35 「言うと思ったか?」
俺は、宴会場の後片付けを済ませた後にミトラの部屋に呼ばれていた。
そこは、いつかのように人形で溢れてはおらず、机の上に、作ったばかりの10体の木人形が並んでいるだけだった。
この2ヶ月の間で、ほとんど全部俺が売ってしまったからな。
残りも、俺の倉庫の中に入ったままだ。
「ミトラ…用事とはなんだ?」
いつまでも何も言わないミトラに痺れを切らして、俺の方からそう尋ねた。
「わかっていますのでしょう?」
「何がだ?」
「……」
訝しがる俺の目の前で。
ミトラは突然。
1枚ずつ服を脱いでいった。
「待て待て待て…」
「アルバス様も、初めからそのおつもりだったのでしょう?」
「……」
透き通るような白い肌。
俺は、思わず目を逸らした。
俺の沈黙を肯定と取ったのか、ミトラがゆっくりと俺に歩み寄ってくる。
「アルバス様のお陰で、私はこれからもここに住み続けることができます。そしてこれで、クラリスも憂いごとなく好きなように生きることができる。それら全て、アルバス様のお陰です」
「確かに、ここで俺と結婚すれば。それで本当にもう憂慮することはなくなるんだろうな」
このお屋敷の所有権は現在俺のものだ。
だから、ミトラはそれをよりきちんとした形で自分のものとしたいのだろう。
ついでに、買い出しを頼める使用人の1人でもつけて欲しいといった所だろうか?
「よろしくお願いします」
そう言ってさらに近づいてきたミトラ。
目を逸らしていても、いやでもその白い肌が視界に入ってきてしまう。
「本気で言ってるのか?」
「えぇ…私は本気です。さぁ、アルバス様。どうぞ……お好きなようになさってください」
アルカナの顔がちょっと浮かんで…
そして掻き消えた。
それとこれとは別の話だ。
これは、そういうことじゃない。
「わかった」
「はい」
「……とでも、言うと思ったか?」
「…えっ?」
そう、これはアルカナのこととは全く別の話だ。
結婚云々の話ではない。
俺の、矜持に関わる話だ。
「さっさと服を着ろミトラ」
そう言って、俺は後ろを向いた。
「『俺が屋敷の所有権を持っているから、それが欲しければ俺と結婚しろ』だなんて。…俺がそんな、人をマナで買うような真似をするとでも思っていたのか?」
そんなことをしたら、ジミー・ラディアックのやり口と何も変わらなくなってしまう。
俺には、初めからそんなつもりは毛頭ない。
俺がここまでやれたのは…
ただ、バージェスやクラリス、ロロイの期待に応えたいと思ったからにすぎない。
そして、結果的にはこの屋敷での劇場という商売が、俺の商人としてのさらなる成り上がりにもつながる形になりつつあったからこそ。あそこまで吊り上がった値段に喰らいつけた。
「アルバス様はおそらく。屋敷を買い取った暁には私を奴隷のように弄ぶだろうと……そう思っておりました。口では何と言おうと、そういうものかと…」
「なにっ!?」
ミトラには、俺がそういう奴だと思われてたのか!?
「そして私も、それでよいと思っておりました。それだけのことをしていただいておりますので。アルバス様にはそうするだけの権利があると思います。むしろ、私の身体でよければ、いくらでも差し上げようと思っております」
そしてそれでミトラが得られるものは…
『自身の平穏』と『クラリスの自由』というわけか。
交渉ごととしては悪くない条件なんだろう。
そしておそらくだが『俺がそうするだろうと思っていた』というのは正しくない。
正しくは、ミトラ自身が『自分がそうなるべきだと思っていた』ということだろう。
「それでいいわけないだろう。俺は、そんなことをするつもりはない」
たしかに。さっきは目の前の据え膳に、一瞬理性が吹き飛びかけたが、ちゃんと堪えたぞ!
