20 第三次魚人戦争
それは、今からおよそ八年前の話だ。
現在、正式には『第三次魚人戦争』と呼ばれているその戦争は、皇都南方の小都市『湾口都市バレルド』に突如として魚人族の大軍が攻め込んできたことによって開戦したとされている。
その当時バレルドを治めていた『バレルド家』の一族はその最初の襲撃の際に全滅した。
そして瞬く間に街は破壊され、蹂躙され、領民たちは住み慣れた土地を捨てて近隣の街へと逃れることを余儀なくされたのだった。
小規模とはいえ、都市が一つ落とされた事態を非常に重く見た皇王は、すぐさまその土地の王、および周囲の都市の領主達に魚人の鎮圧に向かうよう勅命を下した。
それと同時に、皇国最高峰の防衛部隊をその最前線へと向かわせたのだった。
その『皇国最高峰の防衛部隊』こそ、当時聖騎士であったバージェスの率いる燈火聖騎士隊だ。
「俺はな、その戦争であいつらのような子供の親達を何百人も殺したんだ」
「仕方がない。戦争が起きてたんだ。あんたがやらなければ、あんたやあんたの部下がやられてた」
そして、その戦いの背後には何万人もの皇国の一般の街人達がいる。
無条件に肯定されることではないのだろうが、相手に情けをかけて自分達が全滅し、自らの国が蹂躙されてしまっては元も子もないだろう。
「ああ。わかってる。だが殺したことに変わりはない。それに第三次魚人戦争のそもそもの発端は……人間側の横暴なんだ」
「魚人族がいきなり攻め込んできたという話ではないのか?」
「あの戦争は。本当はな……バレルド家のどら息子が魚人の姫を夫人にしようとして結婚を申し入れ、魚人達がそれを拒否したことから始まってるんだよ」
「……。それは、初耳だな」
「だろうな。士気に関わると言って緘口令が敷かれていた」
「それ、俺たちに話していいのか……」
「結局、噂は広まる。当時の前線にいたやつはみんな知っていた話だ」
バージェスによると、魚人側に婚姻を拒否されたバレルド家の貴族は、「奴隷化」という暗黙の制度を使って魚人の姫をさらった。
そして「奴隷」として魚人の姫を好き放題に陵辱したのだった。
「……」
そして……
怒り狂った魚人達がバレルドの領土に大軍を率いて攻め込み、それによって湾口都市バレルドは攻め滅ぼされた。
というのが、第三次魚人戦争のそもそもの発端だったらしい。
「つまり、最初に仕掛けたのは……」
「戦争を始めたのは魚人族だ。だけど、その発端を作ったのは間違いなく皇国側の人間だろう」
当時、全ての情報を得られる立場にいたバージェスは、釈然としないものを抱えながらもすでに始まってしまったその戦争の鎮圧へと向かった。
道中の足取りは重い。
だがその足を奮い立たせ、バージェスは戦争を終わらせるために前線へと急いだ。
だが、バージェスの部隊が前線地帯に到達した時には、戦火はすでに取り返しのつかないレベルにまで広がっていたのだった。
南方諸島各地で蜂起した魚人達は各地でゲリラ戦を繰り広げ、バレルド近辺の都市だけでなく皇国沿岸部のかなりの広範囲にわたる多数の都市に対して次々と攻撃を仕掛けて回っていた。
対する皇国の対応は後手に回り、縦横無尽に海を移動して広域戦を仕掛けてくる魚人達に翻弄され続けている状況だった。
バージェスの燈火聖騎士隊は、そんな激戦の最中で参戦し、局所的に参戦した戦闘では度々大きな勝利を収めていった。
だが、沿岸部全域を見ればバージェス達のその勝利は小さいものだった。
縦横無尽に広域戦を仕掛ける魚人達は、やがて意図的に燈火聖騎士隊の居場所を避けて戦闘を仕掛け始める。
そうして皇国の部隊は再び押し込まれ始め、戦禍は河川を通じて徐々に内陸部にまで及んでいったのだった。
→→→→→
「確か、魚人戦争が起きたのは『腐毒魔龍ギルベニア』の襲来と同じ年だったな……」
そしてそれは『雷電魔龍ギガース・ドラン』襲来の翌年だ。
皇都においては、雷電魔龍の襲来により中央騎士団が壊滅しており、さらにはその翌年に腐毒魔龍に皇都を襲撃されるという壊滅的なダメージを負っているさなかの出来事であった。
その傷も癒きらない状態で魚人戦争に突入していたため、南に対して大きな戦力を送り込むことが出来なかった。
東側領土で獣人族への牽制にあたっていた燈火聖騎士隊を、東側のリスクと引き換えに南に送り込む他に方法がない状態だった。
