08 3番手の貴族
西大陸商人ギルド本部。
キルケット東部地区にあるその建物の一室にて、2人の人物が会談していた。
1人は、西大陸商人ギルドのギルド長であるマーカス。
そしてもう一人は、キルケット貴族内で3番手の序列であるクドドリンという貴族であった。
2人は向かい合わせのソファーの深々と腰掛け、マーカスのわきには秘書官のジャハルと護衛のダコラスが、クドドリン卿のわきには2人の護衛がそれぞれ控えていた。
「それでマーカス。例の商人はもう北に向かったのか?」
クドドリン卿が重々しく口を開いた。
「はっ! なんの疑問も抱かずに、意気揚々と出かけて行ったようです」
マーカスからのその報告を受け、クドドリン卿がにんまりといやらしくほほ笑んだ。
「忌々しい男だ。一商人の分際で、貴族の特権である『劇場観覧』を庶民向けに開催するなど本来はあってはならないことだ。つまりこれは万死に値する」
「はっ! その通りですな」
「では、なぜ。その商人は処刑されない?」
「はっ! それは、あのジルベルト・ウォーレンめがバックについていると思われるからです。また、アルバス自身も、アース遺跡群の攻略や劇場の開催などで、キルケットの住民からの知名度が高く、なかなかに直接的な手出しができずに……」
「そんなことはわかっているわ!!」
クドドリン卿の怒鳴り声に、マーカスだけでなく秘書官のジャハルやクドドリン卿の護衛達も、ビクッと体をこわばらせた。
キルケット中央地区において貴族向けの劇場を開催するクドドリン卿は、アルバスの劇場ができてからというもの、各方面からのバッシングを受けていた。
曰く『クドドリンの劇場は、宣伝が多すぎる』
曰く『クドドリンの劇場は、いつも代り映えのしない演目ばかりだ』
曰く『クドドリンの劇場は、そもそも歌い手の技術が低い』
それらすべてにおいて、庶民向けに開催されているミストリア劇場のほうが、クドドリン卿の劇場よりも勝っているというのだ。
クドドリン卿にとって、キルケット中央地区の劇場経営などは、片手間で適当に行なっている程度のものであったのだが……
そのうわさ話を聞いた時クドドリン卿ははらわたが煮えくり返り、その劇場を開催しているアルバスという商人を叩きのめそうとして行動を起こし始めたのだった。
だが、さっそく高率の税を課して劇場経営を行き詰まらせてやろうと動き出した矢先、ジルベルト・ウォーレンからの妨害が入った。
なんと、その劇場が開催されている場所はウォーレン家の離れ屋敷だという話なのだ。
そして、ジルベルト・ウォーレン自身が「俺がその劇場の出来を確かめる。つまらぬ物ならば、俺が自ら叩き潰す」と言いだしたことにより、クドドリン卿が税を課す話はうやむやにされてしまった。
そして結局のところ。
ジルベルトはその劇場の歌姫をオークションの余興要員として招待するという形で、劇場の存在をいったん認め、その間にミストリア劇場はさらに知名度を上げていった。
「忌々しいジルベルトめ、幾度となく私の策を妨害しおって……」
オークションにおいては、なぜか横から出てきたジミー・ラディアックとその商人が競った挙句。そこへジルベルト自身が参戦することで、同じく参戦しようと機を伺っていたクドドリン卿はくぎを刺された形となった。
キルケット貴族内での格付けとして、ジルベルト・ウォーレンは2番手に甘んじてはいるが、その保有資産の額はそのほかの貴族たちを全員足したものよりも多いと言われていた。
ジミーやその商人などは、クドドリン卿にとってどうということはなかったが、ウォーレン卿が相手となるとまず勝ち目はない。
そしてウォーレン卿が参戦してしまった以上、そこで表立ってウォーレン卿に歯向かうのはクドドリン卿にとって得策ではなかった。
