36 落ちる水魔龍
浮力を失って落ちていく大量の水と共に、俺の身体も落下していた。
せっかく監獄から外に出られて、しかも無尽水源を手に入れたというのに……
このままではあと数秒で地面に叩きつけられて死んでしまう。
ロロイに、何とかして無尽水源を制御してこの状況を打破してもらわないといけない。
だが、先に落ちたはずのロロイの姿が、なぜか見つけられなかった。
俺が無尽水源を手に入れたことを伝えるため、『倉庫転移』によって無尽水源をロロイの倉庫に送ろうとしたが、それもダメだった。
最後の手段として、一か八かこの場で無尽水源を取り出して、俺自身がそれを制御できないか試そうかと迷っていたら……
きらりと光る、ロロイの魔宝珠が見えた。
空中でそれを捕まえ、いろいろと試して何も起きないことを確認してから倉庫に突っ込む。
「ダメか……」
ロロイと結婚したところで、俺も魔宝珠を使えるようになるわけではないようだ。
たぶん、無尽水源についても、『財産共有』の延長で代理で所持する権利を得ただけなのだろう。
多分、俺には制御とかはできない。
……まさに『荷物持ち』だ。
「アルバス!」
どこからか、ロロイの声が聞こえた。
「ロロイ!? ロロイどこだっ!」
「こっちなのです!」
声のする方向を見ると、かなり上空にロロイがいた。
いつの間にか、上に回り込まれていたようだ。
ロロイは倉庫から出した寝具の布をはためかせ、落下の速度を抑え込んでいた。
だからこそ、あれだけ落ちたタイミングが違ったのに合流ができて、しかも俺よりも上にいるのだろう。
本当に、この娘は天才だ。
「つながったアルバスの倉庫から感じるのです!! 無尽水源を手に入れたのですね!」
「ああ、手に入れた!」
「では、今ここで倉庫から出すのです。ロロイの真下にっ!」
「了解。……倉庫取出!」
俺が手をかざした先に、巨大な無尽水源が出現した。
重量の差なのか、無尽水源は一瞬にして俺よりも上空に取り残されていく。
だが、そんな無尽水源にロロイが上から張り付くと、その重みで一気に下に向かって加速した。
そして……
「王の末裔が命じる……」
ロロイがそう言って詠唱を始めると、無尽水源から再び水が滴り始めた。
「浮けぇぇぇぇえええーーーーっ!」
「それって詠唱なのかっ!?」
もはやただの『指示』だ。
しかも、全然浮き始めていない。
「……ごめんアルバス! やり方がわからないのです!!」
「マジかっ!」
えっ?
もしかしてこのまま落ちるの?
……普通に死ぬぞ。
アルカナのこととか、ミトラのこととか、勇者パーティでのあれこれとか。
一瞬にして、頭の中を走馬灯が駆け巡る。
「そうだロロイ! 魔宝珠を使えっ!」
「魔宝珠!? 落としたのです!!」
「ここにある! 倉庫移転!」
俺が倉庫経由で上空のロロイに魔宝珠を受け渡すと、ロロイがハッとして「倉庫取出」と叫んだ。
そしてロロイは、手の中に出現した魔宝珠を高々と掲げた。
「んんん~~~~っ!!」
無尽水源から滴った水が各所に飛び散り、周囲の水滴が瞬時に渦を巻き始める。
やがて俺たちの周囲の水が、徐々に浮力を取り戻しはじめたようだった。
だが間に合わない。
俺たちの落下速度はすでにかなりの勢いとなっており、宙に浮く水滴程度では押し殺しきれない。
もはや地面は目前に迫っていた。
このままでは衝突する!
「えいやっ!!!」
そう言ってロロイが地面に向かって手を振りかざすと、そこから巨大な水の柱が立ち登り始めた。
俺とロロイは、その水柱に巻き込まれる形でグルグルと回転しながら落下の速度を押し殺した。
ギリギリ死なない程度の衝撃とともに、凄まじい水飛沫を上げて地面に到着したのだった。
まさに、間一髪だ。
ロロイの手助けを借りながら、なんとかして上体を起こして立ち上がった。
無尽水源は、いつの間にか俺の倉庫内に戻ってきていた。
おそらくは、何らかの条件で自動的に戻ってくるようだ。
俺……というかロロイが、すでに完全に所有者だと認められているのだろう。
『武具の忠誠』という名前の、何回捨ててもその武具が所有者のもとに戻ってくるという武具スキルがあるが。それと似たようなものだろうか?
