたシュメリア以外の者には、後ほど俺からその旨を告げていた。
現状ではカルロの家庭教師は完全に中断している状態のため、間違いなくカルロは暇を持て余しているはずだった。
「頼めないか?」
「……エルフ達、ですね」
「ああ、話が早くて助かる。この街での商売のことについて、しっかりと教えてやって欲しい」
「それは、商人であるアルバス様の方が適任なのでは?」
「俺は……、理論立てて学んだというよりも、感覚的なところで、実際にやりながら時間をかけて無理やり覚えていったタイプだからな……」
俺も一応基礎的な知識は人から教わったわけだが、その後はライアンのパーティーで必要に迫られて七転八倒しながら習得して行ったやり方がほとんどだ。
時に騙され、高く買わされ、安く買われ……
散々ライアン達に文句を言われながらも歯を食いしばってやり抜いてきた結果が今の俺だ。
だから、それを人に教えようとするとどうしても感覚論や根性論に偏っていってしまう。
そんな中で、マナに関しては赤子のような知識レベルの相手に商売を教えるにあたって、なかなかに苦戦を強いられているのが現在の状況だった。
基礎的な貨幣文化についての解説はほぼほぼ完了しているのだが……
客商売に関しての少し突っ込んだ話になると、いつもどこかで『相手が何をわからなくて困っているのかがわからない』という状態になってしまっていた。
解説しようにも、それを上手く分解して言葉にすることができない自分がいる。
対するシンリィ達の側も『自分が何をわからなくて困っているのかがわからない』『俺が何を指摘しているのかわからない』ような状態なので、度々みんなで「?」マークを浮かべた状態になっていたのだった。
その度に、アマランシアが間に入ってくれたのだが、やはりアマランシアも『人のやり方をひたすら観察して見様見真似で覚え、実践しながら習得していったタイプ』なので、正直言って色々と難航している現状なのだった。
「というわけだから、その道の専門家であるカルロにお願いしたいというわけだ」
「内容は把握しました。しかし……、それは私の一存だけで決められることではありませんな」
この件について、カルロはなかなかに頑なだった。
一存で決められないということは、つまりはジルベルトに話を通せということのようだ。
「わかった。ならばその件について近々ジルベルトに話しに行こう。カルロとしては、ジルベルトの了解さえ得られれば問題ないんだな?」
「その通りです」
「では、あちらの都合のつく日程を確認して話を通しておいてくれ。できれば三日以内、それが無理でもせめて一週間以内に会えるとありがたい。俺の方の予定は、ジルベルトの予定に合わせる」
「流石に動きが早いですね。……わかりました」
そして、俺はその翌日にジルベルトに会いにいくことになった。
動きが速いのはカルロやジルベルトの方だ。
→→→→→
その翌日。
俺はジルベルト・ウォーレンとの会談に臨んでいた。
「いきなり尋ねて来るとは、なかなかに切羽詰まった事情があると見えるな」
ウォーレン家のジルベルトの執務室にて。
たっぷりとニ時間ほど待たされた後、悠々とした様子のジルベルトが俺の前に現れた。
ちなみに、このくらい待たされるのは想定内だ。
相手がキルケット第二位であるウォーレン家の当主であることを考えると、突然会談を申し込んでその翌日に時間を作ってもらえるなんてことは、相当な高待遇だといえるだろう。
「突然押しかけてしまって申し訳ない。切羽詰まってはいないが、なるべく急ぎで進めたい案件がある」
「良い。お前からは度々面白い商売の話が出る。お前自身気づいているかどうかは知らんが……お前を追い込めば追い込むほどに、な」
「……」
何気に、めちゃくちゃ怖いことを言われた気がするぞ。
「それで、今日はどうした? 随分と改まった様子だな」
席につきながら、ジルベルトがそう尋ねてきた。
おそらく、あまり時間がない中で会う時間を作ってくれたのだろう。
ジルベルトの興味は商売や金に関することにしかない。
この男にとっては、そのことが全てに優先される。
それはつまり……
ジルベルトがこの俺に対し『時間を作るに値する儲け話を持って来る奴』という認識を持っているという事で間違いないだろう。
そして今回もまた、無理矢理に時間を捻出した以上はそれに見合うだけの物を期待されているということだ。
「今、エルフ達を巻き込んだ新しい商売の案を推し進めているのだが、元々通貨の概念を持たないエルフ達に、この街でも商売のことを教えるのに手間取っていて……」
「わかった。カルロ、協力してやれ」
「承知いたしました」
早っ!