そしてそうこうしているうちに、その劇場は名実ともにアルバスという商人のものとなってしまった。
あの時のクドドリン卿は、1人煮えたぎるような逆恨みをアルバスに向けていたのだった。
そして、ウォーレン卿自身が離れ屋敷のオークションに参戦したことは、さらに別の効果も生んでいた。
それによって、その少し前の品で行われたアルバスの自己出品商品への申し入れ行為さえもが、うやむやにされてしまったのだ。
その行為をもってアルバスを糾弾し、商人ギルド……ひいてはキルケットから追放するような大掛かりな仕掛けをクドドリン卿は考え始めていた。
だが、オークション後の貴族会合にてクドドリン卿がそれを口にしかけた瞬間。
「クドドリン卿。それはつまり、俺に一言あるということか?」
という、ジルベルト・ウォーレンの言葉で、完全に流れを断絶されてしまった。
アルバスの行為を糾弾するのであれば、同じことをしたウォーレン卿をも糾弾するつもりなのか? と、ジルベルト・ウォーレン本人が問いかけてきたのだ。
表面上は「滅相もないことですよ、ウォーレン卿」と言って引き下がりながらも、クドドリン卿のはらわたは煮えくり返っていた。
表立って歯向かうことのできない、この経済力と権力の格差が歯がゆくて仕方なかった。
「だが、今回の件には、さすがのウォーレン卿も口出しはできなかったようですな」
マーカスがへらへらしながらそう言うと、クドドリン卿は再びいやらしくにんまりと笑った。
「ポッポ村との交易は、商人ギルド全体としても益のある話だ。例の大商人のお忍びの来訪も予定されているとあって、ウォーレン卿にしても特に反対する理由が見つけられなかったのだろう」
「その道中に、どれほどの罠が仕掛けられていようとも、ですな」
「ギルド長よ。その辺については口を慎め」
「はっ!」
そうして2人は、用意されていた芳醇な果実酒を飲み交わしたのだった。
→→→→→
そして、クドドリン卿が去った後のその小部屋にて。
「マーカス様、本当に大丈夫なのでしょうか?」
すこし焦った様子で、秘書官のジャハルがそう切り出した。
「アルバスめは、我々の仕掛けた罠をすでに1つ突破しております」
「……」
そのジャハルの言葉に、マーカスは神経質そうにこめかみのあたりを指先で叩き続けるのだった。
マーカスがアルバスに対して仕掛けた第1の罠。
それは、連結荷馬車による移動妨害だった。
商人ギルドからアルバスに貸与した荷馬車は『連結荷馬車』と言って、2台の荷馬車を前後に連結し、それを3頭のウシャマで牽引するタイプのものだった。
それは、比較的軽いものを整備された街道で運ぶ際に使われる、主に王都近辺で使用されている荷馬車だ。
だが。
整備されているとはいえ、マシュラやタマシュラといった固い甲羅を持つモンスターが多数徘徊するポポイ街道において、その連結荷馬車はあちこちの車輪にモンスターが引っ掛かって度々進行が止まるという最悪の荷馬車だった。
この街道で、そんな荷馬車を使う馬鹿はまずいない。
第1の罠として、ジャハルがあえてそれをアルバスに与えようとしたところ。
アルバスは荷馬車4台を丸々自分の倉庫に収納した挙句、6頭のウシャマのうち4頭だけを借り受けてさっさと出発して行ってしまった。
「どうやら奴は特殊な倉庫スキルを持っているようです。元勇者パーティとはいえ、知名度も戦闘力もほとんどない商人という事で油断しておりました」
改めてそれを聞いたマーカスは、部屋の家具を蹴飛ばした。
「そんなことは事前に調べておけっ!」
「も、申し訳ございません」
「だがまだ仕掛けはある。必ずやクドドリン卿からの依頼をやり遂げるのだ」
マーカスは有無を言わさぬ口調でジャハルにそう告げ奥の部屋へと引っ込んでいった。




