29 キルケット中央オークション⑤
そしてオークションは進行し、ついにその時を迎えた。
「次の商品は、ウォーレン卿からの出品『キルケット西地区の離れ屋敷』です」
「600万マナ!」
オークショニアが商品の紹介をするや否や、聞き覚えのある下卑た声が聞こえてきた。
「44番札のラディアック卿、600万マナです。他には…」
「750万マナ!」
そう言って、俺は一気に値段を150万マナ釣り上げた。
初めから600万マナを超える想定はしていた。
1200万マナを超える額を手にしている今、無意味な低空飛行のままちまちまとやり合うのは時間の無駄だ。
本当の勝負は、900万マナを超えてきてからだろう。
「900万マナ!」
俺の提示額からさらに150万マナを吊り上げ、得意げなジミー・ラディアックの声。
まだまだ余裕ということか?
「920万マナ」
俺は、若干の焦りをかかえながら、20万マナほど値を吊り上げた。
「76番札のアルバス様より、920万マナです。他にはございませんか?」
「930万マナ!」
だが、ジミー・ラディアックはそこから値段を刻んできた。
声が若干焦っているように聞こえるが、気のせいだろうか?
「950万マナ!」
「1000万マナ!」
俺が間髪入れずに値段を吊り上げると、ジミーも1000万マナで応じてきた。
やはり貴族。
俺は、こいつに勝てるの!?
「1020万マナ!」
俺は、そこに上値を被せた。
さぁ、どう出るジミー?
ドキドキしながら構えていたのだが。
そのままジミー・ラディアックは競り合ってこなくなった。
「これで…終わりか?」
貴族であるジミー・ラディアックは、相場の倍の1200万マナ程度までは確実に用意してくるものだと思っていたのだが…
「76番札のアルバス様より、1020万マナです。他にございませんか? 他にございませんでしたら…」
このまま1020万マナで終わるなら、何も問題はない。
「…早く、終われ!」
俺は、小声でそう呟いた。
心臓がバクバクして、息が苦しい。
数秒が何分にも感じた。
そして…
「1050万マナ」
そこで、そんな声が響いた。
ジミー・ラディアックではない。
「えっ…! はっ!?」
その大物貴族の参入に、オークショニアは困惑の色を隠せないようだった。
…俺も、だ。
「嘘だろ…」
思わず、そんな声が漏れた。
「い…1番札のジルベルト・ウォーレン卿。ご自分の出品に対して、ご自分で1050万マナの申し入れです…」
意味がわからない。
先程俺がしたのと同じように、ジルベルト・ウォーレン卿が、自らの品に申し入れをしていたのだった。
だが俺は、聖拳アルミナスの時のウォーレン卿のように、そこで引き下がるわけにはいかない。
「くっ…1080万マナ」
「1100万マナ」
間髪いれずに上値を被せてくるウォーレン卿。
ふざけるな!
こんなの詐欺まがいの行為じゃねーか!?
どう考えても俺よりも資金力のあるウォーレン卿が、こんなことしていいのかよ!?
「1140万マナだ!」
俺は、ウォーレン卿がいるであろう貴族のボックス席の方を見据えながら、大声を張り上げた。
「1150万マナ」
こいつ…意味わかってやってるのか?
俺がついていけなくなった時点で、このうちの9割のマナを無駄に失うんだぞ!
だが…そうなってしまえば、俺も目的を果たすことができなくなる。
手紙でしか俺の本気度を確認していないウォーレン卿が…
俺がなにがなんでもこの離れ屋敷を買うつもりだと踏んで、ギリギリの読み合いを仕掛けてきているということか?
さっきは俺が。
それを仕掛けて聖拳アルミナスの値段を吊り上げようとして、周りから大バッシングを受けたわけだが…
やはり、買う側からするとたまったもんじゃないなこれ。
確かにこれは、ペナルティを課されて然るべき、『蔑むべき行為』だ。
若干恥ずかしくなってきた。
そして、現在の俺の手持ちは1393.7万マナ。
アルミナスのマイナス分も含め、俺がこのオークション中に手に入れたのが848.7万マナだから、ウォーレン卿が提示している額はすでにその額を大きく超えている。
当然、ウォーレン卿は俺の手持ちなど知る由もないだろう。
俺がウォーレン卿への手紙で伝えてあった数字は『オークション終了時点で600万を超えるマナを支払える確証がある』ということだけだ。
ウォーレン卿が俺の手持ちを読み違えれば、その瞬間に全てがパーになる。
一瞬、手持ちをさっさと吐いてしまうことも考えたが…
馬鹿正直に本当のことを言っても、それが嘘だと疑われて上値を被せられたら、その瞬間に全てが終わる。
そんなことになれば、ウォーレン卿自身も含め誰も幸せにならないだろう。
俺は、適当なところで相手側が引くことを期待して、しばらくはこのまま出方を伺うべきだと判断した。
「1155万マナ…」
恐る恐る値段を刻む。
そろそろやめとけよ、ジルベルト・ウォーレン。
「1200万マナ」
また大きく。
50万近くも吊り上げられた。
「くそっ! 1210万マナ」
もはや、状況は俺とウォーレン卿の一騎討ちとなっていた。
全員が固唾を飲んでその流れを見守っている。
そしてウォーレン卿は、さらなる暴挙にでてきた。
「1300万マナ」
「なっ!?」
アホかこいつ!
いきなりそんなに吊り上げて、俺がついてこられなかったらどうするつもりだ!?
読まれた…ということか?