「確か、その時に俺たちの代わりに東側の獣人国に派遣されたのが、アルバスのパーティーだったな」
「『俺の』じゃなくて、『ライアンの』パーティーだな」
対獣人族の国境線においても、数年前から小競り合いが絶えないような状況だった。
そこから聖騎士隊を下げたのは、すでに開戦してしまっている対魚人族の対応の方を優先した結果ではあるが……
依然として東側には大きな不安要素がある状況だった。
ライアンのパーティーは少数故に非常に小回りが利く上に、瞬発的な火力だけで言えば燈火聖騎士隊を上回る可能性すらもある。
だが、どう考えても防衛向きじゃない。
平時の牽制としての機能は十二分に果たすが、もし開戦してしまえばとてもじゃないが獣人たちの進撃を抑えきれるはずがなかった。
東も南も大きなリスクを抱えた状況。
そんな状況だったため、皇国としては魚人族相手に長々と消耗戦を繰り広げるのは得策ではなかった。
ましてや、押し込まれつつあるその時の状況などは到底許容できるようなものではなかった。
そこで……
皇国の上層部は、戦況を打破し、一気に戦線を押し戻すためにある作戦を立てた。
そして、バージェスの燈火聖騎士隊にその作戦の遂行を命じた。
その、作戦とは……
バージェスが燈火聖騎士隊の全軍を率いて魚人族の王城ののど元にある『シャトゥ砦』まで切り込み、そこに皇国の戦術拠点を作るというものであった。
本来は防衛を責務とする聖騎士隊でありながら、指示されたその作戦は特攻に近いものだ。
下手をすれば、バージェスの部隊は全滅する。
だが……
厄介なことに、その作戦はバージェスの目から見てある程度理にかなっていたのだった。
「俺の部隊にとってはとんでもない作戦だが。その作戦指示書を見てすぐに気づいちまったんだ。皇国全体を見れば……実はこれは最善とも言える作戦だってな」
それは、バージェスの部隊が全ての犠牲を引き受けることで、他の部隊の犠牲を最小限に抑え、最も早期に戦争を終結させるための作戦だった。
通常の指揮官であれば当然、自らの隊を死地に晒すような作戦に対して全力で反発するだろう。
だが不幸なことに、バージェスはその作戦の本質的な狙いを瞬時に理解してしまったのだった。
「だから、その時は俺も覚悟を決めたんだ。一刻も早く戦争を終結させるためには、誰かが犠牲になる必要がある。それはどうしても必要なことなんだってな。なら、最もその成功率が高いであろう俺の部隊が、それを引き受けるしかねぇってな」
そうして覚悟を決めたバージェスは、部下たちを鼓舞し全力でその作戦を遂行した。
「勝つ。そして俺たちの手で戦争を終わらせる。そのためにも今は全力で戦う。ってな」
バージェスの燈火聖騎士隊は、凄まじいまでの勢いで敵陣の奥深くまで激進した。
激しい戦闘を潜り抜け、部隊の半数近くを失いながらも、バージェスは前へ前へと進み続けた。
そして作戦開始から半月後。
バージェス達は魚人族の王城近くにある最重要拠点の一つ『シャトゥ砦』へと至り、さらなる激戦の末にそれを陥落させ奪い取ったのだった。
それをきっかけに、魚人達は攻撃から防衛に回り始めることになる。
また、各地で反撃に出た人間側の大攻勢が開始されたのだった。
そして、魚人族の軍は徐々に南方諸島の奥地へと押し込まれていった。
『シャトゥ砦』の周囲には、前線から後退してきた魚人達がどんどん増えていった。
周囲に魚人達が増えていく中、バージェスの部隊は戦争終結までその要塞を防衛し続けた。
その最重要拠点にて、敵の王城、および前線地帯を背後から睨みつけるという戦術的にとてつもなく価値の高い働きをし続けたのだ。
そしてその防衛力こそが、この作戦の実行部隊として燈火聖騎士隊が選ばれた最も大きな理由だった。
バージェス達は、その役割を十二分に果たし、戦争終結の鍵となる働きをしてのけたのだった。
そしてその戦争は、人間に王城へと攻め込まれた魚人族の女王が自害することで終結した。
故に、その時の聖騎士は『魚人戦争を終結させた英雄』と呼ばれているのだ。
「そして、その時に捕らえられた魚人達は奴隷として皇国各地に売りさばかれて行った。これが、八年前の『第三次魚人戦争』の全容ってやつだ」
バージェスが、感情を押し殺した目でそう言って話を途切れさせた。