33 正体
「アマランシア」
俺が気づいたことに気づいた瞬間。
アマランシアは小さく笑みを浮かべ、会場の外へと消えていった。
「待て…」
なんで逃げる?
俺は、今回の件でアマランシアに一生分も礼を言わなくてはならないんだ。
アマランシアの唄のおかげで、俺は目的のものを買うことができた。
あのままグリルセットが252万マナで売られてしまっていたら、俺はジミー・ラディアックにすら競り負けていた。
まぁ、その場合。
結局屋敷はジルベルト・ウォーレンが買い戻して、ジミーの手には入らずじまいだったのだろうけど…
アマランシアを追いかけて出た薄暗い廊下。
アマランシアがさらに先へと走っていくのが見えた。
「な…なんで?」
俺をどこかに誘い出そうとしているのか?
さらに追っていくと。
アマランシアはオークション会場の外にまで出て行ってしまった。
アマランシアの足なら。その気になれば俺なんか一瞬でまけるはずだ。
だがアマランシアは付かず離れずの距離を保ったまま、何度かチラチラと後ろを振り返りながら駆けていく。
完全に、俺を誘っているようだった。
いや、きっとそうなのだろう。
警備の兵士が、興味なさそうに俺たちを一瞥した。
多分、踊り子と商人が逢引きでもしていると思ったのだろう。
キルケット中央地区の表通りは、西地区などと違って夜でもかなり短い間隔であちこちに灯りが灯されている。
そしてそんなあかりに照らされた表通りから、アマランシアは少し薄暗い脇道へと入り込んでいった。
「アマランシア!」
何度も声をかけたのだが、返事はない。
そして不安に駆られた俺が引き返すことを検討し始めた頃。
唐突にアマランシアの姿が消えた。
「アマランシア…どこだ?」
そして、周囲を見回す俺の前に、
奥の物陰から1人の女が姿を現した。
「今宵は良い月の夜ですね」
「お前は…」
白いローブを纏ったその女。
それは、いつかのエルフだった。
俺から高額のスキル付き遺物を購入し、黒い翼との戦闘では助太刀をしてくれた。あの、エルフだ。
「いや、月は出ていないぞ」
俺は、辺りをさらにキョロキョロと見回しながらそう答えた。
アマランシアはどこへ行った?
というか、この女は何者だ?
どうやって内門の中へ入ったんだ?
そんな疑問が、浮かんでは消える。
このエルフは、やはりどこかの貴族の奴隷だったのだろうか。
「そうですね、月は出ておりません。ですが、我らのような者たちにとっては、闇に紛れる新月の夜こそ、良い月の夜なのでございます」
我らのような、者たち……?
「今ここに、吟遊詩人の女が来なかったか?」
「さぁ…私は見ていません」
エルフの女は、そのまま黙り込んだ。
そして気づけば、エルフの女のみならず。
周囲の建物の屋根に、多数の人影が見え始めていた。
「な……に…」
いつの間にか、俺は取り囲まれてしまっているようだった。
俺を取り囲んでいる者達は皆、エルフの女と同じような白いフード付きのローブを着込み、フードを深く被っていた。
そして、各々武器のようなものを手にしているようだった。
「盗賊…団?」
俺をここまで誘い込んだのはアマランシアだ。
まさかアマランシアが…、俺をハメたのか?
「そう警戒なさらないでください。この街を去る前に、アルバス様には一言ご挨拶をしておきたくて参っただけです」
「あんたも、黒い翼だったのか!?」
このエルフの女は。
シルクレットという黒い翼を名乗る男から、俺とロロイを救ってくれた。
あれが、狂言だったとでもいうのだろうか?
そしてアマランシアもまた、この盗賊団と通じていたということなのか?
「下賤な『黒い翼』などと一緒にしないでください。我々は『白い牙』。奪われた同胞を、ただ奪い返しているだけ。本来は盗賊などと呼称されるのも不愉快です」
そんなことを言うエルフの後ろに、屋根から降りた人影が近づいてきた。
「頭目。シトリン卿の屋敷より4名、ニコル卿の屋敷より3名を解放いたしました。残るはアマル卿とクドドリン卿の屋敷で、少々手こずっているようですが。そちらはすでにフウリとシオンが加勢に向かっております」
エルフがうなづくと、その人影は離れて行った。
フードを被り直す際、チラリと見えたその輪郭には、長い耳がついていた。
エルフ…。
まさかこいつら、全員エルフなのか!?
