10 魚人(人魚)
サウスミリア沖合の海中にて。
「シュッカ!?海獣アシュリカがそっちに行ったよ!」
「えっ!でっかすぎ!無理無理!」
「きゃー食べられるー!」
魚人族の五つ子が海獣の周りでふざけていたら、海獣がそれにイラついて暴れ始めた。
それで今、五つ子達ははしゃぎ声を上げながら海獣から逃げ惑っているのだった。
「きゃー!」
「こっちきたー!」
「あはは〜、怖い〜」
魚人族の身体は非常に頑強だ。
子供とはいえ、硬い皮膚と鱗に覆われた身体は小型海獣の牙くらいではびくともしない。
「こら!海獣を揶揄うんじゃありません。いつもお父さんが言っているでしょう?海獣には敬意と感謝を持って接しなさいって……」
「えーっ!だって面白いんだもーん」
「わー!また追いかけてきたー!」
「みんな逃げろー!」
母シャリアートは、そんな子供達と海獣アシュリカをキッと睨みつけながら、いきなり水中で水の魔術を放った。
鋭い矢となった水が水中を突き進み、そのまま海獣アシュリカの急所を貫く。
「ちょうどいいから、これは今晩のご飯にしましょう」
一撃で亡骸となった海獣アシュリカは、脱力しながら徐々に水面に向かって浮かんでいく。
遊び相手を失った五つ子達はそれを残念そうに眺めていた。
シャリアートは下半身を大きく波うたせながら海面まで泳いで行き、海獣アシュリカの亡骸を捉えた。
「さぁ、今夜はご馳走ね」
「敬意?感謝?」
「お父さんはよくそんなことを言ってるけど……」
「なんだかよくわからないよね」
「たぶん、お母さんもわかってないよ」
「確か前にそう言ってたもんねー」
「ねー」
「何か言ったかしら、可愛い子供達?」
シャリアートに視線を向けられて、五つ子達は慌てて岩陰に隠れたのだった。
→→→→→
魚人族。
彼らは総じてそう称されている。
だが、その姿形は魚に近いものから人間に近いものまで様々であった。
そんな魚人族と人間を分けるのは、魚人族特有の三つの器官だ。
一つ目は水中での呼吸を可能にする器官。
二つ目は水中で会話をするための『唄声』と呼ばれる特殊な音を出す器官。
三つ目はその『唄声』の音を聞き取るための器官。
どんなに姿形が違えども、その三つを持つことで魚人族からは同族であるとみなされる。
水中で呼吸ができて、『唄声』を発することができ、『唄声』を聞き取ることができる者が、魚人族の仲間であるとみなされるのだ。
『唄声』は、人間には聞き取ることのできない音域で行われる魚人族特有の言語のやりとりであり、シャリアートと子供達の水中でのやりとりは、全てこの『唄声』によってなされていた。
「私も、早くお母さんやお父さんみたいな人間の身体が欲しいな」
「そうだね、そうしたら人間の声が出せるようになるから、人間とも話ができるよね!」
シャリアートはいわゆる『人魚』と呼ばれる形質を持つ魚人だった。
上半身は限りなく人間に近く、魚人の特徴のほとんどが下半身にのみ現れている。
そうなると、人間のような声を出すことができ、練習次第で人間と会話をすることもできる。
五つ子達は、父や母が時たまそうして船の上の人間と会話をしているところを見ていた。
海底から採ってきた光る石を渡すと、代わりに人間達が人間の世界のいろいろなものをくれるのだ。
それが母達の言う『秘密の貿易』だった。
「ねぇねぇお母さん。私もお母さんみたいになれるかな?」
「それは……大きくなってからのお楽しみかしらね」
魚人族の幼体であるシャルルの身体は、今は全身が鱗に覆われている。
そこにずんぐりとした手がついており、下半身には大きな尾鰭の脇に小さな後ろ足がついていた。
ここから、成長とともにシャルル達の身体がどのような形質に育つかは、誰にもわからないことなのだった。
シャリアートも、子供の頃は今のシャルルのような姿をしていた。
そこから後ろ足にあたるものがどんどん小さくなっていき、やがては尾鰭の中に埋没した。
そして上半身の鱗がどんどん剥がれていき、いつの間にか上半身だけが人間のような見た目になっていったのだった。
「でも、お父さんもお母さんも上半分は人間に近いから……シャルルもきっとそうなるかもしれないわね」
「ほんと!やったぁっ!」
「……」
それが、果たして良いことなのかどうかはわからない。
『人魚』と呼ばれる形質を持つ魚人は、人間にとっては奴隷や見せ物としての価値が高いらしい。
そして、それゆえに執拗につけ狙われるのだ。
戦争時にも、人魚のシャリアートを狙って執拗に追いかけ回してくる集団がいくつもあった。
「帰ったら魔術の特訓よ。水の中で水流すら起こせないんじゃ、とても人魚になんてなれないわ」
「えー!それって関係あるの?」
「人魚は、強くなくちゃダメなのよ」
弱ければ屠られる。
そうして戦争時に人間に捕らえられた仲間達が、今どこでどうしているのか……
そもそも生きているのかどうかさえも、もうわからなかった。
あの時、たまたま通りかかったシュトゥルクによって助け出されていなければ……
シャリアートも彼ら彼女らと同じ運命を辿っていたはずだった。
こうして子供達との平穏な暮らしを送っているシャリアートの今は、途方もないほどの幸運の上に成り立っているのだった。
「こらっ!シュラン、シュミカ。獲物の最初の一口はお父さんだって、いつも言っているでしょ!」
海獣アシュリカの亡骸に近づいて行って齧ろうとしている二人の子供を、シャリアートがそう言って嗜めた。




