37 その結婚
オークションから3ヶ月あまりが経過したある日の晩のこと。
俺は、再びミトラの部屋に呼ばれていた。
ミトラは相変わらずだったが。
劇場で吟遊詩人の公演がある時には、必ず顔を出してその唄を聞いていた。
そして、ミトラの作り出す木人形の種類はもはや50種を超え、それらの売れ行きは歌い手が変わっても変わらずに好調だった。
俺は、講演の日程を組み、各人形の在庫などを管理しながら。それに合わせて、日々ミトラに人形の作製を依頼していた。
その日の朝。
いつものように人形を受け取る際「夕食後に部屋に来てほしい」と、ミトラに声をかけられていたのだった。
「ミトラ…用事とはなんだ?」
なんか、このセリフ前にも言った気がするな。
ミトラは窓際に佇み、目隠しをした顔を俺へと向けてきた。
「今の私は住処も確保され、人形販売による収益で暮らしに困ることもなくなりました。クラリスも、バージェス様と随分と仲良くやっているようですし…。私にはもう憂い事はありません」
「ああ」
「その上で一つお願いがあります」
「なんだ? 俺に出来ることなら…」
人形収益の取り分を上げろ。とかかな?
出来れば今のままが良いけど…
ミトラが本気で交渉してくるなら考えてもいいかもしれない。
おそらくは、ミトラに限ってそんなことは絶対にないだろうけどな。
「私を…」
「ああ…」
「私を…アルバス様の妻として迎えてくださいませんか?」
少し俯き加減になりながらも、ミトラはド直球にそんなことを言ってきた。
「それは、以前にもう無しにしただろう?」
「あの時とはもう違います。屋敷と共にマナで買われ、結局は奴隷と同じに扱われると覚悟していた時の私とは違います」
たしかに。
この3ヶ月で、ミトラは色々と変わってきていた。
部屋に篭る時間は減り、付き人にしている吟遊詩人と共によく庭を散歩している。
そして時たまは、屋敷の外に連れ出してほしいという話さえ、俺たちにしてくるようになっていた。
「アルバス様に、自らの足で歩むことを教えていただいた私が。その……心よりの感謝をして、この先を共に歩みたいと思えるお方に、今ここで結婚を申し込んでおります」
「……」
「私はずっと。自分の力で足掻くことをしませんでした。生まれてからこの方、ずっと周りの言うがまま。どんな境遇だろうとひたすら身を隠して耐えるということが、私の生き方でした」
「ああ…」
たぶん、それ以外の生き方を知らなかったんだろう。
自分で選ぶことや、道を探すことはせずに。周りから示されたものに唯々諾々として従って生き続ける。
それは、結局は自らを周囲の奴隷とするのと同じような生き方だった。
そしておそらくは。
周りに頼らなくては生きていけないという境遇により、極端に自分というものを卑下し続けた結果なのだろう。
「アルバス様のお陰で、私の手遊びが生活の糧となりました。何の意味もないと思っていた私の人形作りで、私は今、日々持て余すほどのマナをいただいております」
「気にするな。ミトラの人形には、俺もかなり儲けさせてもらってる」
ミトラが『持て余す』と言った額のマナは、俺にとってはそう多いものではない。
俺はミトラの木人形の売買だけでも、日々その4倍以上のマナを収益として得ていた。
だから、どちらかというと商売相手として礼を言いたいのは俺の方だ。
「もし、私の力が今後もアルバス様のお役に立てるのなら…」
「別に、そのために結婚をする必要などないだろう? 今まで同様、商売仲間として関わるので、何も問題はないはずだ」
「…嫌です」
あのミトラが、キッパリとそう言った。
「私は、アルバス様の妻になりたい。今後も、私の持てる全てをアルバス様のために使いたい。あなたは、私の手遊びに価値を見出し、『自分自身にはなんの価値もない』という脅迫のような観念から解放してくださいました」
「……」
「受けいれて…くださいませんでしょうか?」
「俺、は……」
ミトラの気持ちは、もちろん嬉しい。
アルカナの言うように、俺の商売でまた人を幸せにすることができた。
だけど。
「すまない、ミトラ。気持ちは嬉しいが、俺にはもう…」
「すでに奥様がいらっしゃるのは、知っておりますよ」
俺の答えは、たしかに間抜けなものだった。
妻の話は、俺が何度も何度も食事中にしていたからな。
当然ミトラもそれをわかってて言っているのだろう。
「王侯貴族に限らず、腕のいい冒険者や大商人様が複数の妻をかかえるのは、ごくごくありふれたことでしょう?」
そう。
だから俺も、元々は『勇者みたいなハーレムを作るぜ』とか思ってた時期もあった。
だが、もう俺は、勢いのままに色々しでかしてしまったあの頃の俺ではないのだ。
「俺にとってアルカナは特別な存在なんだ。世間や国の法律で認められていようと、簡単にそんなことは……」
