30 死闘の痕跡
森の中をさらに進むと、獣道から少し開けた広場に出た。
「ここが、ニコルの言っていた場所だな……」
その広場は、ニコルがルージュから聞き取ったという『紅蓮の鉄槌がルードキマイラに襲われた地点』に違いなかった。
「しかし、これは……」
その広場の光景を見て、俺は思わず息を呑んだ。
そにあったのはおびただしい量の血だった。
誰かが全身から血を撒き散らしながら、死ぬまで走り続けたような有様だった。
ロロイとカルロは、姿勢を低くして周囲に聞き耳を立て、警戒体勢をとっている。
「これが、人のものであっては欲しくないな」
「大丈夫です。おそらくはほとんどがあそこの魔獣のものでしょう」
カリーナがそう言って、右側の林を指し示した。
「なっ⁉︎」
そこにいたのは、ルードキマイラだった。
「それ、もう亡骸になってるのですよ」
とっくに気づいていたらしいロロイが、引き続き周囲を警戒しながら言った。
それはルードキマイラの亡骸だった。
激闘の末、ここで何者かがルードキマイラを討ち取ったのだ。
「近くで見てもいいか?」
「危険があるといけないから、みんなで一緒に行くのです」
そして、ロロイ、カルロ、カリーナと共にそのルードキマイラの亡骸へと近づいた。
その魔獣は、全身を斬り刻まれていた。
細かい傷から深い傷まで、全身に百を超える数の斬撃を受けているようだ。
その姿からは、ここで凄まじいまでの激闘があったことがうかがえた。
「凄いな……」
ルードキマイラの鋼鉄の皮膚を、ここまでズタズタに斬り刻める奴など、そうそういないだろう。
だが、威力が足りず、完全に断ち切ることができなかったが故に、そいつは幾度となく斬撃を繰り出したのだ。
普通に考えるとバージェスか、バージェスのパーティーにいる腕利きの誰かだろうか。
だが……
「傷口の血が固まっています。息絶えてから、かなりの時間が経っていると思われます」
ルードキマイラの亡骸を確認しながら、カリーナが言った。
「だとすると、やったのは……最初にここで戦闘に入った紅蓮の鉄槌の誰かということか?」
この間セントバールまで同行した際に見た限り、こんなことができるような奴は紅蓮の鉄槌にはいなかったと思う。
「ルージュってやつかな?」
だが、そもそもルードキマイラを倒せるレベルの実力があるなら、ギルドまで助けを呼びに来る必要はないはずだ。
「わからないのです。でも……あっ⁉︎」
声を上げたロロイの視線を追う。
すると、視線の先に森の中に、もう一体のルードキマイラの姿が見えた。
「っ⁉︎」
全身に緊張が走る。
「大丈夫なのです。あれももう死んでいるのです」
「驚かすなよ」
そのルードキマイラは、一体目と比べて傷が少なかった。
だが、明らかに一つ一つの傷が深かった。
斬撃の形状から、使っているのは同じ武器だろう。
戦っているうちに、ルードキマイラへより深い斬撃を与えられるように技術を進化させたのか……
あるいはその逆か……
ロロイはひょこっとそのルードキマイラへと近づいていった。
そして「ああっ⁉︎」と、再び大きな声を上げた。
何度も何度もこいつは……
そう思いながらもロロイに追い付き、ロロイの視線の先を辿る。
「えっ……」
そこで、俺も思わず声を上げてしまった。
ルードキマイラの亡骸の、その首筋。
さっきの位置からは見えなかったその場所に、深々と一本の剣が突き刺さっていた。
そして……
俺は、その剣に見覚えがあった。
「これ、クラリスの剣か?」
「ロロイも見覚えがあるのです」
それは、紛れもなくクラリスの剣『水鏡剣シズラシア』だった。
二体のルードキマイラの亡骸。
その一体に突き刺さったクラリスの剣。
そうなると、クラリスがここでルードキマイラと戦ったことはほぼ間違いないだろう。
