02 不明者と探索者
俺がリルコット治療院の玄関先まで行くと、そこにいたのはキルケット東部地区ギルドの受付係ニコルだった。
営業時間外の治療院に入ろうとして、そこにいた冒険者に呼び止められて言い争いとなっていたようだ。
「アルス……なんでここに? ロロンと一緒に商人アルバスの下働きにでもなってるのかい?」
そう言えばニコルの前では、俺は『アルス』、ロロイは『ロロン』という偽名を使っていた。
しかも、いまだ種明かしのようなことはしていないのだった。
「あー、実はなニコル……」
「いや、そんなことよりもアルバスって商人はいるかい? あっちの天幕でここだって聞いてきたんだ。バージェスの旦那から、急ぎの伝言があるんだよ‼」
「いや、だからなニコル……」
ニコルを取り押さえていた冒険者が顔を見合わせた。
そして二人して俺の方を見た。
二人は、ニコルがとりあえずは俺の知り合いらしいことを感じ取り、ニコルを拘束する手を緩めた。
「とにかく早く。アルバスに伝えなくちゃいけないことがあるんだよ。アルス、急いで取り次いでくれないかい?」
何事かと、俺の後ろからやってきたカリーナもまた、不思議そうな顔で俺とニコルを見た。
「アルバス様。この方はお知合いですか?」
「えっ……?」
今度はニコルの方が不思議そうな顔をした。
「悪いなニコル。実は、アルスというのは情報収集のための偽名なんだ。俺の本名はアルバスという名だ」
「……は?」
ニコルはそう言ってしばらく固まった後「どうりで……」と呟き、天を仰ぎながら頭を抱えたのだった。
「俺が今のこの商売を思いついたのは、あんたのおかげだ。正直言って、どれだけ感謝してもし足りない」
俺がそう言ってニコルに笑いかけると、ニコルはしばし固まった後でハッと我に返った。
「そんなことより、バージェスの旦那からの伝言があるんだ‼ いいかいよく聞いとくれよ……」
そう言ってニコルが話し始めたバージェスからの伝言は……
『クラリスのパーティーがルードキマイラに襲われて、現在クラリスを含むパーティーメンバー五人の行方がわからない』
というものだった。
「なんだって⁉︎」
そして。
『すぐにシヴォン大森林まで来てクラリスの捜索を手伝ってほしい』
とのことだった。
「これが伝言だ。紅蓮の鉄槌から一人、ルージュって娘がギルドに戻ってきてね。そいつの話でこのことが発覚したんだ」
「……」
俺は、すぐさま腰の鞄からクラリスのキズナ石を取り出した。
そして、その輝きの有無を確かめる。
「アルバス……、クラリスは大丈夫なのですか?」
ロロイも心配そうにそれを覗き込んでくる。
その石は、今もきちんとした光を放っていた。
「とりあえず、まだ生きてはいるようだ」
ルードキマイラから逃れたのか、もしくは未だに戦闘中なのかは分からないが。
とにかく、クラリスは生きている。
「ギルドの方はどんな状況だ?」
普通に考えれば……放っておかれるだろう。
冒険者のパーティーがモンスターと遭遇して全滅するなんてのは日常茶飯事だ。
なんとか逃れて帰ってこられたやつは運が良い。
逃げきれなかったやつは運が悪い。
ただ、それだけのことだった。
「逃げてきたルージュを案内人にして、バージェスの旦那と他にもう二人がシヴォン大森林に向かったよ」
「しかし。もうじき、夜になるぞ」
夜の森での戦闘は、夜目が効くモンスターの方が圧倒的に有利だ。
普通に考えたら、そんな中で自らの身を危険に晒してまで救出に向かう奴なんてまずいないだろう。
ましてや、相手は今まで何人もの冒険者を屠っている魔獣だ。
それはほとんど死にに行くに等しい行為だ。
バージェスならば一人でも行くだろうが……
一度は命からがら逃れてきたやつまでが再び現場に向かったというのは驚きだった。
仲間を救うために勇気を奮い立たせてという事なのだろうが、普通はみんな自分の命が大事なものだ。
ただ、そもそも紅蓮の鉄槌に『ルージュ』なんて奴、いたっけか?
「ああ、バージェスの旦那が討伐隊のメンバーに土下座で頼み込んだんだよ。『危険は承知で、手を貸してほしい』ってさ。結局は討伐隊から一人、あとは元々バージェスの旦那の弟子だったケイトって娘が一緒に出て行ったよ」
「……そうか」
「バージェスの旦那とは6年ほど前からの付き合いだけどさ。あんなに狼狽た旦那の姿を見たのは初めてだよ。……あのクラリスって娘は旦那のなんなんだい?」
「……婚約者、だ」
「そうかい」
ニコルが少し目を伏せた。
何か、思い当たる節でもあったのだろうか?
