04 2人の妻
その晩。
皆が思い思いの時間を過ごす中、俺は自室でミトラとアルカナと3人でくつろいでいた。
ちなみに、シュメリアには自室まで下がってもらっている。
「アルバスさんもミトラさんも、劇場の方達から随分と慕われておりますね」
アルカナが小さく微笑みながらそう言った。
「まぁ、雇い主とその妻で、劇場設備の持ち主だからなぁ」
住み込みの吟遊詩人たちには、住む場所と食事を提供し、その気になれば多少の贅沢が出来る程度の給金を出している。
多くがその日暮らしで不安定である通常の吟遊詩人の生活を思えば、それは夢のように贅沢な待遇だろう。
ちなみにだが、俺は彼らの公演だけでも彼らの4倍以上は儲けさせてもらっている。
「責任も重大だけどな」
「そうですね、本当に……」
自らも人を雇って旅館を経営しているアルカナが、しみじみとそう言った。
「ああ」
以前、俺は。
権力や地位、そしてマナに固執する輩を馬鹿にしていた。
権力に固執する貴族など、ただの馬鹿の集まりだと思っていた。
だが……
自分がマナや権力を持つ側になりつつある今、その気持ちもわからないものではなくなってきている。
俺が失脚すれば、ミストリア劇場の吟遊詩人達やミトラは再び世間の荒波の中に放り出されることだろう。
それでも力強く生きていける者もいるだろうが、そうでない者もいる。
そして今がずっと続いて欲しいと願う者もいる。
「……やはり重たいな」
他人の生活を背負うというのは、本当に重い。
がむしゃらに商売を行っている時には忘れかけていることが、ふとした拍子に頭に浮かんで心を蝕んでくる。
ひょっとしたらこのまま、これ以上の危険は犯さずに、もう多くを求めたりはしない方がいいのかもしれない。
そんな気持ちが、むくむくと芽生えてくるのだった。
「本当は、もっと自由な商人でいたかったんだけどな」
ライアンたちと別れたばかりの頃。俺はとにかく必死だった。
なんでも良いから自分の商売を見つけて、自分1人が自由に生活できるようにすることが目標だった。
なにせ初めは、自分一人分の食い扶持すらも危うい状況だったからな。
今のように、キルケットという大都市の中に自分の土地を持ち、そこに店を持って人を雇い、大きく稼ぐことなどは夢のまた夢の話だった。
人を雇い、俺の商売が多くの従業員たちの生活の基盤になっている今のような状況など、あの当時は遠過ぎてあまり深く考えていなかった。
そして今。
徐々にしがらみが増えていく中で、身体ががんじがらめにされて自由を奪われていくような。そんな心持ちがしていた。
「アルバスさん」
アルカナがふと真剣な顔をして俺を見つめていた。
「自由というのは、自らを不自由だと思い込んだ人の元からは立ち去っていくものですよ」
そしてそんな格言じみたことを言いながら、ゆっくりと立ち上がった。
「出会った頃からわかっていましたよ。一つの場所にじっとしていられないのは、もはやアルバスさんの性分でしょう?」
そんなことはないんだけどな。
ただ、アルカナには以前にもそんな言葉で発破をかけられたことがあった。
その言葉に背中を押されたからこそ、俺の今のキルケットでの成功があった。
アルカナに言われると、なんだかそんな気分になってくるから不思議なもんだ。
「私とアルカナ様が、アルバス様の商売を手伝いたいというのは、そういうことでもあるのですよ」
同時に、ミトラも立ち上がる。
「?」
「アルバス様には、ずっと自由でいて欲しい。次々と新しいことを生み出していくアルバス様には、私達だけでなく、もっと多くの人を……その商売の力で幸せにして欲しい。私はアルバス様の足枷になど、なりたくはありません」
「ミトラ……」
「以前寝物語で言っていましたでしょう? 『いずれは中央大陸に進出し、皇都での商売がしたい』と」
アルカナもそう言ってミトラに同調してくる。
そういえば、アルカナと過ごした1週間に、自分を鼓舞する意味もあってそんな言葉を口にしていたかもしれない。
「シュメリアじゃないが、俺は今がずっと続けばいいと思ってるよ」
「ええ、それは私もです」
「ですが。私たちはもう『そうはならないこと』を解ってしまっている歳ですからね」
アルカナはそう言って『もうすぐ孫も生まれますし』と付け足して、フフフと笑っていた。
「……そうだな」
良いことも悪いことも、永遠には続かない。
15年一緒に過ごして、なんだかんだ言いつつも仲間だと思っていたライアン達から、俺はあっさりと見捨てられた。
だが、その全てを失った日からわずか一年半程度で、俺は再び多くのものを手に入れていた。
美しい2人の妻と、大きな屋敷。
強力な護衛たち。
そして軌道に乗った商売に、数々の従業員。
そしてそれもまた、永遠に続くとは限らない。
全てが、永遠に俺の手の中にあるとは限らないし、俺自身も永遠に生きているわけでもない。
追放されたあの日。
その一年半後には、俺がこんなにも多くのものを手にできるなんて、想像もしていなかった。
だから、今からさらに2年後や10年後に、自分がどうなっているかということもまたわからない。
さらに多くのものを手にしているかもしれないし、もしかしたらまた全てを失っているかもしれない。
しばし、部屋の中に沈黙が流れたのだった。




