16 魔眼の女
海の夢見亭で宿泊の手続きをしたクラリス達は、早速食堂に移動して昼飯をとることにした。
「これが、噂の……」
そして、少し長めの待ち時間の後、海の夢見亭の名物料理『海鮮シチュー(5人前)』が、クラリス達の前にやってきた。
ガザミナという海辺のモンスターを丸々鍋で煮込んで出汁をとり、そこに各種調味料やその他の食材、そして中央大陸のメーメーというモンスターの乳を加えて煮込む料理だとのことだ。
家畜化が難しいメーメーの乳は、かなり貴重な食材だとのことだった。
「美味いぞこれ‼︎」
「なんだろう。一見優しい味なのに、味わうととても濃厚に感じる。こんなの初めて食べた」
そう言って、ルッツ達は大満足だ。
「クラリス。セントバールは初めてだって言ってたのに、なんでこんな店知ってたんだ?」
ルッツにそう質問され、クラリスは出発前に聞いた話をした。
「このクエストの依頼書を譲ってくれたシュウって人がさ、『セントバールに行くならここの海鮮シチューを食べてきな』って教えてくれたんだ」
「ふーん。そんな奴いたっけ?」
「えっ? ……いただろ?」
クラリスがそう聞き返しても、ルッツは「全く覚えがない」と言って首を横に振ったのだった。
「2人組のパーティーでさ。ルッツなんか、依頼書取られたのを怒って剣を抜こうとしてたじゃん」
「いや、マジで誰の話だ?」
どうやら、ルッツは本当に覚えていないようだった。
スルトとノルンに聞いても同じような反応だった。
「みんな、本当に覚えてないのか?」
「あ、ああ。クラリス、なんか変だぞ?」
「変なのは私じゃなくて……いや、なんでもない」
釈然としないものをかかえながら、クラリスは昼食を終えた。
そして、街に出てあちこちの市場を見て回った後で宿に戻り、夕飯を食べて就寝の準備に入った。
「ルッツ、スルト。クラリスとノルンの水浴び覗かないでよ。私がここで見張ってるから」
「覗かねーよ。ってか、ここまでの道中でも覗かなかっただろーが」
ビビとルッツのいつもの掛け合いだが、クラリスは少しだけ妙な違和感があった。
→→→→→
そして時刻は夜半過ぎ。
『海の夢見亭』の一室にて。
「ねぇ、クラリス。ちょっと起きてくれる」
クラリスは、ビビに身体を揺すられて起こされた。
「ビビ……何かあったのか?」
「昼ご飯のときに言ってたことだけどさ。依頼書を譲ってくれた人たちのこと、クラリスはどこまで覚えてるの?」
「ん? ビビは覚えてるの? 私もちゃんと全部覚えてるよ」
その二人は、バージェスの弟子のケイトとシュウだと言っていた。
そして二人は夫婦だとも言っていた。
依頼書を譲ってくれて、この宿のシチューが絶品だと教えてくれた。
「クラリスの、知り合いの知り合いなんだって言ってたよね?」
「うん、それもちゃんと覚えてる」
「じゃあさ、クラリスはそのパーティーが3人組のパーティーだったってことは覚えてる?」
「3人……? 2人じゃなかったっけ?」
「3人いたよ」
「本当に3人だったか? 私が覚えてるのは2人だけしか……」
そう口にしながら、クラリスはある可能性に思い当たって背筋がゾクっとした。
「もしかして……。私も、ルッツたちみたいに何か忘れてる?」
「……たぶん」
ビビが静かに頷いた。
「もう一人は野伏みたいな恰好をした赤いリボンの女だった。それで、たぶんその女、魔眼系のスキル持ちだったんだと思う」
「魔眼?」
「ええ、見えた魔法力の流れ方からして、目を合わせることで何らかの魔眼スキルが発動するタイプだと思う」
ビビによると……
その女が去り際に紅蓮の鉄槌の全員に向けて視線を送り、何らかのスキルを発動させていたらしい。
「私自身も魔眼系のスキル持ちだから、前に魔眼スキルについていろいろと調べたことがあるんだよね」
そんなビビによると、魔眼スキルには『何か特殊なものが見えるタイプ』と『視線によって他人や世界に何らかの影響を与えるタイプ』が存在するらしい。
勇者ライアンの『神の目』は、モンスターや人間の身体構造や魔障フィールドや魔法力そのものなど、世界の全てを視認するスキルだ。
だから前者の『何か特殊なものが見えるタイプ』の魔眼スキルということになる。
魔法力の流れが見えるというビビの『魔神の慧眼』も前者だ。
それに対してその女の魔眼は、『視線によって他人や世界に何らかの影響を与えるタイプ』だと思われるらしかった。
「『魔人の慧眼』でその女の視線に乗って微弱な魔法力が飛んでくるのが見えたのよ。それで何かスキルを使ってきてるのがわかって、私は慌てて視線を逸らして避けたんだけど……」
ルッツ、ノルン、スルトの3人は、それをもろに食らってしまっていたらしい。
ルッツ達やクラリスの状態から察すると、その女のスキルはおそらく『その女とその女に関連する記憶を消す』ようなスキルだろうとのことだった。
「たぶん『忘却の魔眼』ってスキルだと思う。魔眼について調べた時にそんなスキルを見た気がする」
「私も、それを食らってたのか?」
「クラリスもその女と目を合わせてたと思う。でも、クラリスってかなり基礎魔法力が高いからさ」
ビビによると、基礎魔法力が高いと魔法力を用いた様々な攻撃への耐性が高いらしい。
「それで、他の3人に比べて効きが悪かったのかもしれない」
「もしくは、単純に私がその2人をよく記憶してたってことかもしんないけど」
バージェスのかつての弟子だということで、その2人のことはよく記憶に残っていた。
「なんの目的があるのかはわからないけど……、キルケットに戻ったらまた鉢合わせるかもしれないから、ちょっと警戒しておきたいんだ」
「わかった。私は、今はもうその女の顔が思い出せなくなっちゃってるけど……もしまたそいつがいたら教えてくれ」
ビビによると、クラリスも彼らに会った直後にはちゃんと相手が「3人いる」と認識していたらしい。
おそらくはそのスキル攻撃への耐性が高かったがゆえに、クラリスにはすぐに効果が表れなかったのだと思われた。
だが、時間の経過とともにじわじわと効果が表れてきたという事なのだろう。
「クラリスがいてくれて良かった。あの時点で私以外の全員が忘れちゃってたら、逆に私一人が変なんじゃないかって思ってたかもしれないから……」
「私も同じ。さっき聞いた時にみんな覚えてなくて、私がおかしいのかもって思ってた」
「うん。ってか、夜中に起こしてごめんね。ふぁぁ、安心したら一気に眠くなってきちゃった」
そう言いながら、ビビはゆっくりと自分のベッドに戻っていった。
「それじゃ、寝るか」
「うん。おやすみ、クラリス」
「おやすみ」
そして、ビビはルッツの掛け布団を直した後、自分のベットに寝転んですぐに寝息を立て始めた。
「……」
出会った人間から自分たちの記憶を消し去る魔眼持ちの女。
そんな女とパーティーを組んでいる姉弟子と兄弟子は、大丈夫なのだろうか?
いろいろと考え始めてしまって、クラリスはなかなか寝付けなかった。
そして何度も何度もその場面を思い返してみたが、結局そんな女がいたことは思い出せなかった。