「あんたら、エルフ奴隷の解放を…?」
それを聞いて、女が微笑んだ。
「えぇ。奴隷や下働きとして潜り込んで屋敷の内部を探り、本当に奴隷として売られてしまった同胞達を解放するため、今日までコツコツと下準備を進めておりました」
エルフ奴隷として潜り込む。
それは確かに、貴族の領域であるこのキルケット中央地区に潜入するには1番手っ取り早い方法かもしれない。
「そして全ての仕打ちに耐え続けた今日のこの日。オークション会場に全ての富と警備が集中するこの日に、我々はこうして各貴族の屋敷での行動を起こしたのです」
そしてそこで、俺はあることに気がついた。
屋敷の内部を探るため、エルフを奴隷として送り込む…?
「シンリィというエルフを、知っているか?」
エルフが小さく笑った。
「ご想像の通りです。あの子は、ジルベルト・ウォーレン卿の離れ屋敷を探るため、私が送り込みました」
「くっ!」
一瞬よぎった悪い想像は、即座に肯定されてしまった。
たしかに。倉庫スキルを持っていて、いつでも手枷や足枷を外せる状態の奴隷が1人で歩いてくるなんて、今思えばおかしい話だった。
「屋敷の者には…」
「もちろん、危害を加えるつもりはございませんよ」
「本当か?」
「ええ」
口でそう言われたところで、到底信じられるような話ではなかった。
何せ、相手は盗賊団だ。
今すぐにでも、ミトラたちに知らせなくてはならない。
「……」
だが、俺が深夜にキルケットの内門を越えるのは無理だ。
それに、今すでに盗賊団が動き出している以上。シンリィがその一員ならばすでに行動を起こした後だろう。
どう考えても手遅れだ。
しかし、あのドジばかりやらかしていたシンリィが、盗賊団?
「ミトラに、危害を加えるようなことは致しませんよ」
今屋敷にいる者達の中で、唯一戦闘能力のないミトラの名前を呼ばれ。俺の不安はとてつもなく高まり始めていた。
「なぜ…その名前を?」
だが口調だけは冷静に。
もしかしたら、俺が戦闘力ゼロだとバレていないかもしれない。
ならば、多少なりとも強者っぽく振る舞ったほうが良いだろう。
「信じていただけませんか?」
「当然だろう。誰が、盗賊の言葉を信じる?」
「では。アルバス様には一つ、私の秘密をお見せしましょう。それで、私を信じていただけると良いのですが…」
そう言ってエルフは、両の手で、右手に火、左手に水の魔術を発動させた。
対して俺は、反射的に身構えた。
だが戦闘力ゼロなので、身構えたところでどうにかなるものでもない。
今それを放たれたら、俺はなすすべもなくその直撃を受けて殺されるだろう。
強者っぽく振る舞ってみても。当然だけど本当に強くなるわけではない。
『商人は中央地区に護衛を連れて入れない』という貴族の決めたルールが、最悪の形となって俺に作用していた。
盗賊などの類も、そう簡単に入れる場所じゃないはずなのだがな。
だが、エルフがその2つの魔術を放つことはなかった。
「今からお見せするのは、古代の合成魔術です。水と火の属性を混ぜ合わせた、煙霧属性の魔術。真実を覆い隠す、霧と幻惑の魔術です」
そう言って、両の手のひらの二つの属性魔術を、中央で混ぜ合わせた。
そして、合わさったエルフの手のひらから、もうもうと蒸気が舞い上がはじめる。
「煙霧魔術・変化」
その蒸気は、エルフの姿を包み込んでいき…
すぐに完全に覆い隠した。
そして次にその霧が晴れた時。
そのエルフの透き通るように白かった肌は浅黒く変わり、銀髪も黒髪へと変わっていた。
小さな明かりに照らされた瞳の色もまた、エルフのそれから人間のものへと変化している。
「人間に、化けただと…」
そんな魔術があるなんて、聞いたことがなかった。
一体この女は…
「まだ、分かりませんか?」
そう言ってエルフが口元を覆っていた白い布を外す。
「っ!! ま…さ、か」
それは見知った顔だった。
馴染みのある、商売仲間。
「ア…、アマラン…シア」
そのエルフは…
アマランシアだった。
いや…
アマランシアは、そのエルフだった。
「馬鹿な…」
それ以上の言葉が出てこない。
俺の頭は完全に混乱状態だ。
吟遊詩人アマランシアというのは…
盗賊エルフの仮の姿だったということなのか!?
