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26 おめでとうございます

今日の一幕は『家の外で、流行りの飲み物を飲む』という、俺やシュメリアにとっては何のことはない日常の行為だった。


だが……

ミトラは、そんなことですら気軽にすることができない。


大通りの店に行って飲み物を飲む。

それだけのことでも、ミトラにとっては一大事なのだ。


あれだけの数の人がいて、机や椅子が所せましと並べられていては、人の(マナ)を感じ取るミトラの『生命探知』のスキルもほとんど役には立たないだろう。


ミトラは『席につく』というだけのことさえも、何かの拍子に誰かにぶつかったり、どこかにつまずいたりしてしまう危険を感じながら行う必要がある。


そして、無事に席に着いたとしても。

周囲の好奇の視線や言葉に晒されながら、眼帯の下の瞳の秘密がバレないことを祈り、心休まる瞬間などないままに時を過ごすのだろう。


「……」


大通りを、談笑しながら歩く無数の街人達。

彼らとミトラとは、今、圧倒的に違う。


そしてミトラをそうさせているのは、二百年前の戦争に端を発した『人間に征服されたエルフ族は、人間の奴隷として扱われるのが当然である』という、この国に根付いている価値観だ。


今のキルケットでは奴隷エルフの姿を見かけることがほとんどなくなったが、それでもこの街の全ての奴隷エルフが解放されたわけではないだろう。

アマランシアたちですらも見つけ出せていないような場所で、今でも酷い扱いをされている者がいるかもしれない。


誰もが皆、アマランシア達のように強くて襲ってくる奴らを返り討ちにできるわけではないのだ。


また、人間の両親から生まれたにも関わらず、先祖返りのような形でエルフの特徴が発現してしまい、ミトラのように家から出ることができずに隠れ潜んでいる者もいるかもしれない。


彼らは今でも、一度奴隷商人などに捕まってしまえば、もはや人ではなく物として売買され、労働力や見せ物、さらには慰み者として(マナ)持ち共に弄ばれる今後を送ることになる。


