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20 『とあるエルフの詩唄い』①

「むかしむかしあるところに、一人のエルフの少女がおりました。少女は奴隷として、人間の闘技場に囚われておりました」


そういって始まったアマランシアの詩は、クラリスには聞き覚えのないものだった。

昨年のオークションの時、アマランシアがミストリア劇場で唄った数々の詩。

それを日々聞いていたクラリスだったが、この詩の出だしは初めて聞くものだった。


確かに、直接的に奴隷エルフを扱った物語というのは、考え方や意見のわからない複数の聴衆相手にいきなり唄えるような詩ではないだろう。

その奴隷エルフがどのような結末を迎えるのかにもよるが、聴衆が望む結末が一つとは限らない。


「少女は剣闘奴隷として、その命懸けの戦いを見せ物や賭け事の対象にされておりました」


そして、アマランシアの詩は続いていった。


少女は、自分がいつからここにいるのかをもう覚えていなかった。

連れてこられてから100日が過ぎてからは、日数すらももう数えなくなった。


初めはぼんやりと覚えていた父や母の顔も、故郷だと思われる森の中の隠れ里の風景も、熾烈を極める戦いの日々の中で(もや)がかかったように(かす)み、やがては記憶の彼方に消えていった。


そこにあるのはただの殺戮の日々。

短剣を握りしめ、固い石の地面を蹴って魔獣を狩り回るだけの、死と隣り合わせの日々。

そんな凄惨な死闘を幾度も繰り返し、少女は幾度も生き残った。


その闘技場には様々な種族の奴隷がいた。

中には人間の奴隷もいた。

そして、見た目には魔獣としか見えないような者も……


ただ、多少の見た目の違いはあっても、そこでは奴隷の命は平等に軽かった。


周りの奴隷達が次々と魔獣に引き裂かれていく中で、その少女は幾度も幾度も生き残り続けた。

そして、少女の周りの奴隷達の顔触れは日々変わっていった。


少女を生かし続けたのは、その類稀なる天性の戦闘力だけではなかった。

少女は、他の多くの奴隷たちによって生かされていた。

多くの奴隷達が少女を庇い、多くの奴隷たちが少女の盾となって死んでいった。


その始まりは、死にゆく仲間ための慰めにと少女が語った、心穏やかなる死後の世界の物語。

母から聞いたその詩を、少女は嗚咽を堪えながら紡いでいった。

それは、少女が思い出せる数少ない故郷の物語だった。


そして少女の語る心穏やかな情景に包まれて、少女と変わらぬ年の少年は眠るようにして死んでいった。


その時から少女は、奴隷たちに請われ、奴隷達のための詩を唄うようになった。


初めての戦場を前にして怯え切った者には、戦いを鼓舞するかつての戦士達の戦いの詩を。

奴隷狩りにあい両親と引き離された者には、苦心の末に再会を果たした親子の愛の詩を。


心踊る冒険譚から、穏やかなる日常のちょっとした生活の物語まで。

いずれも剣闘奴隷の生活とはほど遠い世界に魅せられて、奴隷達は今日も明日も明後日も少女の話を聞きたいと願った。

そして我が身を挺して少女を庇い、次々に少女の身代わりとなって死んでいったのだった。


そんな無数の犠牲と屍の上に立ち、少女は凄惨な死闘を生き延び続けていた。


「求められるままに詩を唄いながらも、少女の中身は空っぽでした。なぜなら少女の語る物語は、全て、これまで死んでいった者達から聞いた話の繰り返しに過ぎなかったのですから」


少女には、どういう詩を唄えば周りの奴隷達が喜ぶのかということがわかっていた。

だから、求められるままその通りの詩を唄った。


「エルフの少女は、その虚ろな気持ちを胸の奥に押し込めながら、仲間達に希望の詩を唄い続けました」


そして、彼らを戦場()へと導いた。


やがて奴隷闘技場を管理する人間達は、そんなエルフの少女に目をつけた。

そして、少女を1人きりで闘技場に立たせたのだった。


乱戦の中、嵐のように吹き抜ける数多の「死」を愉しむ通常の闘技項目とは別の……

特別な奴隷を使って行う特別な対戦カードだ。


その役に指名されてしまい、エルフの少女はたった1人きりで、魔獣達と戦わされた。

闘技場を管理する人間は、そんな少女の戦いを他の奴隷たちにも観戦させた。


檻の中から少女の命を乞うて泣き叫ぶ奴隷達。

そしてそれら全てを(わら)う観戦者たち。


それはすでに、剣闘の名を借りた公開処刑であった。


悲鳴と怒声が交差する中、少女は全身をズタボロに引き裂かれながらも戦い続けた。


なぜこうまでして戦うのか?