「頭目、黒い翼です! 内部に潜んでいた者が内門を開けに向かったもようです。門での戦闘が始まれば、一気に警備が強化されてしまいます!」
少し慌てている部下を手で制し、アマランシアは言葉を続けた。
「私は、ミトラに危害を加えるようなことは致しません」
「……」
「信じていただけますでしょうか?」
「…わかった」
いずれにしろ、今のこの状況では、俺はその言葉を信じる以外に方法はない。
ここでゴネたところで、なにか状況が好転するわけでもない。
「だが、一つだけ教えてくれ。なぜ、今ここに俺を誘い出し正体をバラした?」
「後ほど、一つ頼み事をするための布石です」
「商売、か?」
「…はい」
「そうか」
今の今まで正体を隠して騙されていたわけだが。
少なくとも今後、すぐに俺と敵対する気はないと言う認識で良いのだろうか。
「それと…アルバス様にはお礼を言わねばなりません」
「なんだ?」
「実は、奴隷に扮した手下を中央地区に送り込んだまでは良かったのですが。私自身が当日ここへ入る方法を見つけられずにおりました。最悪力押しになるという想定もしていたのですが…、アルバス様のおかげで安全に入る道が見つかりました」
アマランシアは…
俺の劇場の計画に乗った結果として、オークションの余興要員として招待されていた。
それはつまり…
「俺が、キルケットの内門の中へと…盗賊の手引きをしたということになるのか…?」
「ご安心ください。アルバス様さえ黙っていれば、誰も吟遊詩人アマランシアが『白い牙』の頭目だということは知らぬままですので…」
「そんなことを言ったら、当然のごとく俺も処罰されるんだろうな」
かつてガンドラに疑われた盗賊団との繋がりが、まさかの形で本当のものとなってしまっていた。
オークションでの支援やミストリア劇場での講演を含め、アマランシアと俺が繋がっているのは誰の目にも明らかなことだった。
「だからこそ。アルバス様は誰にも言わないでしょう?」
そう言って、霧と共に再びエルフの姿に戻ったアマランシアが悪戯っぽく笑いかけてきた。
普通にドキッとするほど綺麗なのだが、言ってることの内容は、ただの脅迫だ。
そして、内門の通行許可証を手渡してくる。
アマランシアの代わりにそれを返して『吟遊詩人アマランシアは、正規ルートで内門の外に出た』というカモフラージュをするのに協力しろということだった。
「言えるわけが、ないだろうが」
俺は、アマランシアの通行許可証を受け取りながら、そう答えた。
相当に、怖い女だ。
ひょっとしたら、俺の知ってるアマランシアとは、別人と思ったほうがいいのかもしれない。
「では、また後日。お会いしましょう」
「正体をバラしておいて、本当にまた俺と会う気なのか?」
「えぇ。先ほども言った通り、アルバス様には、後ほどお願いしたいことがありますので」
そう言ってアマランシアは、西門の方へと向き直った。
「ところでアルバス様は。11年前の、西征都市カラビナにおける奴隷解放事件を覚えていらっしゃいますか?」
「…ああ」
それは。勇者ライアンが奴隷闘技場に魔龍を呼び込んだ挙句、結果的に闘技場の奴隷エルフたちの大半を解放してしまったという事件だった。
お咎めなしどころか『突如街に現れた魔竜を討伐し、街を守った』なんて話で、当時まだ一冒険者にすぎなかったライアンは、英雄に祭り上げられていた。
「私とあちらの3名は、その際に闘技場から逃れた元奴隷です。勇者様をはじめ、そのパーティの一員であったアルバス様には多大なご恩がございます。ここで、少しでもその恩をお返し出来てよかった」
「恩…か」
その時の俺は、特に何もしていない。
だが、アマランシアたちはそれについて恩義を感じ、俺のオークションにさまざまな形で協力することで、それを返してくれていたということだった。
高額の遺物売買に弾みをつけたエルフへの遺物売買。
黒い翼との戦闘での助太刀。
劇場公演への助力。
そして先程の、オークション会場での最高の形での支援。
黒い翼との戦闘の際。直前までアマランシアと打ち合わせをしていた俺を尾行していくシルクレットたちに気付き、さらにその後を尾行する形で、最終的に俺たちの危機を救ってくれた。
また、先程のオークション会場では。エルフの盗賊団を束ねるアマランシアだからこそ。照明係に扮した配下と結託し、競売の最中に余興公演を割り込ませることができたということか…
「ではまた、近いうちに…」
そうして、アマランシアと配下の盗賊達は走り去っていった。
陣形の内側に、何名もの動きの鈍いものが見えたが、おそらくそれらが今回解放されたという奴隷達なのだろう。
キルケットの内門は、外側から侵入することに比べると、内側から外へ出る方が難易度は低いだろう。
基本的には外からの侵入を阻む作りになっていて、警備兵が塀の上に登るための階段や梯子が裏側のあちこちにあるためだ。
飛び降りることさえできれば、逃れるのはそこまで難しくないはずだ。
おそらくは、あのエルフ達は壁の外まで逃れられるだろう。
「アマランシア…」
エルフ達が消えていった闇の中を見ながら、俺は思わずその名を呟いていた。
驚きのあまり、俺の方が礼を言いそびれてしまっていた。




