20 リルコット治療院①
「だだだ……旦那様。たたたた……大変です‼︎」
バージェスと入れ違いで、今度は吟遊詩人のシュメリアが客間に駆け込んできた。
シュメリアは、普段あまり見ないような慌てっぷりだ。
そしてちょうど外に出ようとしていたロロイと鉢合わせになり。
「わっ、わっ! きゃー」なんて言いながらすっ転びそうになったところを、ロロイに腕を掴まれて助け起こされていた。
「シュメリア。走ると危ないのですよ?」
「すみませんロロイさん! あ、それよりも旦那様!」
「……シュメリア。まずは、落ち着け」
あたふたするシュメリアに、とりあえず水を飲ませて落ち着かせた。
慌て方の感じからすると、悪いことが起きたわけではなさそうだった。
「それで、何があったんだ?」
「そ、それがですね。今朝、私宛にこんな手紙が届いていたんです」
「ん? ファンからの恋文か何かか?」
「ち、違いますよ! あっでも、ある意味ではそうかもしれないです」
シュメリアから見せられた封書は、貴族院からの招集状だった。
そしてその内容は、『次回の貴族院議会にて、余興のために詩を唄って欲しい』という依頼だった。
「凄いじゃないかシュメリア」
ミストリア劇場の歌姫の名は、再びそこまで広まったか。
まぁ本当なら、本人に直接じゃなく劇場主を通して欲しいところだが……
貴族たちにそんなことを言っても無駄だろう。
「私なんかに、こんなこと……。何かの間違いではないのでしょうか?」
「ミストリア劇場を立ち上げた当時、その時の歌姫であるアマランシアも、貴族のオークションに呼ばれて詩を唄ったことがある。今やシュメリアの名前も方々に知れ渡っているからな。そういうのも、十分にありうる話さ」
「お、恐れ多いですよ」
「ちょうどいい。俺も同じ議会に呼ばれている。一緒に行くか」
「はい! あっ……私、リルコット治療院に行ってお母さんに報告してきます!」
そう言って、シュメリアはどたばたと屋敷を出て行った。
シュメリアの母親は、西部地区の白魔術師の治療院に入院している。
『濁血』と呼ばれる、血液が徐々に濁っていく病にかかっており、あまり外を出歩けない身体だ。
そしてその病には根本的な治療法が存在せず、ひたすら対症療法をつづけるしかないとされている。
ただ、その対症療法をし続けておりさえせすれば、体調は安定するとされていた。
シュメリアの母親は、安宿で暮らしていたころは満足な回数の治療を受けることができず、一時は生死の境をさまようほどの状態になったというが……
シュメリアが俺やミトラから得た報酬によって、手厚い治療を受け始めて以来、徐々に回復していったという話だった。
→→→→→
「アルバスは、今日はどうするのですか?」
治療院へ行くと言うシュメリアを見送った後、ロロイがそう尋ねてきた。
「そうだな。また街を回って、めぼしい空き地の情報がないか探ってみるかな」
俺が思いついた『住』をメインとした一連の商売を始めるにあたって、やはり必要になるのは土地だ。
だから今は、俺のやりたい商売に当てはまりそうな土地を探して回っているところなのだった。
価格の面から行くと、なるべく外門に近い方がいい。
なにせその方が土地代が安い。
だがそこには、土地代が安いがゆえに虫食いのような形で細々とした売買が進み、なかなか広い土地は存在していないのだった。
ちなみに俺の想定するものを、想定する規模感でやろうとすると、ミストリア劇場の5倍ほどの広さの土地が必要となるのだった。
「そう言えば今思い出したのですが。今シュメリアが行った治療院の裏に、広い原っぱがあったような気がするのです」
「ん? あったかそんなの?」
俺が自分の目で見ていれば、おそらくは覚えているはずだ。
そういうのは忘れない。
だが、そもそも『治療院の裏手』など、見た覚えがなかった。
「そう言われると自信がないのですが……。なんとなく広い原っぱがあった気がするのです」
「なら、今からそこを見に行ってみるか」
原っぱというのであれば、特に使われていない空き地なのだろう。