「……」
話の展開があまりにも早すぎて、一瞬固まってしまった。
会談の開始から三十秒足らずのうちに、今日の俺の一番の目的は果たされてしまっていた。
「それで、アルバスよ……」
だが、むしろ本番はここからだ。
ジルベルトの視線が、鋭い剣先のように俺に突き刺さってくる。
そう……
今、果たされたのはあくまでも俺の目的だけなのだ。
「それについて、二つほど質問をさせてもらおうか。……その先にあるお前の真の目的はなんだ? そしてそれは、俺にどのような利益をもたらすのだ?」
今日俺がここを訪れた目的は『エルフの行商人』についてカルロの協力を得ることだが……
ジルベルトの目的は、そこに一枚噛んで自分も利益を上げることだ。
つまり、ジルベルトにとっての交渉はここからが本番なのだ。
ジルベルトにとっての儲けにならないような話であれば、下手をすると先ほどの話も取り消されてしまうかもしれない。
「エルフ達に通貨に関する知識を習得させ、お前は最終的に何がしたい?」
「この件に関する。俺の真の目的……か。残念ながら、それはあんたとは相容れないものだな」
「つまりは……?」
「俺は、このキルケットにおいて『奴隷の売買』および『奴隷の使用』を禁止する法案を作りたい。そして、最終的には彼らが迫害を受けずにこの街で生きられるようにしたいんだ」
俺はこの件に関する俺の最終目的を話した。
そしてそれ自体は、ジルベルトにとっては何の利益ももたらさないものだった。
「ほう、それで?」
「『俺の真の目的』はそれだ。あんたが聞いてきたんだろう?」
「……なるほど、そうだったな」
ジルベルトは、値踏みするように俺の顔を眺めまわした。
『その先にあるお前の真の目的はなんだ?』
そう聞いてきたから、答えたが……
俺の目的など、実際のところジルベルトにとってはどうでも良いものだろう。
だから、ジルベルト相手には別のものを用意する必要があった。
すなわち後半の問い。
『そしてそれは、俺にどんな利益をもたらすのだ?』
この問いへの回答こそが、今ジルベルトの求めている真の答えだ。
「もう一つの問いについてだが。エルフ達に対し、ウォーレン家の名の下にこの町での商売を許可する『行商許可証』を発行してもらいたい」
「ほう。つまりはそれによってエルフ達は、ウォーレン家の庇護の元に商売を行えるようになる。というわけか」
「ああ、そしてその発行額については定額ではなく、変動制……『エルフたちが商売で上げた利益の2%』を想定している。そして許可証が発行され、さらには奴隷禁止法が成立してエルフ達が大手を振ってこの町で商売を行えるようになれば、最終的には数百名の規模になるエルフ達が上げる利益の一部が、常にあんたに還元されることになるだろう」
俺がそういうと、ジルベルトは口角を吊り上げて口元を歪めた。
「ふっ……、流石に俺のことをよくわかってるな。ただ……2%はまだ甘いな。俺としては、5%は欲しいところだ」
「全く形になっていない以上、まだまだ詳細な条件を煮詰められるような段階ではない。そのあたりはまた後の話だ」
「ああ。ただ、お前の言うようにその商売には計り知れない可能性がある。確かに一考の価値はあるだろう」
この西大陸の各地にどれだけのエルフが暮らしているのかはわからないが、アマランシアが言うには数百名規模の賛同者がいる。
さらにはどっちつかずであったり、生活が豊かになるのであれば興味があるといったものもまだまだいることだろう。
そんな西大陸に暮らす多くのエルフ達があげる利益の一部をジルベルトが常に得続けるという話になれば……
それが最大規模となった場合の影響額は計り知れないものだ。
「……と、いうわけだ。俺は俺の目的を果たすため、今後ともあんたの力を借りたい。あんたは、そこに一枚噛んで上手く儲けてくれればいい」
「お前の求める『法』を制定するためには、最終的にはキルケットの六大貴族全員の承認が必須になるぞ」
「わかってる。ただ、ここであんたが賛同してくれれば、その1/6は交渉完了だ」
元々ここを訪れた目的は、カルロをエルフ達に対する教師として採用したいという話をするためだった。
その流れの中でうまくウォーレン家の後ろ盾を得ることが出来れば万々歳という状況の中、そこからさらに一歩踏み込んで法案の件までをジルベルトに話せたのはなかなかの収穫だった。
「まだまだ形になっていない以上、今のこの場で全てを承認するわけにはいかない。カルロの件は承知した。ただ許可証の件については、しばらく成り行きを見守ることとさせてもらおうか」
やはり、現時点で無条件とはいかないようだ。
『ウォーレン家』の名のもとにエルフ達に商売の許可証を出すのは、ジルベルトやウォーレン家にとってもそれなりにリスクのあることだ。
今後の展開で、そのリスクを跳ね除けるだけのメリットを示していくほかないだろう。
俺は、この件に関してジルベルトと定期的に進捗のやり取りをする話を詰めた後、カルロとともに席を立った。