「し、死ぬかと思った……」
「2人とも生きててよかったのです」
あっけらかんとそう言い放つロロイに、俺も思わず笑ってしまった。
俺たちが落ちたのはシトロルン山脈の南側の平原のようだ。
風に流されるなどして、だいぶ南側に移動していたようだった。
少し離れた場所に、ポポイ街道と思しき街道が見える。
その街道は、なぜか通常よりも多くの人でにぎわっているようだった。
最悪の状況だ。
そう……
危機はまだ去っていない。
俺たちの着地の前後から、大量の水が驟雨のごとく地面に降り注ぎ始めている。
水は瞬く間に俺の膝下くらいまでの量となり、キルケット川に向かって流れ込む大きな流れとなり始めていた。
その流れに足を取られそうになりながらも、必死で踏ん張る中。大量の水とともに、目の前に巨大なモンスターが降ってきた。
「っ!」
水魔龍だ。
水魔龍は、落下の衝撃によりべちゃんと地面に張り付き、そのままピクリとも動かない。
「完全に、死んだのか?」
「……うん。でもこの人は、200年前からずっと死んでいるようなものなのです」
ロロイは、少し寂しげな目で水魔龍を見やった。
さらに小さく一礼をしたのち、言葉を紡ぐ。
「あなたの悲しみと絶望は、きっとアルバスが晴らしてくれるのです。だから、安心して逝くのです」
「? ロロイ?」
ほんの少しだけ身じろぎした後。水魔龍の身体は、他の魔龍や迷宮のモンスターなどと同じように、はらはらと崩れながら消えていった。
そしてその後には、水魔龍の額にあった深い青色の含魔石だけが残されていた。
その含魔石は、頭部が砕け散った後には身体の中に埋め込まれ、無尽水源からの膨大な魔法力を取り込んで水魔龍の身体を維持していたようだった。
→→→→→
気づけば、周囲から大歓声が聞こえてきていた。
ポポイ街道でモンスター狩りをしていたと思しき冒険者たちが、方々で叫び声をあげているのだ。
「水魔龍を討伐したぞ!!!」
「あの2人がやったのか!? いったいどこの冒険者だ!?」
「違う。あれは冒険者じゃない! 商隊だ! 商人アルバスと、その護衛だ!?」
よく見ると、そこには自警団や衛兵までいるようだった。
ガンドラの息子夫婦である、ガンツとオレットの姿も見える。
昨晩、俺がミトラへの手紙で仕掛けておいた『打開策』が、何らかの形で作用してそうなったのだろう。
「アルバス! もう一度無尽水源を出すのです。このままじゃ、川が氾濫してキルケットが水浸しになってしまうのです」
ロロイが、水魔龍の含魔石を拾い上げながらそう言った。
「ここでか?」
周囲には、かなりの数の人がいる。
それに、俺たちはすさまじく注目されているようだ。
さっきは空中で死にかけてて必死だったのだが。
ここで、無尽水源を出すのはよろしくないだろう。
無尽水源が俺の倉庫に入っているなんて話が広まったら、そこからどんなことが起こるか想像もしたくない。
マジで皇国規模の大事件に発展しかねない。
「ここでなのです。ロロイはロロイの友達がいるキルケットを、水浸しにはしたくないのです」
「わかったよ。じゃあ目隠し頼む」
「了解なのです!」
ロロイが、周囲に流れる水を、アルミナスの風で巻き上げ始めた。
土砂の混じった水の飛沫により、瞬く間に俺たちの姿が覆い隠されていく。
「倉庫取出」
そして俺が再びその言葉を唱えると、俺の手のひらの先に無尽水源が出現した。
「はは……やっぱり本当にでてくるんだな」
倉庫からアーティファクトを出し入れするなんて、意味不明すぎて笑えて来る。
「んんっ!」
ロロイが身体中に力を込めると、無尽水源から滴る水がロロイの左手に集まりはじめた。
次にロロイは、それを右手のアルミナスで発生させた風と掛け合わせた。
アマランシアやミトラと同じ、合成魔術だ。
水と風の合成魔術。
つまりは、氷雪属性の魔術。
「さぁ、いくのです!!」
ロロイはそれを一旦右手に集めて握り拳を作った後、そのまま足元の水へと叩きつけた。
氷雪の魔術を受けた水は瞬く間に凍りつき始め、地面から突き出した氷柱で模様を描きながら放射状に広がっていく。
「もう一押し! うりゃぁっ!」
ロロイは、再び作った氷雪魔術を、今度は空に向けて放った。
その魔術は空中で大きく弾けて広がって行き。天空から雨のように降り注ぐ大量の水が、徐々に白い氷の粒へと変化していった。
さらに、ロロイが巻き上げた風により、降り注ぐ氷の粒が細かく打ち砕かれていく。
「これは……雪、か」
高い山の上で何度か見たことがある。
「無尽水源のパワーは、すっごいのです! 何もかもがパワーアップなのです!」
ロロイは今、無尽水源から溢れ出る水の魔法力と、ロロイ自身の風の魔法力を混ぜ合わせて、氷雪の合成魔術を作ったのだ。
それはもう。
普通に考えたらとんでもないことだった。
「もう俺は、何が起きても驚かないかもしれない」
「?」
役割を終えた無尽水源は、再び自動的に俺の倉庫内へと戻ってきていた。
ロロイの合成魔術はたしかに驚くべきことなのだが。
無尽水源が俺の倉庫に入っているという事実の前には、もはや何もかもが小さいことに思えてしまう。
驚きの連続すぎて感覚が狂ってきていた。
「これで、キルケットは水浸しにならずに済むのですね。ミトラやガンドラが困らずに済んでよかったのです」
氷に足を取られる俺を助け起こしたロロイが、ニコニコしながらそう言った。
「助かった」
「どういたしましてなのです」
成り行きでロロイと結婚してしまった件についても……
とりあえず今は考えないでおこう。
アルカナへの説明とか、ミトラへの説明とか。
色々と考えなきゃいけないことは山ほどあった。
俺たちを中心として、周囲の水はさらに凍結していく。
そんな氷原の上に、ハラハラと雪が舞い落ち続けていた。
徐々に晴れてくる視界の中で。
少し離れたところから、バージェスとクラリスの乗ったウシャマが駆けてくるのが見えた。