そして、その剣を用いてルードキマイラの鋼鉄の皮膚を切り裂き、貫いたのだ。
「つまり、これを……クラリスがやったってことか?」
たった2年前には、ウルフェスすらも倒せなかったクラリスが……
ルードキマイラの鋼鉄の皮膚を切り裂き、その息の根を止めたのだ。
「クラリスっ⁉︎ いるのかっ⁉︎ いるんなら返事をしろ!」
「クラリース‼︎ どこなのですかーーっ⁉︎」
そう言って呼びかけてみるも、周囲に人の気配はなかった。
カリーナの『広域生命探知』によって周囲を探ってみたが、それでも望んだ結果は得られなかった。
クラリスの気配だけでなく、周囲に生存者はいないようだった。
ひょっとしたら、付近の茂みの中までを詳細に探索すれば、紅蓮の鉄槌の誰かの亡骸が転がっているのかもしれない。
だが今は、キズナ石の光から確実に生存していることがわかっているクラリスを一刻も早く見つけ出すことが、俺たちの最優先事項だった。
「アルバス殿。こちらに新しい目印が……」
広場の端で、カルロがバージェスの目印を見つけた。
目印は、さらに森の深くへと続いているようだった。
そして、その足元には点々と血の跡が続いていた。
そこへ歩み寄ったカリーナが、しゃがんで血の状態を確認していた。
「少し古い血の跡です。おそらくは、紅蓮の鉄槌のどなたか物でしょう」
バージェスのパーティーは、この血の跡を追っていったということか……
この血痕が誰かのものなのかまではわからないようだった。
「とにかく、行くしかないな」
俺は、手早くルードキマイラの亡骸とクラリスの剣を倉庫に収納した。
五体いたというルードキマイラのうち、一体はギルドの冒険者によって討伐され、先程ロロイ達がもう一体を討伐した。
そしてここで、クラリス達の手によってもう二体が亡骸となっていた。
残るは一体のはずだが、まだまだ油断は禁物だ。
「もし、敵が獣使いであるならば、ルードキマイラ以外にも魔獣を使役していると考えた方がいいだろう」
索敵や探索、撹乱など、他の用途に特化した獣も使役しているかもしれない。
そして、それだけの魔獣系モンスターを使役するほどの力を持っているのならば……
その獣使い本人もまた、かなりの脅威だといえる。
「とはいえ、やることは変わらない。今まで通りの陣形で、引き続き最大限の警戒態勢を敷きながら進むぞ」
俺はそう言うと、さっそくロロイが頷いて先行し始めた。
「行くのです‼︎」
俺たちがつ再び目印を追い始めた次の瞬間……
凄まじい轟音と光を放ちながら、遥か前方の山中で巨大な円柱状の火の手が上がった。
カリーナの『広域生命探知』からは、少し外れた場所のようだ。
「バージェスの魔法剣なのです。あれ使うとバージェスはぶっ倒れるのです」
「ちょっと待て、ロロイ。あれは位置を知らせる合図かもしれない」
もしくは、本当に後先考えずに全力を出し切るような状況に追い込まれているのか……
いずれにしろ、あの火の柱の場所にバージェスがいるのは確かだった。
「カルロはカリーナを頼む。戦闘に加わることよりも、カリーナの安全を優先してくれ。俺とロロイで先行する」
各所で戦闘が起きているこの状況では、回復魔術の使える白魔術師は最も優先して保護されるべき存在だ。
銀等級の白魔術師であるカリーナが五体満足で生存していれば、他メンバーの多少の負傷は大きな問題にならない。
「行くぞロロイ‼」
「了解なのです‼」
ロロイと二人、バージェスがいるであろう場所に向かって駆け出した。
もちろん、ロロイには俺よりも少し先行してもらっている。
何せ俺は、カリーナと同じサポートメンバーで、戦闘力はゼロだからな。
ここでの俺の役割は、道の記憶と……
少し暴走気味のロロイをしっかりと誘導しつつ戦闘をより有利に進める手助けをすることだ。