暗黙の了解として。

そんなことが当然の如く行われているのが、今のこの国の現状だった。


だから、真にミトラのことを思うのならば、その現状自体をなんとかする必要があった。

国全体が何とかならないのなら、せめてこのキルケットだけでも……


「やはり、近いうちに形を作るべきなんだろうな」


雑踏の人混みを眺めながら、ふとそんなことを呟いた。

アマランシア達がこの街での商売をはじめ、人々の意識が多少変わったところで、有力貴族などが声をあげればそれで全てひっくり返ってしまう可能性がある。


だから俺は、貴族達でさえも簡単には破れないような形での決め事を作る必要があると感じていた。


つまりは……

貴族院の中で、その決め事を成立させる。


数ヶ月前、クドドリン卿は『商人アルバスが気に食わない』というだけの理由で一つの法律を作った。


『庶民が経営する劇場からは、今後は娯楽税としてその売上の80%を徴収することとする』などといったふざけた法案だったのだが。

奴はそれを、キルケット貴族院議会を通過させて成立させた。


ミトラがミストリア劇場の劇場主に就任したことで、結果的に俺たちの劇場にその法案が適用されることは無くなったのだが……

その法案自体は今でも効果を発揮している状態だ。

その法案がある限り、『庶民』に分類されるような商人はたとえどれだけの商才があろうともこの街で劇場を開くことはままならない状態なのだった。


それは、クドドリン卿が作り出したこの街の新しいルールだった。

つまりは権力があれば、それだけのことが成せるのだ。


ならば俺も、俺やミトラやアマランシア達のために、この街に新しいルールを作り出すことを目指したい。


『奴隷禁止法』


俺の考えるそれは、いかなる理由があろうとも人やエルフや魚人を奴隷として扱うこと、および奴隷として売買することを禁止するという法律だ。


それは、この先アマランシア達がこの街での商売を始めていくにあたり、いずれは必要となっていくはずの法律だった。


ミトラのため。

そしてこの先の俺の商売のため。


本格的にそんな法案の成立を目指すべきだという考えが、俺の中で次第に強くなりはじめていた。



→→→→→



その夜。

俺はミトラの部屋に赴き、窓際の椅子にミトラと向かい合って座っていた。


「アルバス様。お話というのは何でしょうか?」


ミトラの声は、いつもと同じような調子に聞こえる。

ただ、やはり今日もその分厚い目隠しは付けられたままだった。


ミトラは、自室の物の配置を完全に把握している。

とはいえ、これまでは二人きりの時は眼帯を外していることが多かったように思う。


「ミトラの、最近の体調不良についてだ」


それを聞いたミトラの身体が、少しだけこわばった気がした。


「ご迷惑をおかけして申し訳ありません。ミストリア劇場向けの木人形は、体調の良い時にまとめて作りますので……」


「迷惑だなんてことはない。必要であれば、いくらでも休むべきだと思う」


「……」


ミトラは、俯いて黙り込んだ。

ミトラの身体を気遣う俺の言動から、ひょっとしたらすでに何かを感じ取っているのかもしれない。


そうなると、ミトラ自身も……

もしかしたらもう気付いているのかもしれない。


「単刀直入に聞きたいんだが……。最近、月のものは来ているか?」


「……」


「しばらく続いている今の体調不良は、そのせいではないんだろう?」


ミトラは、俯いたままだ。

俯いたままで、浅く呼吸をしながら微動だにしない。

その沈黙は、すなわち肯定ということなのだろう。


だが……


(わたくし)は……、(わたくし)にはわかりません」


そう言って、ミトラは静かに首を振ったのだった。


ミトラの体調の変化については、おそらくミトラ自身が一番よく把握しているはずだ。

いつもと違う体調の変化があるということを、ミトラ自身も確実に気づいているはずだった。


その上で『わからない』というのは、つまりは『認めたくない』という事なのだろうか?


それとも、周囲にそういうことを相談できる相手がいないがために『本当にわからない』という事なのだろうか?


「……」


もしくは、その両方なのだろうか?


両方……

つまりは、ミトラ自身その変化に気づいてしまっているがゆえに、誰かに相談することでその先にあることを認めざるを得ない状況になることを怖がっている。

真実を知ってしまう事を恐れ、知りたくないが故に意図的に耳をふさいでわからないままにしていた。


思うにそれが、今のミトラの心境として当てはまっているように思えた。


「もし、そうだとしたら……。俺は、俺の全てを賭けてミトラたち(・・・・・)を守る」


「……」


ミトラは、相変わらず黙りこんだままだ。


ミトラが今何を考えているかは、俺には知る由もない。

他人同士、沈黙だけで全てをわかり合うことは不可能だった。


エルフ達との交流だってそうだ。

疑問点を言葉にして、相手に尋ねることで初めて、徐々に相手のことを理解していくことが出来る。


「俺は、ミトラが子を持つことを恐れているのではないかと思っている。……それは、やはりそうなのか?」


そこで、ミトラがハッとして顔を上げた。


(わたくし)には、わかりません。ただ、恐れていると言えば……そうなのかもしれません」


「……わからない、か」


「もし本当にそうだとしたら……、それは喜ぶべきことのはずなのに、(わたくし)は今、それを素直に喜べないのです。この先のことが、(わたくし)には何もわからないんです」


妊娠による体調の変化。

そして、このまま時が過ぎればやがて訪れるであろう「親になる」というさらなる大きな変化。

また、生まれてくる子の人生に対する責任。


そんな数々の重圧に耐えかねて、今、ミトラの心は不安に押し潰されそうになっているのだろう。


「この先のことを考えるためにも、まずはきちんと調べよう。明日、リルコット治療院のカリーナを呼んでくる。人の身体のことは、白魔術師に聞くのが最善だ」


「……」


「先のことなど、俺にもわからない。ただ『先』というものがあるのなら、俺は前に踏み出したい」


「……わかりました。明日、カリーナ様とお話してみます」


そう言って、ミトラは一人で布団に入っていった。

俺は、そんなミトラが寝息を立てはじめるまで、その隣で椅子に座っていた。



→→→→→



物静かなミトラの生き方は……

俺がミストリア劇場を開業すると同時に、ミトラが人形細工師として手に職をつけた時から劇的に変化していった。


お屋敷に引き篭もり、誰かから与えられる物をただただ小さく切り分けていくだけの生き方から……

外に出て、自らの力で自らの立ち位置を掴み取る生き方へと……

劇的に変わって行った。


そうして自らの手で人生を切り開くことを覚えたミトラの実力は、やがては大貴族ジルベルト・ウォーレンを相手どり、その職人としての力を認めさせるまでに至ったのだった。


だが……

ミトラは、現在この国で奴隷の扱いを受けている種族の血を引いている。

それは、どれだけミトラ自身が変わったとしても、ミトラには絶対に変えることのできない事実だった。


そしてその事は、今でもミトラの心を呪いのように覆っているのだった。



→→→→→



翌日。

話を聞いて即刻お屋敷に駆け付けてくれたカリーナは……


「おめでとうございます。ほぼ間違いなく、ご懐妊されています」


いくつかの検査をした後で、そうミトラと俺に告げたのだった。

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