ミトラは俯き加減のままで、やはり何を考えているのかよくわからなかった。
「明日、この屋敷を共同所有とするような手続きをしよう。元々、遺物の販売金額の1/3はクラリスの物だという話だったから、そのくらいの権利は当然そちら側にある。ただ、庭は引き続き俺の物として使わせてもらうがな」
「…はい」
「わかったなら、早く服を着てくれ」
さっきからずっと、目のやり場に困っている。
油断すると、再び理性がどっか行きそうだ。
俺の本能部分は、すでに色々と主張をし始めてしまっていた。
ミトラにそれが見えなくてよかった。
「…わかりました」
ミトラはそれ以上何も言わずに、床に散らばった衣服を手探りで探りあて、順番に身につけ始めた。
→→→→→
「私には、アルバス様がよくわかりません」
全ての衣服を再び身にまとってから、ミトラがそんなことを言い出した。
「ああ、俺だってミトラが何を考えてるのか、いまだに全然わからん」
おそらくは、ミトラの根底には諦観があるのだろう。自身で自身をモノのように扱い、屋敷を買い取った俺に弄ばれるのが当然、などと考えるのは、そういった全てに対する諦めの感情からくるものに他ならない。
だが、なぜミトラがそんなに深い諦観の中にいるのか。俺にはわからなかった。
目が見えず他人に頼らなくては生きていけないという境遇が、どれほどの負荷を心に負わすのか…そうでない俺にはわからない。
だけど。
まぁ、他人同士なんてそんなものだろう。
全く異なる境遇にいる相手を本当に理解するなど、簡単なことじゃない。と言うか多分無理だ。
だから俺には、ミトラは理解できない。
そして、別にそれでいい。
関わる中で、別に相手の全てを理解している必要などないのだから。
「アルバス様…。あなたは、何気なく口にしたことまで全て、本当にきちんと実行してしまうのですね」
「買い被るな。全然そんなことはない」
「あの晩、奴隷を人だと言い切ったあなたの言葉を、私は信じていませんでした。おそらくは、口先だけの偽善であろうと…。実際に権力を手にして、そこでそう扱っても良い相手が目の前にいれば、わざわざ人として扱うことなどしないだろうと…」
俺は今、ミトラに試されていたというわけか?
「……」
いや…
違うな。
ミトラは本気で俺に隷属する気でいた。
俺がそうするだろうとか、そういうことは多分言い訳に過ぎない。
ミトラ自身が『自分はそうなるべきだ』という思いとともに、それを受け入れることが自身やクラリスにとって最良の選択だと思っていたのだろう。
俺が屋敷を買い取る話をした時も。
ミトラにとっては、相手がジミー・ラディアックから俺にとって代わっただけで。自分のすべきことは何も変わっていないと、そう思っていたのだろう。
「先ほど約束した通り。明日、皆と貴族院の出張所に出向き、この屋敷の所有権についての手続きを進めよう」
再度そう約束をして、俺は立ち上がった。
「…はい」
ミトラの声には、微かな戸惑いが含まれているように感じた。
俺が、ミトラを陵辱することを拒み、何の見返りも求めずに屋敷の所有権を共同とする約束をするなどとは、考えてもみなかったのかもしれない。
もしくは、見返りとして差し出せるものが、自分には何もないという恐怖感からくるものなのか…
だが俺は、本当に何の見返りも求めないなんてつもりはなかった。
「ミトラの木人形は素晴らしい。あれらは、ミストリア劇場の収益にとってすでに欠かせないものとなっている。だから、屋敷の件の代わりと言ってはなんだが…これからもそれは俺だけに売らせてほしい」
つまりは「専属契約」だ。
ミトラの人形の売上は、今のところ月当たり6万マナ程度。
さらに種類を増やし、公演回数を増やし、販売時間を延長すれば。月12万マナくらいまでは継続的に行けると見込んでいた。
作製スピード的にも、まだまだ余裕があるそうなので十分に成り立つ。
それをこの先もずっと俺だけの商材とできるのならば、これは互いに利のある商談だといえるだろう。
「あんな、小娘の手遊びに過ぎないものを…」
「ミトラは、自分の技術にもっと自信を持つべきだ」
「っ!」
「…いいな?」
最後にそう言って。
ミトラが小さく頷いたのを確認してから俺は部屋を出た。