「とにかく。すぐにその森に向かうのです‼」
そう言ってすでに走り出しているロロイを、俺は慌てて引き留めた。
「待てロロイ。無策で向かってもダメだ。すでに戦闘のあった場所にバージェスが向かっていて、その上で俺たちの手助けを求めたのは……、そこにもうクラリスがいなかった場合に備えてのことだ」
いち早く現場に駆け付けるのは、バージェスの先行部隊の役目だ。
今ここで後続部隊である俺たちに求められているのは、早さ以外のことだろう。
「アルバス様。私も行きます」
そう言って奥から出てきたのはミトラだ。
「カリーナ様から教わった『生命探知』の習得スキルを使えば、多少距離が離れていても私はクラリスの居場所を探し出すことができます」
「ミトラ様。私はミトラ様の護衛をするようにとジルベルト様から言いつかっております。護衛対象のミトラ様をそんな危険な場所に行かせるわけにはいきません」
俺が止めるまでもなく、そう言ってカルロが止めに入った。
後ろから出てきたジルベルトも、同じくミトラのシヴォン大森林行きには強く反対した。
「それにミトラ様には、夜の森などはとても歩けないかと思います」
「そんなこと。なにも問題はありませんよ」
そう言ってミトラは、その眼帯に手をかけた。
実妹の命の危機とあって、ミトラは完全に冷静さを欠いているようだった。
カルロの言葉の意味するところは、おそらくはそういうことではないだろう。
「お待ちくださいミトラ様」
そこでカリーナが声を上げ、ミトラの手がぴたりと止まった。
「アルバス様とミトラ様のお二人ともに何かあったら、この地区の開発はどうなるんですか? それに、私の『広域生命探知』ならば、ミトラさんよりもさらに広範囲を探ることができます。故にここは、私が行きましょう」
銀等級の白魔術師カリーナは、ミトラが習得した『生命探知』の上位互換である『広域生命探知』のスキルを習得していた。
さらにその本職は白魔術師、それも銀等級の位を持つ凄腕だった。
後続部隊としての役割を果たすのに、探索と治療の両方の能力を兼ね備えたカリーナの同行は、この上なく有難いことだった。
「そう言ってくれるのはありがたいが、これは本当に死の危険と隣り合わせなんだぞ?」
一応そう言ってけん制してみたが……
「それでも行きます。アルバス様には、すでに返しきれないほどのご恩がありますから。……それにこれは私のリルコット治療院のためでもあります」
カリーナはそう言って、意思を曲げなかった。
「感謝する。ならば後は護衛だな」
ロロイの同行は確定だ。
だが、護衛対象二人に対し、ロロイ一人では少々負荷が大きすぎるだろう。
いざというときにロロイが全力で戦うためにも、少しでも護衛の体制を強化しておく必要があった。
「カルロ。行けるか?」
そう言ってカルロに声をかけたのは、ジルベルトだった。
「ジルベルト様のご用命とあれば」
「では、頼む。俺としても、ここでアルバスに死なれては困る」
「承知いたしました」
そうして、カルロが二人目の護衛として同行することになった。
「後は、外の冒険者にも声を掛けるか……。可能性は低いだろうがな」
元々は上級相当だと考えられていたルードキマイラは、被害の拡大に伴い特級相当にレートを引き上げられていた。
そして、今やキルケット中にその脅威が知れ渡っているモンスターとなっていた。
そんな特級相当のモンスターが複数体うろつく夜の森に向かうクエストなど、通常の3倍の報酬を約束しても冒険者が集まる気はしなかった。
特に今、この門外地区に集まっているような冒険者ならばなおさらだ。
一発逆転を狙うような大きな博打は決して討たず、堅実に実績を積み上げてコツコツと稼ぐような冒険者。
俺が『アルバスの借家』の借主としてこの地区に集めた冒険者達は、基本的にはそういった性格の冒険者達なのだ。
そして案の定。
門外地区の盛り場に集まっていた冒険者たちは、俺が『通常の5倍の報酬を出す』と言っても、誰一人として手を上げなかった。
「仕方がない。想定内だ」
そうして結局は、俺、ロロイ、カリーナ、カルロの4人でシヴォン大森林へと向かうことになった。
→→→→→
キルケットの東側に向かって街中を走りぬけながら、俺は何度もクラリスのキズナ石を確認した。
さっきまでと変わらぬその輝きにいったんは安堵しつつも、心の中には焦燥感が募っていく。
「間に合えよ……バージェス」
どうかこれが無駄足に終わってほしい。
そんな望みを掛けながら、俺はすでに薄暗くなり始めている街中をひたすらに走り続けたのだった。
【シヴォン大森林、紅蓮の鉄槌救出パーティー】
★先行部隊
魔法剣士バージェス(リーダー・前衛)
黒魔術師ケイト(後衛)
剣士ドードリアン(前衛)
野伏ルージュ(探索/ガイド)
★後続部隊
商人アルバス(リーダー・地形読み/荷物持ち)
白魔術師カリーナ(探索/治療)
武闘家ロロイ(護衛)
武闘家カルロ(護衛)