「私の気持ちが、簡単なものだと?」
「いや…、そういうわけじゃ…」
ミトラの目隠しの向こう側で、見えないはずのミトラの目が真っ直ぐに俺のことを見つめているような気がした。
ミトラはクラリスの10個上だから、すでに26歳だ。
世間では、16歳で結婚したミトラと同じ年齢の女なんかは、もう何人も子を産んでいてもおかしくないだろう。
「申し訳ございません。困らせてしまっているのはわかっています」
そう言ってミトラは、少し息を詰まらせた。
「それでも…このことは簡単に諦めたくないんです」
絞り出すようにそう言ったあと。
ミトラは下唇を噛んだ。
さっきまであった、胸のあたりの上下動が止まっていた。
ミトラは、呼吸を止めているようだった。
おそらくは…
緊張のあまり。
オークションでウォーレン卿と競り合っていた時の俺と同じく。呼吸をすることすら忘れて集中しているのだろう。
ミトラには俺の表情が見えないから。
俺の発する微かな音すらも聴き逃すまいとしているようだった。
そんなミトラの姿を見ているうちに…
「…わかった」
俺は、ミトラのその思いを無碍には出来ないと思ってしまっていた。
前々からわかってはいたけど…
俺は、結構押しに弱いみたいだ。
商人としては致命的になりかねないから、改善の余地ありだな。
「本当に…?」
俯き加減だったミトラが、顔を持ち上げた。
ただし、俺にも譲れない部分はある。
「だが、アルカナと…妻と話をさせてくれ。俺は、アルカナが嫌がるならば妻を増やすようなことはできない」
俺としては、そこだけは譲るわけにはいかなかった。
例え始まりが勢いだったとしても…
俺にとって、アルカナの存在はデカ過ぎるんだ。
「……わかりました」
再び俯いたミトラを背にして。
俺はミトラの部屋を出た。
それを誠実というのか、チキンというのかは、各々勝手に評価してくれて構わないと思う。
→→→→→
アルカナからは、たっぷりと1週間焦らされた挙句にやっと返事が来た。
その間、ミトラは普段と全く変わらない様子だった。やはり考えていることがよく読めない。
また少し、距離ができたような気がしていた。
そして、俺の倉庫に届いたアルカナの手紙だが…
『アルバスさんはいずれ本物の大商人になるお方ですから、いつかはこんな日が来るかもしれないと思っておりました』
それは、そんな出だしで始まっていた。
ヤバいかな? 『それなら離婚する』とか言われたら、ミトラには悪いけどどう考えてもアルカナが1番だぞ。とか、そんなことを考えながら続きを読んだ。
アルカナに連絡をとってしまった以上。二兎を追うものは一兎も得ず。みたいな話にならないかというのもすごく心配だった。
だが…
アルカナからの返事は、非常に懐の深いものだった。
『その方も、私同様アルバスさんの商人としての力で救われたのでしょう? あの時の私と同じその方の気持ちを、私が止められるはずもありません』
そこまでを含めて、アルカナはあの晩に語った、『商人の妻になるという覚悟』だったのだと。手紙の中で語っていた。
『これからも、どんどん人を幸せにしてくださいね! 大商人様! あと…。後で絶対に、私もその方に会わせてくださいね』
最後にそんな言葉で締め括られていたのだが。
それは、曲解すると「これからもどんどん妻を増やせ」ということか?
「アルカナ…」
本当の胸の内はともかくとして。
アルカナからはお許しが出た形になった。
→→→→→
俺はミトラの部屋を訪れて、そんなアルカナからの返事を伝えた。
「1週間も待たせてすまなかった」
「? ヤック村との手紙のやり取りであれば、普通はそのくらいの時間がかかるでしょうに」
「たしかにっ!!!」
俺の「倉庫」とアルカナの家にある木箱が繋がっていることについては。
他で聞いたことがなく、あまりにも謎が多いスキルであるため、なるべく口外しないようにしていた。
ロロイ、クラリス、バージェスは知ってはいたが、ミトラはたぶん知らない。
おそらくは。
そうである可能性まで計算された上での、1週間後というアルカナからの返事のタイミングだったのだろう。
「私も、是非、近いうちにアルカナ様にお会いしたいです」
「ああ。色々と落ち着いたら、その手配も進めようか」
やはり、アルカナは凄い女性だ。
→→→→→
深夜の部屋で、ミトラと向かい合う。
夫婦となることを決めたもの同士、この後にすることは決まっていた。
ミトラは、小さく震えていた。
結婚の経歴がないのだから、そういうことなんだろう。
だが実は…
ミトラの震えは全く別の懸念からくるものだった。
「身体を重ねる前に。夫となるアルバス様にはお伝えしておかなくてはならないことがあります」
そう言って、ミトラが部屋の奥へと移動した。
