36 ミトラ対クドドリン
俺の目の前で、クドドリン卿は随分とまぁ楽しそうな高笑いをしていた。
そんなクドドリン卿に対して、ジルベルトが声をかける。
「随分とご機嫌のようだな、クドドリン」
「ふふん、これが笑わずにいられるか? 後は待っているだけであの劇場とあの歌姫が手に入るのだぞ? 随分と長い間屈辱を味わわされ続けてきたが、これでついにそれが晴らせる‼︎ まさに最高の気分だ‼︎」
そこで、ジルベルトの脇から1人の女性が現れ、クドドリンに対し質問を投げかけた。
「あの劇場とは、いったいどちらの劇場のことでしょうか?」
クドドリンは『誰だお前は?』というような目付きをした。
だが、その女性が身に纏う衣装が相当に上等なものであることを見抜き、すぐにそれなりの対応をすることに決めたようだ。
「商人アルバスのミストリア劇場だ。売上の80%もの税がかかれば、すぐに経営は成り立たなくなる。そしてあの劇場は崩壊するだろう。すでに方々への根回しはできているゆえ……もうじきその全てが私のものとなるのだ」
「なるほど……」
その女性は髪を手でいじりながら、少し考え込むような仕草をした。
その仕草は妙に艶っぽく、それでいて気品に溢れている。
その仕草をじっと見ていたクドドリン卿が、ゴクリと喉を鳴らした。
「ところで御仁はどちらの……」
「しかしクドドリン卿は不思議なことをおっしゃいますね。卿は今、私のミストリア劇場を、乗っ取るなどとおっしゃっていたのですか?」
「わたくしの? はぁっ? ミストリア劇場はアルバスの劇場だろう⁉︎ 貴様はいったい何者だ?」
クドドリンが、訳がわからないと言ったふうに周囲を見渡した。
その視線は、俺とその女性……ミトラとを行ったり来たりしている。
「申し遅れました。私はミトラ。ミトラ・ウォーレンと申します」
「ウォ、ウォーレン? ジルベルト卿のご婦人という事ですかな?」
クドドリン卿の口調に、僅かな動揺が混じり始めた。
そんなクドドリン卿の言葉に対し、ミトラが首を横に振る。
「私はジルベルトの妻ではなく、妹でございます。そして、現在のミストリア劇場の劇場主であり……銀等級の商人、アルバスの妻でございます」
「な……ぬ?」
クドドリンの顔が訝しげに歪んだ。
ジルベルトの兄弟姉妹などは、クドドリンも当然ある程度把握していることだろう。
だけど、目の前の女のことは全く知らない。
目の前の女性がミストリア劇場の劇場主だというのも、クドドリンの把握している情報と違う。
そして……アルバスの妻?
ミトラ・ウォーレン?