そろそろ本当にヤバい。
「1324万マナ。これが最後だ!これ以上はもう無理だ!」
もう本当にやばい。
ここからさらに吊り上げられたら、もう手が出せなくなる。
背に腹はかえられぬと踏んで、俺は手持ちが尽きたと宣言した。
「あんただって、無駄にマナを失うのは馬鹿らしいだろう?」
「ほう? 商人アルバス、それは真実か?」
低いがよく通る声。
ジルベルト・ウォーレン卿の声だ。
「ああ、誓って真実…」
「1324.5万マナ」
俺が言い終わるより前に被せてきた。
馬鹿だろこいつ!!
こっちは『もう手持ちがない』って言ってるんだぞ!
本気であの屋敷を買い戻すつもりか?
「くっそ…、1328万マナ!」
「やはりまだ持っていたか…。1350万マナ」
なぜか、俺の嘘がバレた。
だがやはり、本当の手持ちを吐かないで正解だった。
さっき俺の吐いた手持ち額が、本当の上限額だったならば、俺はもうここで終わっていただろう。
「くっ…1354万マナだ!」
「1390万マナ」
何を基準にまだいけると考えているのか?
ウォーレン卿は止まらなかった。
そして、ここまで来ると、いよいよ本当にヤバい。
「1392万マナ! …今度こそ、もうこれ以上は無理だ!!」
俺は再び、手持ちが尽きたと宣言。
そう、俺の手持ちは1393.7万マナ。
本当にもうこれ以上は…
「1392.6万マナ」
そこからさらに刻んでくるウォーレン卿。
「ぐぅぅっ…」
俺はもう…吐き気がしてきた。
「1392.8万マナ…だ」
「1393.6万マナ」
足元がふらついた。
そして目の前の景色が、ぐらぐらとゆがんで見える。
「う……1393.7万マナだっ!」
嗚咽に耐えながら、俺は最後の一声を上げた。
俺の手持ちは1393.7万マナ。
間違いなく。ここが俺の限界値だ。
この額で競り落とせなかったら、俺にはもうそれ以上はない。
俺はもう立っているのがやっとの状態だった。
本当に、今にも倒れ込みそうだ。
競り負けたところで『これだけのマナがあればなんとでもなる』とか…
そんな考えはもう頭から吹き飛んでいた。
勝ちたい。
こいつに勝ちたい。
負けたくない。
俺は商人だから、欲しいものはマナで手に入れる。
絶対に買うと決めたものは、何が何でも買いたい。
バージェスや、クラリスや、ロロイやミトラ。そして、アマランシアの思いが乗ったこのマナで…
望む物を手に入れる!
「76番札のアルバス様。…1393.7万マナです。他には…ございませんか?」
恐る恐る確認するオークショニア。
ウォーレン卿からの声は、聞こえてこない。
早く…早く決済しろ!
おそらくは数秒にも満たなかったはずのこの時間は。
俺にとって数時間にも感じられるほどに長かった。
静まり返った会場の中。微かな衣擦れの音だけが、やけに大きく耳障りに響く。
「…ございませんね?」
わざわざウォーレン卿の方を見て確認を取るオークショニア。
…ふざけんなよ?
さっさと決裁しろ!
そして、それでもやはりウォーレン卿からの声は聞こえてこなかった。
「では、決定とさせていただきます」
その声を聞いた瞬間、俺はふらついて椅子に倒れこんだ。
荒々しく呼吸が再開され。
そこで初めて、俺はしばらく呼吸を止め続けていたことに気がついた。
「ウォーレン卿からの出品『キルケット西地区の離れ屋敷』は、商人アルバス様が1393.7万マナで落札されました! おめでとうございます」
「アルバスの旦那…、やりましたね!!」
「はぁ……はぁ……。あ、あぁ…」
気を抜くと意識が飛んでしまいそうなくらいに疲弊していた。
完全に。手持ちの全てを吐き出して、俺は本当にギリギリのところで目的のものを落札した。
そして、そんな俺とは無関係にオークションはさらに先へと進んでいく。
「60万マナ!」
高らかにウォーレン卿の声が響いていた。
さっきまで俺と競り合っていたウォーレン卿の興味は、すでに別の商品に移っているようだ。
目的のものは買えたが。
俺は完全に、ウォーレン卿にしてやられていた。
ジミー・ラディアックとの競り合いだけならば1020万マナで終わっていたところを。
そこからさらに400万マナ近くも値段を吊り上げられた。
その挙句に、最終的には手持ちの全てを余すことなく吐き出させられた。
完全に手の内を読まれていた…
「あれが。200年前から続く商人一族の末裔ってわけか…」
「60万マナでウォーレン卿が落札されました。おめでとうございます」
そんなオークショニアの声と会場のざわめきを聞きながら、俺は急速に意識が遠のくのを感じていた。
疲労感がハンパない。
これなら遺跡で走り回っている方がまだマシかもしれない。
「……」
いや…
いやいや…
いやいやいや…
そうじゃない。
俺以外の奴らはきっと、モンスター達との攻防で、何度も何度もこんなギリギリの状態を経験してるはずだ。
俺が安全な後方で荷物持ちやガイドをしていたからこそ、楽に感じていたにすぎない。
やっぱりみんなすげぇんだな。
バージェスもロロイもクラリスも。
ライアンもルシュフェルドも。
みんなずっと。こんなふうな本気の戦いを繰り返し続けてきたんだろう。
俺もこれで、少しくらいはお前らの見る世界に近づけたのかな?
ふわふわとまどろむ意識の中で、俺はライアンたちの声を聞いた気がした。
「悪い、ガンドラ。少しだけ休む」
「えぇ…」
そして俺は、座ったまま気を失ってしまった。