それが俺の考えている商売に使えそうな広さの土地であれば、持ち主を探して買い取りの交渉を持ちかけたかった。
→→→→→
そうして、俺はキルケット西部地区にあるリルコット治療院を訪れていた。
そこは外壁に程近い地点ではあるが、外門からは離れている場所だった。
「……」
そしてその治療院の裏手には、確かにロロイが言っていたようなそこそこの広さの原っぱがあった。
だが……
「これは治療院の一角だろう。よく見ると普通に建物が建っているぞ」
おそらくそこは、有事の際に治療院に入り切らなかった患者を収容しておく区画なのだろう。
一見すると原っぱではあるが、そこかしこに簡易な建物の骨組みが組んであった。
必要になった時、そこに布を貼るだけで臨時の隔離場として使用可能となるのだろう。
「ごめんなさいなのです。ロロイの見間違えだったのです」
まさしくその通りなのだが……
「ある意味で、俺のやりたい商売に通じるものがあるな」
俺がそう言って踵を返すと、少し離れた場所で一人の白魔術師らしき女がこちらを見ていた。
俺もそちらを見ると、当然、目が合う。
「何度来られても、我々の答えは変わりませんよ」
「ん?」
随分と冷たい口調だ。
しかも、おそらくはだれかと勘違いしているような口ぶりだった。
「お引き取りください‼ これ以上嫌がらせのような真似をするなら、我々は容赦しません‼」
「何か誤解をしているようだが……」
「そ、それ以上近づくなぁッ‼」
そう言ってその白魔術師は、持っていた杖をふりかざした。
その先端に火炎の魔法力が収束していく。
だが……
次の瞬間には、その杖はロロイによって叩き落とされていた。
「きゃあっ‼」
そして空中で弾けようとしていた火の魔術を、ロロイが素手でかき消したのだった。
「ごめんなさいなのです。ロロイはアルバスの護衛だから、危ないことは止めさせるのです」
「えっ、アルバス……? シュメリアさんのところの? じゃあ、クドドリン卿の手下じゃないんですか?」
「たぶん、それはなにかの誤解だな」
「えっ? あ、あぁ……うわぁ、ごめんなさい‼︎」
白魔術師の女は、赤面して顔を覆いだした。
やはり、何かの誤解だったようだ。
→→→→→
「このリルコット治療院の裏手は、有事の際に大規模収容所にするための区画になっているらしいですよ」
白魔術師の女に案内された先の病室で、俺はシュメリアからその土地の話を聞いていた。
やはり、俺の読みは正しかったようだ。
ちなみにシュメリアは俺たちの姿を見てかなり驚いていたし、母親の方は恐縮して頭が上がらなくなっていた。
そして先ほどの白魔術師の女が事情を説明すると、シュメリアがすぐに察していろいろと教えてくれたのだった。
「緊急時に野戦病院にしたり、いろいろなものの安置所として使う土地だという事だよな? だけど、それが必要になるような大規模災害や戦闘などそうそう起きやしないだろう」
「つい最近、水魔龍が発生していました……」
「……」
確かにその通りだった。
暴れだした直後にロロイが討伐したのだが……
もしあのまま水魔龍ウラムスがキルケットを襲ったとしたら、この治療院も表の建物だけでは収まりきらないほどの死者や負傷者であふれかえっていたことだろう。
「そういう目的の土地なら、俺の商売に使うわけにはいかないな」
そう言ってあっさりと引き下がった俺を見て、少し離れたところで話を聞いていた白魔術師たちがあからさまにほっとした顔をしていた。
そして、一人の白魔術師が立ち上がって俺の方へと歩いてきたのだった。
おそらくはこの治療院の最高責任者なのだろう。
首から銀色の認識票を下げた、高齢の白魔術師だった。
「大商人アルバス様。シュメリア殿からよくお話は伺っておりました。そして今この時、ここでお会いできたのも何かの縁。折り入って、ご相談したいことがございます」
「……」
話も聞かずに断るのもどうかと思い、とりあえずは小さく頷いて話を聞くことにしたのだが……
このパターンの入りで、いい話が来る気はしなかった。
そして、高齢の白魔術師から持ち掛けられた『ご相談』というのは、まさにその土地についてのことだった。