たぶん、クドドリンの頭の中では何一つ理解が追いついていないことだろう。
「つい昨日。私は夫であるアルバスから、ミストリア劇場劇場主の座を譲り受けております。故に今、ミストリア劇場は私の劇場でございます。その上でもう一度お聞きします。……庶民の経営する劇場に80%の税をかけるというお話でございましたが。それでなぜ、ミトラ・ウォーレンの劇場に税がかかるという話になるのでございましょうか?」
「……は?」
「まだ、お分かりになりませんか? ご自分が何をしようとしているのか……。ご自分が、いったい誰の商売を奪い取ると口にしているのか」
「ミトラ……、ウォーレン? ……ウォーレン家?」
思わずそう呟いたクドトリン卿の顔からは、見る見る血の気が引いていった。
「ど……どういうことだ⁉︎ ウォーレン卿⁉︎」
ジルベルトに向き直ったクドドリンが、少し掠れた声でそう叫んだ。
唇が、わなわなと震えている。
「聞いた通りだ」
「訳がわからん‼︎」
「だろうな。……俺もだ」
「くっ……ふざけるなっ‼︎」
クドドリン卿は、助けを求めるように周囲をキョロキョロと見渡し始めた。
だが、この状況でクドドリンに肩入れしようとする貴族などは1人もいないようだった。
「一つだけ分かっていることは……」
ジルベルトは、クドドリン卿をギロリと睨みつけながら言葉を続けた。
「もし、お前が俺の一族の商売を横から掠め取ろうとしているのならば。俺はウォーレン家の当主として、どんな手を使ってでもそれを止めねばなるまい」
「うっ……。しかしミトラなどという女、今まで一度も……」
「ミトラは親父殿の落とし胤だ。今までは色々と事情があってそれを伏せて暮らしてきたのだが……この度正式にウォーレンの家名を名乗ることとなった。つまりは、紛れもない俺の妹だ」
「ほ、本当にこの御仁は……」
「ああ、そうだ。そしてもし、その可愛い妹を責めさいなむような輩がいるならば、それが誰であろうと……兄として全力で報復をせねばなるまいな」
「あ……、いや……」
「……そうは思わぬか? なぁクドドリンよ」
「ひ……、はひ……」
ジルベルト・ウォーレンの凄まじい威圧を受け、クドドリン卿はその場にヘナヘナと崩れ落ちた。
たぶん最後の方は、言葉の内容なんか半分も聞き取れていなかったことだろう。
「どうしたクドドリン。眠るなら隅へ行け。こんな場所で居眠りとは……どうかしているな」
そう言って、ジルベルトは興味なさそうにクドドリン卿から視線を逸らしたのだった。
→→→→→
「アルバス様。……種明かしは終わりましたよ」
ミトラは俺に向き直り、まるでそれが長年染み付いた物であるかのような所作で、優雅に一礼をした。
数時間で即興で身につけたにしては、相当に様になっている。
ああ、でも。
元々ミトラは、10歳までは完全に大貴族の子女として育てられたんだったな。
「ああ」
「私を誉めてくださいな」
「ここでは人目が多い。……また後でな」
「私は、今がいいです」
「……。本当に助かった。俺は、ミトラのような妻を持って幸せだ」
俺がそういうと、ミトラは満面の笑みで微笑んだのだった。
ジルベルトは、そんな俺たちを面白そうに観察していた。
そしてジルベルト、俺、ミトラを中心に、周囲の貴族たちがざわめいている。
「ウォーレン卿が伴ってきた御仁は、卿の妹君であったか……」
「その御仁が、アルバスの妻だということはつまり……」
「ああ、アルバスが西門外で始めた例の商売についても……もはや手出し口出しは不可能ということか」
→→→→→
「皆さま方」
そして、ミトラが会場の貴族たちに向かって声を上げた。
「お兄様の計らいにより、今後は私も議会に参列させていただくこととなりました。ただ、このように目が不自由ゆえ、私の付き人でもある吟遊詩人のシュメリアを伴って参るつもりでございます」
吟遊詩人のシュメリア。
聞き覚えのあるその名前に、貴族たちが少しざわめいた。
「そしてこれは、ミストリア劇場の劇場主としてのご提案でございますが……。もしよろしければ、先日のような余興という形で、今後とも皆さまのより良い議論のお手伝いをさせていただければと存じます」
つまりはここで、ミトラはミストリア劇場の主として、議会のたびにシュメリアによる余興公演を執り行うことを宣言したのだった。
そしてそれは……
中央地区にある不調なクドドリン卿の劇場へ、トドメの一撃を刺すような宣言でもあった。
ウォーレン家の劇場乗っ取りに関わる法案の成立に手を貸していたという後ろめたさからか、貴族達は必要以上に盛り上がって見せ、次々とミトラへの挨拶に訪れていた。
そんな盛り上がりをみせる会場の片隅で、クドドリン卿は呆けたようにその様子を眺めていた。
「そんな、馬鹿な……。いったい何がどうなっているのだ……?」
掠れたその声に応える者は、誰一人としていなかった。