少女にはもう、自分でもそれがわからなくなっていた。

ひょっとしたらそれもまた。他人から「生きること」を求められているからに過ぎないのかもしれない。


獣のような雄叫びをあげながら、少女は闘技場を駆け回って魔獣を狩り続けた。

戦場にいる時の少女は、もはや言葉を失くしていた。

そしてまた、幾度も幾度も生き残った。


いつ死んでもおかしくないギリギリのところで、エルフの少女はその生死を賭け事の対象とされていた。


そんな日々をさらに数日間も生き抜いた。


全身に無数の傷を負い、もはや少女の身体は白魔術による治療さえも受け付けなくなっていた。


一カ月以上も続いた地獄のような日々の後。

死闘を終えて牢獄の中へと戻された少女の身体は、もはや指先さえも動かせないほどに壊れていた。

傷が発する高熱で頭がぼんやりとしている。


それでも「明日も闘技場に出ろ」と告げられた時。


「たぶん、明日が私の最期の日なんだろうな」


少女は他人事のようにそう感じたのだった。


口には出さずとも、皆もそれを感じていた。

他の奴隷達は、ピクリともせずに横たわる少女を囲み、皆で泣いていた。



→→→→→



そこへ、その日もいつものように新しい奴隷が連れてこられた。

それは人間の青年で、見るからにヒョロく、闘技場に出ればすぐに死ぬであろうことは目に見えていた。


いつもの少女ならば「最期に何か聞きたい唄はありますか?」もしくは「あなたの物語を聞かせてください」などと声をかけるところだったが、残念ながら今の少女にはもうそんな力は残されていなかった。


代わりに……


「あなたは命拾いしましたね。明日、闘技場に出るのはたぶん、私1人です」


そう、掠れた声で青年に声をかけたのだった。

それは、ただの少女の気まぐれだった。


青年は「昼間戦っていた()か……」と呟き、少女の全身の傷を見て顔を歪めていた。

その顔を見ながら、少女はいつの間にか気を失っていた。



→→→→→



気付けば、少女は再び闘技場に立っていた。

感覚がないままに動く手足が、逆にこれが現実であることを少女に知らしめていた。


夢現(ゆめうつつ)に、あの青年と何かを話したような気がするが……

目の前に差し迫る「死」の前に、もはや他のことは何も考えられなくなっていた。


傷つききった身体からはもうほとんどの感覚が消え果てていて、今は痛みすらも感じなくなっている。


それでも短剣を握りしめ、目の前に現れた魔獣に飛びかかり、その命を屠った。


「みんな、勝手に私の言葉に希望を見るけれど、そんなもの私はどこにも持ってない」


「私はただ、人から聞いた借り物の物語を繰り返しているだけ」


「だから、本当の私は空っぽで、私の言葉も物語も本当は全部が借り物の偽物なの」


「全てが空っぽな私が、偽物の詩で偽物の希望を振りまいている」


「その空っぽさが、とてもとても悲しいの」


熱に浮かされ、やがて来るであろう死の恐怖と、ここから解放されるという安堵感に包まれながら……

誰かにそんなことを語った気がした。



少女が目の前の魔獣を斬り尽くすと、頭の上から「死ね」という言葉の雨が降って来た。

血だまりの中に立ち尽くし、少女はぼんやりとその光景を見て、聞いていた。


「死ね‼︎ 死ね‼︎」

「いつまで息をしてるんだ」

「こっちは今日お前が死ぬ方に10万マナも賭けてるんだ」

「俺は明日死ぬ方に5万マナだ!」


「早く死んでしまえ」

「死ね」

「死ねっ‼︎」


そして、闘技場に新たな魔獣が投入されると、場内は再び熱気と歓声に包まれたのだった。

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