そして、かすかな衣擦れの音と共に、ミトラが目隠しを解いた。
パサリと…、厚い布切れが地面に落ち。
ミトラの隠されていた部分があらわになる。
幼い頃に事故で失明したと聞いていたが…
その閉じられた2つの瞼には、それをうかがわせるような傷跡はない。
綺麗な顔立ちだ。
「それなら、わざわざ布で傷跡を隠すような必要などないだろうに…」
「いいえ。これは傷跡を隠すためのものではありません」
「傷跡を隠すためのものでないなら、なんなんだ?」
「それは…」
そう言ったきり、その場に佇んでいるミトラ。
呼吸が荒くなり、小刻みな震えもさらにひどくなっていた。
両の手で顔を覆い隠しながら、啜り泣くような声すらあげ始めていた。
明らかに様子がおかしい。
「無理をするな。辛いなら…」
そう言った俺を手で制し、ミトラは必死に呼吸を整えた。
少し落ち着きを取り戻した後。
顔を覆う手を退けて、ミトラが再び俺に向き直った。
「あの布は。これを…隠すためのものです」
そして…
ミトラの目が…
開かれた。
「なっ…」
そこにあったのは、翡翠色の瞳。
エルフのアマランシアやシンリィと同じく、深い翡翠色をした瞳だった。
「エルフ…だったのか…」
おそらくは、ハーフエルフ。
「ええ。このことはもう、クラリスしか知りません」
貴族の奴隷であったミトラとクラリスの母は…エルフだった。
そして奴隷として買われたにも関わらず。
主人であったキルト・ウォーレンの寵愛を受け、妻としての扱いを受けながらこの離れ屋敷で暮らしていたのだそうだ。
そうして生まれたミトラは、エルフと人間の血を半分ずつ引くハーフエルフとして、身体の一部にエルフの特徴が発現していたのだった。
「幼い頃に事故で失明したと…」
「使用人や他人の前ではそういうことにするようにと、母と父から言い聞かされました。この瞳を見られてしまったら。誰もが私をエルフ奴隷として扱うだろうと…」
そう言って。
ミトラは目を閉じて再び震え出した。
ミトラとクラリスの母は。
内縁の夫であるキルト・ウォーレンのいない場所では、使用人たちから随分とひどい扱いを受けていたらしい。
ミトラの父と母は、ミトラにそんな扱いを受けさせないためにも。ミトラの瞳のことをひた隠しにすることを決めた。
たまたまそれを知ってしまっていた数少ない使用人については、大貴族の力でいろいろと『対処』をしたらしい。
「これでも、アルバス様は私のことを奴隷としてあつかいませんか?」
絞り出すような声。
俺は元々、エルフ奴隷などという制度には反対の姿勢だった。
「俺は、ミトラを奴隷扱いなどしない」
きっぱりとそう答えると、ミトラの震えが徐々に止まっていった。
ミトラは、少し涙に滲んだ翡翠色の瞳を細めながら、俺に向かってニッコリと微笑んだ。
「アルバス様は、エルフのシンリィにも平等に人として接しておりました。そして先日も、この屋敷の所有者でありながら、圧倒的に弱い立場にいる私を、人として扱ってくださいました」
「それは…当たり前だろう」
「だから。それを当たり前と言うアルバス様だからこそ、私は全てをさらけだしてみたくなったのです。本来ならば、私が街中で人間のふりをして生きる以上、たとえ夫と言えども、この瞳のことは死ぬまで隠し通すつもりでした」
ミトラはそれを俺に見せることに葛藤し。
過呼吸となるほどに心を乱していたのだった。
そして、ミトラは再び俺に向き直り。
じっと顔を見つめてきた。
「ああ…アルバス様。そんなお顔をしていたのですね」
「想像と違ったか?」
「ええ。想像よりもずっと凛々しいお顔です」
そう言って再び笑みを浮かべるミトラ。
そして…
「アルバス様…」
感極まったのか、擦り寄って抱きついてきた。
応じて抱き締めると。
ミトラの方も手に力を込めた。
「申し訳ありませんが、私にできるのはここまでです」
「?」
「この後のことは、もう、よくわかりませんので…」
「……」
思わず、そのままベッドへと押し倒してしまった。
細工のように繊細なミトラの指に手を重ね、その一本一本に触れていく。
そんな俺の動きに合わせ、翡翠色の瞳で俺をじっと見つめながら指を絡め返してくるミトラ。
俺の心臓は、徐々に高鳴り始めていた。
そして。
静かに目を閉じたミトラに向かい、口づけをする。
「アルバス様…」
そしてミトラの衣服に手をかけ、1枚ずつ取り去るたび、少しずつ自分の身体が熱くなっていくのがわかる。
荒々しくなってしまわないよう、自分を抑えるのに必死だった。
そんな俺に対して。
「覚悟を決めた私は、アルバス様が思うほど繊細ではございませんよ。どうぞ、旦那様の思うがままにしてください」
俺の身体の下で、半裸のミトラがそんなことを言い出して…
俺の理性は完全に吹き飛んでしまった。




